64【ももちー先輩視点】アイドルという試練・前編


 桃原ちとせ、十七歳。


 私立双祥女子高校の二年生。


 そして、テイカイミュージック所属のアイドル。


 実は今日が、デビュー十二周年の記念日だったりする。


 五歳の時、子役としてドラマに初出演して以来、ずっと芸能界で頑張ってきた。ほんの端役ではあったがテレビに出続け、現場の大人たちの評価を獲得して、少しずつ下積みを重ねていった。


 夢は、アイドルになること。


 一部のマニア向けのアイドルではなく、子供たちに人気のある、いわゆる「国民的アイドル」を目指していた。


 その夢がようやく叶ったのは、デビューから十年経った十五歳の時、テイカイミュージックのプロデューサーに認められた時だった。


 アイドル・桃原ちとせの誕生である。


 彼女はずっと、この時を待っていた。


 子供たちの声援を受けながら、煌びやかなステージで歌い踊る自分を、ずっと思い描いていた。


 そのために、ずっと下積みを頑張ってきたのだから。


 その努力は彼女を裏切らなかった。


 美男美女だらけの芸能界にあってもなお埋もれない可憐な容姿と、頭の回転の速さ、芸歴の長さを活かした物怖じしないトークで、あっという間にトップアイドルへと上り詰めていったのである。


 十六歳の時には、念願だった紅白にも出場した。


 アイドルとして頂点を極めた彼女だったが、その翌年から辛い日々を味わうことになる。


 ずっとちとせに目をかけてくれていたプロデューサーが左遷されて、代わりのプロデューサーが担当についた。


 帝開グループの本体から来たやり手の人だという話だった。


 その新プロデューサーが振ってきた水着グラビアの仕事を、ちとせが断ったのだ。


 ちとせなりに誠意を尽くして、丁寧に断ったつもりだったが、その日を境にちとせは干されてしまった。仕事を回してもらえなくなったのだ。


 それと入れ替わるように、「るあ姫」こと高屋敷瑠亜がアイドルデビューした。


 日本一の資産家として名高い高屋敷家、そのご令嬢がアイドルにということで、話題性は十分だった。帝開グループによる全面バックアップ、湯水のようにカネを使う宣伝攻勢はすさまじかった。


 まさに彗星の如くデビューした瑠亜は、ちとせの長い下積みを嘲笑うかのように、たった一年でトップアイドルへと上り詰めてしまう。


 同じ空に、二つの太陽は昇らない。


 瑠亜の台頭により、ちとせはますます事務所の「推し」から外れてしまった。


 テレビの仕事が減り、人々の目に触れる機会が減り、それに比例して、人気は陰っていった。CDの売り上げは紅白出場時の半分に落ち込み、「桃原ちとせは何故おちぶれたのか」なんてSNSで話題になる始末だった。


 ――こんなことくらいで、へこたれないんだから!


 ――もう一度、トップに返り咲いてやるわ!


 桃原ちとせには根性があった。


 事務所が推してくれないなら、自分で自分をプロデュースするしかない。


 自分のヨウチューブチャンネルを起ち上げ、個人で活動を始めた。


 トークや歌がそれなりの人気を博して、まずまずの成功、登録者数五万人を獲得したが――百万人以上の登録者数がいる瑠亜と比べれば、やはり差は歴然としている。


 悩みに悩んだすえ、ちとせは他の人気ヨウチューバーとのコラボを選択した。


 昔の知り合いに紹介されたのは、近年、アウトロー系・格闘系のヨウチューバーとして伸びてきていた清原兄弟だった。


 ちとせから見ても危ない匂いのする連中で、正直気が進まなかったが、彼らが持ってる「数字」は本物だった。清原兄弟からしても、男ばかりでむさ苦しくなりがちなチャンネルの彩りということで、ちとせとのコラボはメリットがあるらしかった。


 ――これはビジネスよ、ビジネス。


 そう言い聞かせて、ちとせは清原兄弟のチャンネルにレギュラー出演することになった。


 おかげで、五万人の登録者が十万人に倍増した。


 ちとせは喜ぶいっぽうで、心のどこかがちくりと痛むのを感じた。


 ――あたし、どうしてアイドルになりたかったんだっけ?


 子供に人気のある国民的アイドルに、なりたかったんじゃなかったっけ?


 確かに数字は取れたよ。でも……。


 あたし、どうしてここにいるんだろう?





 素人格闘技大会「黒に染まれ」は、クライマックスを迎えていた。


 百人のトーナメントを勝ち抜いたケンカ自慢が、いま、清原長男との試合をリングで行っている。


 いつものことながら、試合展開は一方的だ。


 プロ格闘家である長男のパンチやキックが面白いようにヒットして、相手は二回目のダウン。


 危なげない試合運びだ。


 しかし、対戦相手も粘りを見せている。


 瞼から血を流しながら、ぎりぎりのカウントナインで立ち上がり、観客から歓声が起きていた。


 これは「つくり」である。


 清原長男がわざと手加減して、ほどよい善戦を演出しているのだ。


 彼が本気になれば、一撃で相手を昏倒させることも可能なはずだった。


 たぶん、殺すことも。


 清原長男の強さは、ちとせの目から見ても「本物」だった。元・暴走族の総長で、ケンカで何人も病院送りにして少年院で三年ほどを過ごす。出所してからボクシングをはじめて日本王者となり、今は総合格闘技の無差別級チャンピオン。海外の団体からも声がかかっている逸材だ。彼に素手で戦って勝てる男は、少なくとも国内にはいないだろう。


 ――でも、あたし、こいつ大っ嫌い!


 ちとせは知っている。


 彼ら兄弟が、群がるファンの女の子たちに酒を飲ませて、好き放題やっていることを。

 

 その中には未成年だっている。


 証拠を押さえたわけではないが、見ていれば、だいたいのことはわかる。


 女の子のほうにも落ち度はある。


 人気者だからといって、見るからに危ない男のところに行ってしまうのだから、まるきり責任がないとは言えない。


 だが、彼女たちの愚かさと、清原たちの悪辣さは、また別の話だ。


 ――いずれこいつら、告発して刑務所に放り込んでやるっ!


 今のちとせが告発しても、握りつぶされてしまう。


 清原兄弟はテイカイミュージックの母体である帝開芸能事務所に所属している。帝開は日本の権力中枢に入り込んでいるのだ。


 実はそれとなく、警告されたこともある。


 事務所のプロデューサーが、こう言ったのだ。


『ちとせ。お前が清原さんの〝何か〟を見たとしても、忘れたほうがいいぞ』

『お前の言うことなんて、警察も誰も信じないからな』

『お前は賢いから、わかるよなぁ?』


 ――腐ってるわ、こいつら。


 いったんは引き下がったちとせだが、もちろん、あきらめてはいない。


 自分が再び頂点に返り咲いた時には、その名声と人気を活かして兄弟の悪事を白日に晒してやるつもりだった。



 だから今は、清原(こいつら)を利用して――。



 大きな歓声が巻き起こり、ちとせはふっと我に返った。


 リングの上で、清原長男が勝ち名乗りを受けている。


 何も知らない多くの観客たちが、熱狂的な声援と拍手を彼に送っていた。


 見るに堪えない――。


 顔をそらしたちとせが、その時思ったのは、さっき試合で派手な場外負けを見せたあの「彼」のことだった。


 鈴木和真、とか言ってたっけ。


 平凡な名前。


 陰気な顔に似合わず、超可愛い女の子を三人も連れていた。


 その中には人気急上昇中の新人声優・皆瀬甘音まで交じっていた。


 清原次男と高屋敷瑠亜に拉致された甘音たちの救出は、間に合っただろうか?


 次男の目的は皆瀬甘音だろうけれど――瑠亜の目的はなんだったのだろう?


 なぜ「彼」とあんな親しげにしていたのだろう?


 あの「彼」に、高屋敷瑠亜を引きつける何かがあるのだろうか?


 確かに、ちょっとオモシロイやつではあったけれど……。



 ――ていうか。



 思わず声に出して、ちとせは毒づいた。


「なんであたし、あんなヤツのことが気になってんのよ!!」


 あんなヤツ!


 あんなヤツ!


 ひたすら床を蹴っていると、清原長男がちとせのいるゲスト席に戻ってきた。


 すぐに気持ちをビジネスモードに切り替え、ちとせは微笑む。


「超星(すたー)さん、お疲れ様でした! 試合すごく盛り上がってましたね!」


 だが、長男は浮かない顔である。


 ぶっきらぼうに言い放った。


「来い。裏で今後の打ち合わせするぞ」

「――あ、はい」


 二人は設営テントの中に入った。


 そこには配信機材が置かれ、数名の撮影スタッフたちが詰めている。


 長男はスタッフにタブレットを持ってこさせて、厳しい表情で画面を見つめた。


「やはり、同接落ちてるな」

「えっ、本当ですか?」

「前回の『黒染ま』決勝は、同時接続視聴者数が十万人に到達した。だが、今回は九万八千人しか見てない。微減に見えるが、今大会は過去最大規模で賞金も10倍出してる。なのに何故落ちてるんだ? これじゃあ、この後のメンバー限定配信も盛り上がらない。いったい何が原因だ?」


 青白い蛇のタトゥーが彫られているこめかみに、血管が浮いていた。


 おそるおそるスタッフが答える。


「あの、でも、たった二千人ですし、誤差の範囲では……」

「だから誤差を考えても落ちてるって話だろう。頭悪いなお前」


 パンッ、と乾いた音がした。


 長男がスタッフを平手打ちしたのだ。


 テントの雰囲気がピリッと張り詰める。


「ちとせ。お前はどう思う?」

「……」


 ちとせはしばらく考えた。


 この長男は、馬鹿でスケベなだけの次男・三男とは異なる性質を持っている。

 

 スケベなのは同じだが、ビジネスには聡い。


 数字というものをしっかりと見据え、様々なプロモーションを考えて実行に移している。


 半端な答えでは、怒りを買うだけだ。


「いろいろ考えられますけど、一番の原因は、みんなが刺激に慣れてきちゃったんだと思います」

「……うむ」

「最近、清原さんの真似をして同じような企画やってる格闘系ヨウチューバーも出てきましたし、最初のインパクトが薄れてきているのかもしれません」

「つまり『清原兄弟』というコンテンツが、飽きられ始めていると?」

「はい。言葉を選ばずに言えば」


 スタッフたちが息をのむ。


 だが、その回答は長男を満足させたようだった。


「さすがは、元トップアイドルだな。よく愚民どもの心理をわかってる」

「……あはは」


 ちっとも褒められた気がしなくて、ちとせは曖昧に笑った。


 ちとせは、自分のファンのことを「愚民」だなんていうやつが大嫌いだ。


 アイドルの中には、自分のファンのことを裏で「キモイ」なんて言う輩がいるのは確かだ。だが、ちとせは、その価値観にはどうしても乗れない。同意できない。自分を応援してくれる人たちをそんな風に言うのが理解できないし、許せなかった。


 ちとせと反対の価値観を持つ長男は、事もなげに言った。


「そういうことなら、話は簡単だな。愚民どもに、さらなる刺激を与えてやればいい」

「ええ。でも、それが難しいって話では?」

「いいや? 簡単だよ」


 タトゥーだらけの顔で、長男は真面目に答えた。



「この後のメン限配信で、お前、脱げや」

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