(仮)ハッピーエンド

井上 流想

第1話 募集・採用

今日はいい天気のようだ。

久し振りに浴びた天然光の粒子が体の毛穴という毛穴から吸収されていくのを感じる。

やはりたまには外に出た方が良さそうだ。

私の名前は真田 聡(さなだ さとる)。

42歳。独身。

15年前から左目に緑内障、黄斑変性症を患っている。徐々に視力が低下していく病気だ。生まれた時から見えないのとは違い、運命の残酷さをひしひしと感じさせられる病気。一介のサラリーマンから非正規雇用になり、そして無職へと転職した。

現在は国のお世話になっている。

初めはダリの世界に紛れ込んでしまったかの様に物が見え、それはそれで楽しんでいた。

が、すぐに不都合が出てきて、これは厄介だと認識が変わり、三日も持たずに嫌になって、五日目には鬱になり、七日目にはパニック障害を引き起こした。時間と共に心は整理され、今ではミニマリストの様にすっきりしている。

近頃は左目の視力と視界がぐっと落ちて、中心部分は暗く全く見えない状態だ。

目は光に弱い為常日頃眼帯で保護していたが、もはや必要ないのかもしれない。完全にファッションアイテムと化している。

近所の子供達は私の事を元海賊だと噂しているようだ。あいにく私は三半規管が弱いので直ぐに船酔いしてしまう。期待には応えられない、ヘタレ海賊だろう。

というわけで、ここ最近はほぼ右目だけを使っている。よって疲労は激しく、頭痛を引き起こす。

そんな右目もいつまでもつかは未知数。

右目には強い遠視が入っていて、度の強い眼鏡は少し目を大きく見せる。その分厚い眼鏡を押したり引いたりと動かしてみたならば、たちまちケントデリカットで人気者だ。

私は眼帯を付け、眼鏡を掛けているという、随分騒がしい顔面なのだ。

白い眼帯に右目と同じくらいの大きさの目をふえるとペンで描き、まるで両目が存在しているかの様にしてみた。これが滑稽で面白い顔になるのだ。

このスタイルで外へ出かけた時、急に雨が降ってきて、水性ペンで描かれた眼帯は黒く滲み、通行人をえらく驚かせ耳目を集めてしまったことがある。

それ以来、頼り甲斐のある油性のマッキーで描くようなった。


目の奥からは強烈な痛みがあり、違法薬物なんかが簡単に手に入ったならば喜んで使わせてもらいたい心境だ。

ストレスや睡眠不足は眼圧が上がる原因になり、特に痛みが増す。極力、ストレスのない生活を心がけなくては目が持たない。タバコで一服したいとこだが、このニコチンがまた目に良くない。

一体どうしろというのだ。

 私は一日3回、目薬を二滴ずつ両目に刺さなくてはならないが、最近右手に麻痺があり目薬がうまく差せない。

 つまりそろそろ人の手が必要になってきた。

 猫の手ならぬ、犬の手、盲導犬と暮らす選択肢もあるが、断固として反対だ。

犬に世話してもらうなんて、そこまで落ちぶれちゃいないというプライドもそうだが、何より思うのは、「彼らにだって彼ららしく生きる権利がある」という事。

まだこの病気になるずっと前、テレビで盲導犬のドキュメンタリーを見た事があった。彼らの不自由な生活を見て胸が苦しくなった僕は、健康体でありながらも決して盲導犬にはお世話になるまいと何故か誓った。それから、盲導犬の置物兼募金箱には絶対にお金を入れたりはしなかった。むしろ撤去して欲しいとさえ思っていた。

被害者は犬の方で、盲目者ではない。

今思うと、こうなる事を予言していた様にも思う。不思議なものだ。


役所を通じてヘルパーさんを紹介、派遣してもらうこともできる。

が、そういった機関を通して頼みたくないという、これまた厄介な性格を持っていた私は、自ら、己の力で探そうと思った。プロのヘルパーさんにお世話されるのではなく、普通の方に対等な関係性でお世話になりたいという心情からだった。

幸い、昔からの幼馴染、佐久間氏に相談すると、心よく協力してくれると言ってくれた。佐久間氏とは年が近いせいか、本当の兄弟のような関係だ。本当の兄弟だったら、こんなにも仲良くなれていなかったかもしれない。

兄弟間での親の取り合い、嫉妬、格付け、いろいろややこしいものだ。

小さい頃は気づいていなかったが、彼は軽い発達障害を持っている。と言っても、ギリギリ問題なく社会人として働ける、いわゆるグレーと言われる大人だ。

佐久間氏とは目が悪くなる以前から目をかけてくれていた、貴重な大切な人である。

私はヘルパー募集をして一人一人この目で見極め、面接をしたいと訴えると、佐久間氏は早速パソコンでビラを作成してくれた。町内やスーパーの掲示板に貼ったり、ポストに入れてもよし。ビラには私の自己紹介と仕事内容、そして報酬、電話番号を掲載。佐久間氏は私の正面の全身写真と何故か横の全身写真を載せ、後からマジックで矢印を付け足し、特徴を一言載せたらしい。

例えば、目には病名が書かれ、右手には麻痺あり、髪はくせ毛ありと。

何故か靴のサイズも明記。

まるで指名手配犯を捜すようなビラではないか、と抗議したが既に遅し。

もう何十枚と刷ってしまった後だった。

「頼んでおいてなんだけど、今の時代にビラなんかで大丈夫かな?」と聞くと、「こんな時代だからこそ、アナログなやり方が逆に目立つんだよ、わかってないな~」と言われた。

私は頼んだ身、しぶしぶ納得した。

自ら駅に立ち、(その方が目立っていいだろうと思った。)ビラ配りを試みるが、人が行き交う中では渡すタイミングがわからなかった。というより、タイミングも何も、片目ではこの流れについていくのは不可能で、なんなら、人の流れで酔っていた。

結局、誰にも手に取ってもらう事なく、不甲斐なさを感じたまま駅を離れた。

駅前の駐輪所へ行き、持っていたビラを一列に並んだ自転車の籠の中にひたすら入れていった。そして家に戻り大人しく連絡が来るのを待った。

静寂な部屋の中で急に心配になった。

電話番号は間違っていなかっただろうか?

私は直ぐに佐久間氏に問い合わせをした。

すると、一つ一つ数字を読み上げてくれ、私は頭の中で丁寧にその数字を追っていった。全ての数字を確認し終えると、佐久間氏はもうしばらく待ってみようではないかと、わたしの焦りを優しく静めてくれた。

それからというもの、電話が鳴る度にビックとしてしまう。保険の勧誘であったり、間違い電話であったり、オレオレ詐欺であったり。かかってはくるが、肝心の面接希望者からではなかった。

やはり古典すぎたのか。

翌日佐久間氏に電話で相談すると、今度は広告を出そうと言い出した。

新聞に紛れている求人広告でもいいし、タウンワーク、アン、インディードなどなど、何やらいろんな名前を出してきたが、自分にはよくわからないので、再び佐久間氏に全てお任せすることにした。

数日後、佐久間氏から連絡が入り来月の求人に載せる事を告げられた。

佐久間氏はコネと権力と金を使い、素早い仕事をした。というのも彼の両親はこの町一番の病院を運営している。いわゆるボンボンのお坊ちゃまなのだ。


・ほぼ盲目の男性の介護 時給1200円

・空いた時間にサクッと稼げる♪

・ピアス、金髪オッケー。

・性別、年齢問いません。

興味のある方は是非こちらまで!


なんとまあ、軽い求人だ。

年齢は20代後半から30代の女性がいいし、空いた時間ではなく、こちらが指定した時間に来て欲しい。

全く。

佐久間氏に頼んでしまった自分がバカだった。

しかし、

広告掲載日、朝から電話が鳴りやまなかった。

最初は真面目に対応していたが、こうひっきりなしにかかってくると正直うんざりになった。

明らかにこの仕事をする者として適さないだろう感じの志望者には、もう決まってしまったと嘘をつき、15秒くらいで切る事を心がけた。

そして、やはり、志望者は女性に絞った。

尚且つ、声が優しく、明るい雰囲気の女性を選び面接場所と日時を伝えた。容姿が見えない分、声はとっても重要なのだ。面接当日は佐久間氏にも同席してもらう事になった。やはり、第三者の目も必要だ。即決できれば、明日からでも来て欲しい。

面接は佐久間氏の都合で12時から15時までの間に行われることになった。

計9人。なかなかの過密スケジュールだ。

最初の応募者がチャイムを押した。佐久間氏は出迎えに行き、席に着かせ、お茶を出すと、履歴書を一目十行で目を通した。私はというとその間、音と匂いと右目からの情報だけで探った。佐久間氏は取り留めの無い話をして場を解し、それから真面目な質問をいくつかした。

一人、大体15分程で済ませ、彼女達が帰ると、二人で審議した。何故か佐久間氏は一番に容姿を伝えてきた。

芸能人に例えてみたり、目の形から歯並び、胸のふくらみまで、詳しく伝えてきた。

「どうせよく見えないんだから、容姿の事はいちいち言わなくてもいいよ」

「本当か?外見がわかっている方が楽しいだろうが!」

私は容姿より声の方が大事なんだと力説すると、「好きにしろ!」と、投げやりな返事をしてきた。

「お前のためを思って言ってたのに、そりゃないよな」とボソッと言うのが聞こえたので、「お前には本当に感謝してるんだ」と、潤んだ目でフォローすると、「お、おう」と、照れ臭そうに髪をかき上げた。先程差した目薬が役立った様だ。

因みに髪をかき上げるのは佐久間氏の癖である。


応募者の中には、酒やけでしゃがれた声の者、アニメ声の者、声が小さい者、又は声が大きすぎる者、早口の者、変な日本語をしゃべる者、香水がきつい者、口臭がきつい者。

例え美人であっても、ナイスバディであっても、第一関門がクリアしていなければ話にならないのだ。贅沢なのはわかっているが、これから長い期間お世話してもらうかもしれない相手に妥協はできなかった。

私の人生が少しでも萎えない為に必死なのだ。

私は鵜の目鷹の目で面接に同席していた。

ついに最後の一人。もうほぼほぼ諦めていた。 

佐久間氏が出迎えに行ってからしばらく時間がかかった。一体何があったのだろうと、見えもしないのに扉の方を覗き込んだ。やっと二人が中へ入って来て、彼女が腰掛けると直ぐに佐久間氏が耳元で、

「自転車の籠に入ってたチラシを見て来たんだとよ!」

あのチラシを見て来た人は初めてであった。

佐久間氏の質問に淡々と答えていく彼女の声とテンポと息使いに、私はこれだ、と確信した。

佐久間氏が何か質問する事はないか?と目くばせのようなものをしてきたのを感じて、

「明日から来れますか?」と、直球な質問をすると、おそらく彼女はにっこり笑って、

「はい」と、答えた。

「明日、何時から来れますか?」

「何時でも、大丈夫です」

「では、10時に来ていただけますか?」

「はい、ありがとうございます。よろしくお願い致します」

 彼女は立ちあがり、私は顔にフワッと小さな風を感じた。そう、彼女の一礼は生温かく、石鹸のいい香りであった。

 佐久間氏が彼女を送りに行くと、私は一人、部屋で久しぶりに湧き出す興奮というマグマの熱を感じていた。

声からして、端麗な顔だちに違いない。

ん?

やはり外見は大事という事か?

あれだけ佐久間氏の声に耳を貸さなかった自分が何を言っているのか。物凄く恥ずかしくなった。

跳ねる気持ちと眼痛を抑えるため、少し苦めのコーヒーを啜り、顔はにやけていた。

佐久間氏はこの後用事があるとのことで、さっさと帰っていった。


いい年した大人が遠足前日症候群だろうか、ちっとも眠れなかった。

おそらく、私の目の下には大きなクマが出来ていて、暗く、冴えない顔になっているに違いない。

身支度を済ませ、目冷ましに苦いコーヒーをいれた。

時刻は9時28分、音声時計が教えてくれた。

人はこんな時、鏡の前で時間を潰すのだろうな。

私はせめていい声が出るようにと、コーヒーを飲んだ後にもかかわらず、龍角散を舐め始めた。

せっかちな性格が邪魔をして一分もしない内に飴はじゃりじゃりに砕かれてしまった。口周りの運動をしたり、舌の運動もした。それと、目の下のクマが消えることを願って、顔のマッサージなんかもして、その後は発声練習をした。腹から声を出してみる。これが意外といい運動になり汗がじんわりとにじみ出るのを感じた。

すると今度は体臭が気になって、昔使っていた香水を棚の奥から手探りで探し始めた。それらしい形の瓶を手に取りキャップを開け、鼻を近づける。

久しぶりに開けた香水は煽情的な匂いが見事に凝縮していて、なんだか、心が浮かれ舞い上がった。

ゆっくりと手首に押し当て、手首についた香水を人差し指につけ、耳の裏に軽く押し当てた。

これで加齢臭はやっつけた。

香水を棚の奥の奥に押し戻すと、ちょうどチャイムの音が鳴った。

インターホンの受話器を手に取り、浮かれた私は明るく元気よく挨拶をした。

「おはようございます!お待ちしていました。どうぞお入りください」

「はい」

玄関先へ行き、彼女がエレベーターに乗って、廊下を歩いて来るのを想像しながら、扉が開く音を待った。

カチャッ。

「おはようございます」

高音の透き通った声が、私の耳に優しく愛撫した。

「今日から宜しくお願い致します」

「どうぞ、どうぞ、お入りください。スリッパ、お使いください。」

「ありがとうございます」

前を歩く私の背中は彼女の視線を感じ、脳は「背筋を伸ばせ」と指令を出した。

「どうぞ、こちらにお座り下さい」

「はい。」

「一応、この契約書に目を通して頂けますでしょうか?」

「はい」

「何かわからないことや、質問があれば仰って下さい」

彼女は今必死で目を通している様だ。静寂な時がしばし流れる。

私は少し緊張しているらしく、気づけばいつもより丁寧な言葉を使っていた。

「はい、大丈夫です」

「あ、読み終わりましたか?」

「はい」

「では、必要事項を記入しましたら、サインをして頂けますでしょうか?」

「はい」

佐久間氏には契約書をちゃんともらうように頼まれていたのだ。意外としっかりしていて、助かる。

お給料の支払方法もちゃんと銀行振込にするべきだと指摘を受けた。

私は仕事の度に直接現金を渡せばいいと思っていたので目から鱗であった。

「現金渡しなんて、それじゃあデリヘルみたいじゃないか!」と𠮟責されたのだ。そういうものを利用したことがなかった私には全くわからなかったが、確かに佐久間氏の言う通り、こういう事はきちんと記録に残した方がお互いの為であるだろうと思った。

「はい」

サインされた契約書が今ここにある。

「ありがとうございます」

ホッとした気持であった。

「では、宜しくお願い致します」

私は手を差し伸べ、彼女の体の一部に触れた。

「手、冷たいですね」

つい、口から出てしまった。

「あ、すみません」

「いえいえ」

エロおやじのセクハラ野郎と思われていないかと、一瞬不安になった。

「自転車で来たもので」

「あ、そうですよね」

「あの、何か温かいものでもお飲みになりますか?」

「いえ、大丈夫です」

「そうですか?遠慮なさらずに。あ、じゃあ適当に作って飲んでくださいね、インスタントですがコーヒーもありますし、紅茶や緑茶なんかも用意してありますので」

「ありがとうございます」

まずは伝えなくてはいけないもろもろを話した。

月曜日と木曜日が燃えるゴミで、燃えないゴミの日は月の第二金曜日と第四金曜日。コーヒーはインスタントが好み。目が見えないからと言っても、やはりできるだけ、小奇麗でおしゃれでいたい事。

「あの、早速なんですが、ひとつ頼んでもいいですか?」

「もちろんです」

「一日三回しなくちゃいけない目薬をまだ差していなくって」

「はい」

「手のしびれが邪魔をして上手く差せなくなってしまって」

「それは大変ですね」

「瞼の上側を押さえて目玉の上から二滴落としてもらえますか?」

「わかりました」

私が席に着くと、彼女は後ろに周り込み、天井に顔を向けた私をのぞき込んで瞼をしっかり押さえてくれた。

「いきますよ」

「はい」

初めての共同作業に興奮してしまい、彼女の人差し指をするっと抜けて瞬きをしてしまった。

「すみません」

「では、もう一度行きますよ」頼もしい声であった。

「はい」

今度は邪念を捨て、目を見開いた。二滴が黒目にしっかり落ちた。

「ありがとうございます」

彼女はいつの間にか用意していたティッシュで余分な目薬を優しく拭いてくれた。

完璧だ。

「基本は自分で何でもしようと思っています」

「偉いですね」

「いえ、当然です」

「いえ、偉いですよ」

面と向かって褒められた事があまりに久しかったので、耳が赤くなっていたと思う。子供の時から照れると顔ではなく耳が赤くなるタイプなのだ。


今日はゴミ捨て、郵便物の中身チェック、買い物、一通り頼みたいことは頼み、彼女は帰っていった。

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