62 反社とブタ


 場内はまだざわついていた。


 観客は誰もリングのほうを見ていない。


 金網を突き破って場外に吹っ飛ばされるというやられっぷりを見せた俺に、視線が集中していた。


『めちゃくちゃ飛んだなぁ、あいつ』

『あのモンゴルマン、すごいパンチ力だ』

『優勝候補だわ』

『……いや、殴られたってあんな飛ばなくね? 普通』


 なんだか物議を醸しているようだ。


 ももちー先輩が歩み寄ってきた。


「大丈夫? ほら、立ちなさいよ」


 差し出された手を握り返すと、超人気アイドルは身をかがめて顔を近づけてきた。


 鼻先がふれあいそうな距離だ。


 こんな可愛い人にそんな接近されて、ドキドキしない男子高校生なんてこの世に存在しない。


「あのう、先輩?」


 甘いラブコメなシチュエーションに似合わない厳しい顔と声で、彼女は言った。


「高屋敷瑠亜と清原兄弟が何か企んでる。あんたの彼女たちが危ないわ」

「……!」


 しまった。


 気がつけば、いつのまにかゲスト席からブタの姿が消えている。


 撮れ高のことばかり気にして、吹っ飛びすぎた。リングから離れすぎたのだ。


「連れ込むとしたら、メインプールの後ろにある第二プールよ。次男が何か準備してたから」

「ありがとうございます」


 観客をかきわけるようにして席に戻ると、そこにはべそをかいているいっちゃんだけが取り残されていた。


「和にぃ! 大変だよ! 先輩たちが変な男たちに捕まって……」

「ああ、わかってる」


 いっちゃんを拉致しなかったのは、「あいつ」は未だにいっちゃんを女の子だと知らないからだ。


「いっちゃんはここを動くなよ。いいな?」

「うん! 気をつけて!」


 ももちー先輩に教えてもらった「第二プール」は現在改装中で、青いビニールシートがかけられている。中で何が起きていても、外からはわからない。この会場が清原兄弟の貸し切りで、そこにブタが絡んでいるとするなら、何かするにはおあつらえ向きの場所だった。


 入り口らしきところに、門番が立っている。


 ひとりは派手な柄シャツを着たヤンキーだ。


 そしてもうひとりは、黒の背広をかっちり着込んだいかつい男。


 その奇妙な取り合わせが、中にいる人間の正体を表している。


 反社とブタは、グルってことだ。


「ぐっ」

「ごっ」


 懐に飛び込み、素早くみぞおちに拳を叩き込んだ。


 吹っ飛ばす必要なんてない。


 拳のもたらす衝撃を、人体に浸透させるのに派手な動きはいらない。


 いわゆる寸勁、「ワンインチパンチ」とも呼ばれる技だ。


 やられるほうも、見ているほうも、何が起きたかなんてまるでわからない技だ。


 撮れ高なんてまったくない、ももちー先輩に怒られそうな技だけど、ここはリングじゃない。見せかけの技など使う必要はないのだ。


 気絶した男二人を蹴り退け、中に入った。


 そこは奇妙な場所だった。


 改装作業中らしい大きなプールに並々と水が張られている。だが、その水は緑色でドロドロしている。藻が繁殖しているのかと思ったが、あきらかに植物とは違う、粘土のような匂いが立ちこめていた。


「和真くんっ!」


 その不気味なプールのそばに、甘音ちゃんが捕えられていた。


 捕まえているのは案の定、清原次男だ。


 甘音ちゃんに執心を見せていた金髪ゴリラは、太い腕で彼女を羽交い締めにしていやらしい笑みを浮かべている。


「和真君!」

「和真ぁ! たすけてーーーっ!」


 涼華会長と彩加も、次男の手下らしきチンピラに後ろ手に拘束されていた。


 この二人もニタニタと好色な笑みを浮かべている。彼女たちの水着のふくらみを濁った目で見つめている。自分が捕えている極上の美少女に不埒を働きたいのが見え透いている。


 モラルの欠片もない下品な輩が、何故それを実行に移さないのか?


 それは、背後に黒幕がいるからだ。



「ずいぶん早かったわねえ、カズ!!」



 ブタさん。


 黄色のビキニ姿で、ぺったんこな胸を誇らしげに逸らしながらのご登場である。


「惜しいナー。もう少し遅かったら、この泥棒猫三匹の無様な姿が見られたのにねェ?」

「何をさせるつもりだったんだ?」

「アタシが用意した特製スライムプールでスイムしてもらうの。ブクブクモガモガドロドロヌルヌル、みっともなくねェ! アタシのチャンネルのメンバー限定配信で、その動画を流してやるわ! いい気味いい気味ィ!! ッシャッシャ!」

「……」


 ブタさんのセンスはあいかわらずよくわからん。


 スライム風呂っていうのが一時期流行ったけど、かなり前の話だからなあ。


「撮れ高があるとは思えないが?」

「いいのよ、こいつらに恥をかかせてやれればいいんだから!」


 恐ろしいような、そうでもないような、微妙な復讐の仕方である。


「俺が間に合った以上、それはもう不可能だ。わかるな?」

「……フン」


 ブタは肩のツインテールを後ろに跳ね上げた。


 その隣では氷ノ上零が臨戦態勢をとっているが、彼女では俺に勝てないのはわかっているはずだ。


「ちょっとゴリラ、その前髪ウザスダレを、今すぐプールにたたき落としなさい」

「へ、へっ!?」


 ゴリラと呼ばれた次男はきょとん、となった。


「イヤ待ってよ瑠亜姫、そんな焦る必要ないだろ? こんな陰キャ、俺がブッ飛ばしてやるからさぁ」

「いいから今すぐ落として。会長も、彩加もよ。それを撮影して今日は撤収!」

「いやだから待てって!」


 次男は必死だった。


 やつにしてみれば、ブタさんが去った後で、甘音ちゃんに抱(いだ)く下衆(げす)な欲望を実行したいのだ。


 彼女をスライムでドロドロにしてそのまま帰るなんて、望むわけがない。


 ブタさんがため息をついた。


「アンタじゃ、ムリ」

「え? ムリって何が?」

「ムリだからムリだって言ってるのよ。半グレ格闘家ごときが、どうやって『十傑』に勝つのよ。『表』でおだてられてチョーシこいてる程度のヤツが」

「じゅっ、けつ?」


 その時、次男にスキが生まれた。


 甘音ちゃんが激しく体を揺すったため、羽交い締めが少し緩んだのだ。


 彼女の勇気を無駄にするわけにはいかない。


 俺は音もなく地面を蹴った。


 するする、地面を這うような低い姿勢で一気に懐に飛び込み、甘音ちゃんを小脇に抱えるようにして奪還する。


 次男は何が起きたのかもわからず、ぽかん、と空白になった自分の腕を見つめている。


「いわんこっちゃねーわ」


 そう吐き捨てるブタさんの声が聞こえた。


 混乱するチンピラ二人から、同じようにして会長と彩加を奪還する。


「ごめん、三人とも。怖い思いをさせたな」

「ぜんっぜん大丈夫です!」

「必ず来てくれるって、信じてたわ」

「和真は、う、うちの王子さまだしっ!」


 絶対怖かっただろうに、そんな素振りは微塵もみせずに笑ってくれる。


 彼女たちは宝だ。


 かけがえのない俺の宝物。


 だから――。


 それを汚そうとするものに、俺は一切の慈悲はかけないと決めている。


「おい、ゴリラ」

「――ああん?」


 ぽかんとしていた次男の顔が、怒りで赤くふくれあがった。


「ゴリラってのは誰のことだ。なあ、陰キャくんよ。オオ?」


 さっきブタから「ゴリラ」呼ばわりされた時は流したくせに。


 こいつのプライドは、相手によって出したり引っ込めたりできる類(たぐい)のものであるようだ。


「てめえのさっきの試合、見てたぜ? めちゃめちゃブッ飛んでたよなぁ? あんなザコの打撃で場外まで吹っ飛ぶようなやつが、空手チャンプの俺に勝てると思うのかよ?」


 ひゃははと笑うゴリラに、他の二人も追従する。


「なあに、安心しろ――」


 甘音ちゃんたちを下がらせて、俺はゆっくり、構えをとる。


 空を指さし、静かに言った。



「お前は、もっと遠くまでトバしてやる」

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