61 陰キャの〝瞬殺〟を見せつける
素人格闘技大会「黒に染まれ」。
清原兄弟のヨウチューブチャンネルの人気企画で、総再生回数は一億を軽く超えている。
清原兄弟が審査員を務めるオーディションをやって、合格者同士が試合をする。勝ち抜いた者同士がまた戦い、ある程度勝ち進むと清原兄弟と試合ができる。
勝てば、百万円。
仮に負けても、目立つことができれば有名になれる。なにしろ一億再生だ。「黒染ま」か数々の人気ヨウチューバーを輩出しているということで、売名目的で出場する輩も多くいるらしい。
今日は「瑠亜姫杯」ということで、特別賞金一千万円が出る。
集まった参加者は、なんと、百人を超えるという。
「世の中、血の気が多い人ばかりなのね」
涼華会長がため息をついた。
憩いの場であるはずのプリンセスプールは、時代錯誤の特攻服やらリーゼントやらのむさくるしい男どもと、その男たちの連れであるキンキンの髪をした日焼け女たちでひしめいていた。まるで暴走族の集会だ。殺伐殺伐、サツバツバツ。「うう、煙草くさい……」と、いっちゃんが泣きべそをかくのが聞こえた。
彩加が言った。
「ねえ、試合ってどこでやるの?」
「あそこですよ、あのリング」
甘音ちゃんが指さす先に、金網で囲まれた八角形のリングがあった。
「変なかたち。ふつーリングって四角じゃないの?」
俺は答えた。
「総合格闘技は、あの形のリングが一般的なんだ。ロープもなくて、代わりに金網が張られている」
「へえ、和真くわしいんだ? 実は格闘技好きとか?」
「いや全然」
昔ああいうリングに上がってたことがあるから――とは、言わなかった。
海外の、しかも地下の話である。
「それにしても、こんな百人もいてどうやって試合すんの? 一日で終わらなくない?」
「さあ、そこまではわからないな」
甘音ちゃんが代わりに答えた。
「時間はそんなにかからないと思います。一試合一分制で、決着つかない時はダメージとか関係なく『ともかく攻撃してたほうが勝ち』っていうルールなんです」
「ガンガン殴り合わなきゃ駄目なわけか」
「はい。だから派手な試合が多くて人気なんです」
甘音ちゃんは、不安そうな目で俺を見た。
「和真くん。ケガとか、しないでくださいね?」
「まー、和真なら大丈夫っしょ!」
彩加が明るく言った。俺が戦ってるところを目の当たりにしたことがある彼女には、全幅の信頼を置かれているようだ。
いっちゃんや会長も同じで、ケガを心配してるようには見えなかった。
彼女たちが心配してるのは、別のことだ。
「和真君。瞬殺されてくるって言ってたけど、どうするつもり?」
「わざと倒れたりしたら、バレちゃうんじゃない? 和にぃ、そんな演技上手いほうじゃないし」
俺は四人の少女たちを見回して言った。
「大事なのは、説得力だよ」
「説得力?」
「観客やネットの視聴者に納得してもらえるような負け方。『弱い』『完敗』そんなコメントで埋め尽くされるような負けっぷり。それを見せつければ大丈夫さ」
そんなことより、俺は別のことを心配している。
ブタさんの動向である。
今大会の特別ゲストであり、スポンサーでもあるというブタ屋敷ブタ亜。
すでに生配信が始まってるようで、リング横に設置されたステージ上で清原兄弟や桃原ちとせとトークしている。ブタさんのよく通る耳障りな声がここまで届いていた。
『瑠亜姫は、格闘技観戦とかしないのかな?』
『えぇ~? るあ、そーゆーのこわくてぇー。人が殴ったりするのとか、ムリだしぃー。でもまぁ、お仕事だし? がんばって今日は見に来ました!』
嘘つけ。
俺が地下のリングに上がった時は「コロセ!」って一秒間に百回叫んでたくせに。「全身の穴から血という血をドバドバ出し尽くさせてコロセ!」とか。放送禁止用語や差別用語もたくさん口にしていた。あのブタの本性は、本来、日の当たるところに出られるようなものではないのだ。このコラボもノリノリだったに違いない。
ももちー先輩は、にこにこと相づちを打っている。時々面白いツッコミを入れたり、場を和ませるボケを披露してみたりして、見てる人を飽きさせないよう気配りしている。
あれこそまさに「お仕事」ってやつだ。
「瑠亜さん、今日は何を企んでるのかしら」
厳しい顔つきで会長は言った。
「偶然仕事でここに来たっていうだけならいいけど、違うわよね」
「そうですね。会長たちは、なるべく俺の目の届くところにいてください」
ましろ先輩の時のように、特殊部隊を動かしている気配は今のところはない。
もし「十傑」が動いているとしたら察知は困難だが、その時は師匠からひとこと連絡が入るだろう。多分。
ちなみにブタ専属のボディーガードである「十傑」氷ノ上零は、ステージ脇にぽつんと立っている。ただぼーっとしているようにも見えるが、その立ち姿にはスキがない。事ある時にはすぐに飛び出せるよう準備をしている。真っ白な髪に赤い瞳、美しい狩猟獣のようなその姿は、周囲の男どもの視線を密かに集めていた。
あいつも水着になればいいのにな……。
きっと、モテるだろうに。
そんなことを考えていると、スマホに着信音があった。
画面を見れば、さっきインストールさせられた大会参加用アプリが呼び出しを告げていた。
出番のようだ。
「がんばって、和真くんっ!」
「相手を殺しちゃダメよ」
「和にぃ、ふぁいと!」
「よっ、ス●ブラ和真! あの時みたいにかっこいいとこ見せてよ!」
……だから、瞬殺されにいくんだって……。
リング側に行って、レフェリーからボディーチェックを受ける。ちょっと体に触れるだけの、ものすごくぞんざいなチェックだった。ちょっと隠せば凶器持ち込み放題、むしろ「持ち込んでくれ、その方が撮れ高がある」と言わんばかりの。
グローブもつけてもらう。
ボクシングやキックなんかで使用される打撃専用のグローブだ。当然、相手を掴むことはできない。その代わり、入ってる綿が極薄だ。これだと素手で殴られるのとあまり変わらない。
リングに上がる。
対戦相手はすでに対角線上のコーナーにもたれかかり、いや、ふんぞり返って俺を待ち受けていた。
デカイ。
縦にも横にも、でかい。
ブヨッとした体型で、腹が五段、いや、六段、七段……近くの神社の階段くらいありそうだ、
髪型も個性的だ。
サイドを短く刈り込み、頭には長いちょんまげが乗っている。世界史の資料集に載ってるモンゴル騎馬民族みたいな髪型である。
じっ、と無言で俺をにらみつけている。
いちおうは真剣な表情に見えるが――口元がわずかにほころんでいる。
『 1回戦の相手がこんな弱そうなやつで、良かった。 』
そんな心の声が聞こえてきそうだった。
レフェリーに促されて、リング中央へと進む。
観客たちの声が背中にぶつかってきた。
『おいおい、すげー体格差じゃん』
『勝負になんのか?』
『陰キャが殴ったら手のほうが折れそう』
そんな声のなかに交じって、黄色いブタの声が響き渡る。
「カズ~!! がんばってね~~ン!! アタシが見てるからってやりすぎちゃ駄目よ? ちゃーんと手加減してあげてねぇ~!!」
思わず耳を塞ぎたくなったが、周囲に与えた効果は劇的だった。
『お、おい、るあ姫が応援してるぜ』
『マジ? どーゆー関係だよ?』
『帝開の同級生とか?』
『あのS級学園の生徒なら、結構やるのかも――』
どよめきがリングまで届いてくる。
対戦相手のモンゴルマンも、目の色を変えて俺をじっと見つめている。その表情から侮りが消えて、本気の目になっていた。
ゴングが鳴った。
様子を見ようとばかりに下がったモンゴルマンとは逆に、俺は踏み込んでいった。
脂肪のつきまくった顔に驚きが浮かび上がる。
おおっ、と観客が沸く。
俺はパンチを繰り出した。
といっても、ただグローブを突き出しただけなのだが――。
のろいパンチなので、モンゴルマンはあっさりかわす。いわゆる「ダッキング」という技術でかがみ込んで拳をかいくぐり、チャンスとばかりに、俺がわざとがら空きにしたボディに拳を出してきた。
うん……。
まぁ、可もなく不可もなく。
「説得力」にはやや不安が残るが、やり直しを要求できる立場でもない。
グローブが俺のみぞおちにめり込む。
「うぐぅ」
なんかそれっぽい悲鳴をあげてみる。「うぐぅ」。いや「ぐはぁ」の方が良かったか? あるいは「あべし?」「ひでぶ?」どういえばダメージが伝わるのか? 意外と奥が深いな、やられ役の〝説得力〟。
悲鳴をあげつつ、俺は体をくの字に折り曲げた。
イメージするのは、昔、なんかSNSで流行ったやつ。
マカンコウサッポウ、だっけ。
膝のバネだけで思いっきりジャンプして、両足をリングのマットから離す。
拳の威力で吹っ飛ばされた風を装い、目指すは後方。
このまま金網に背中をガシャンと叩きつけられ、マットに崩れ落ちてKO。そんな感じのやられ方。
王道である。
だが――。
俺は、王道のその先を往(ゆ)く。
頭にあるのは、ももちー先輩が心配していた「撮れ高」のことだ。
ショーとして、エンタメとして、見栄えのあるやられ方。
だから。
俺は加速する。
つま先がマットに擦れる――ふりをして、思い切り力を入れて蹴った。
吹っ飛ぶ勢いが増す。
金網に背中が深く深くめりこんだ。
まだまだ。
さらに強く、マットを蹴った。
蹴るのが速すぎて、レフェリーにも観客にも見えなかったに違いない。
彼らの目には、ただ、「すごいパンチで陰キャが吹っ飛ばされた」ようにしか見えないはず。
体まるごと、金網にめり込んでいく。
金網がその負荷に耐えきれず、めちめちという音を立てて破れていく。
そこでもう一度、マットをかかとで蹴る。
引きちぎれた金網の破片をまき散らしながら、俺は宙を舞う。
あんぐりと大口を開けて見上げる観客の頭上を跳んで、翔んで、飛んで――目指すはリングから少し離れたところにあるゲスト席である。
そこには、ももちー先輩が座っている。
可愛い顔に驚きを広げているその席の横を、着地点にしよう。
最後のダメ押しとばかりに、もう一度悲鳴をあげる。
「うぐぅ」
言いながら、ごろごろ地面を転がった。なるべく派手に、回転多めに、砂埃とかあげつつ。撮れ高撮れ高。
どすん、と背中がレンガの壁にぶつかった。
ついでにこの壁を突き破って――いや、さすがにそこまではやらなくていいか? やりすぎは逆効果だよな。自重しよう。
すでにリングは遠くなっている。
だが、誰もリングは見ていない。
モンゴルマンに瞬殺されて吹っ飛ばされ、場外を転がった俺のことを、ぽかん、と見つめていた。
――あれ?
なんか、あんまり盛り上がってないぞ……?
その時、ももちー先輩と目が合った。
ぱくぱく、何度も口を開いたり閉じたりしている。目をぱちっ、ぱちっとな何度も瞬きさせて。その仕草がとてつもなく可愛らしい。作った表情より、素の表情がずっと可愛い。
俺は小声で聞いた。
「撮れ高、どうでした?」
彼女は一瞬、何を言われたのかわからなかったらしい。
しばらく、ぽかんとしていた。
俺をびしっと指さして、叫んだ。
「ありすぎ!」
やったぜ。
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