60 桃原ちとせは子供好き


 彩加にレクチャーしてもらいながらスマホを操作して、格闘大会「黒に染まれ」にエントリーした。


 十五分後に集合らしい。


 その前にトイレをすませておこうと歩いてると、売店の近くで桃色髪の少女が四、五人の子供たちに囲まれていた。


 元・トップアイドル桃原ちとせ。


 ブタさんの出現で今は斜陽の途にあるらしいが子供たちにはまだまだ人気のようで、記念撮影やサインをねだられ大忙し。俺にはいきなりビンタをかましてきた彼女も、子供たちにはニコニコ笑顔ではしゃいでいる。ファンサービスっていうより、素で楽しんでるみたいだった。


 彼女の周りだけスポットライトが当たっているみたいに、くっきりと輝いて見える。


 これぞアイドルって感じ。


 さっき半グレ兄弟と現れた時とはまるで別人じゃないか――。


 しばらく見つめていると、母親らしきグループが子供たちを呼びに来た。


「ねえ! 向こうに高屋敷瑠亜ちゃん来てるわよ! 行こ?」


 子供たちは首を振る。


「やだ! ももちーがいい!」

「るあちゃんって、あたし、すきじゃなーい!」


 幼い子供たちは、ちゃんと本物を見極める目を持っているようだ。


 だが悲しいかな、大人はそうではない。マスコミやネットに騙されてしまう。自分がいいというものではなく、大勢が「いいね」したものを信じてしまうのである。


「ほら、向こうで清原兄弟と撮影会やってるって。瑠亜ちゃんとツーショット撮れたらSNSでいいねたくさんもらえるわよ。行きましょ?」


 母親グループは子供の手を引っ張って、強引に連れ去ってしまった。


 後にはぽつんと、立ち尽くす桃原ちとせが残されて――。


「…………」


 子供たちの背中を見送るその横顔は、なんとも胸が締め付けられるようなものであった。悲哀や落胆、あるいはあきらめ、女子高生が顔に浮かべるにはふさわしくない、彼女が今まで歩いてきた道の険しさを感じさせる顔だった。


 そして、それだけじゃない。


 それらの芸能人としての表情に混じって、「もっと遊びたかった」という、おもちゃをとりあげられてしまった幼女のような、純真で素朴な感情が一番奥にゆらめている――ように、俺には感じられた。


 声をかけずにはいられなかった。


「子供、好きなのか?」


 長い桃髪がびくんと飛び跳ねた。


 じろりと振り向いた時、彼女はいつもの不機嫌な表情に戻っていた。


「別に。営業よ営業」

「営業?」

「ファンサービスも業務の一環。芸能人でございます、ってふんぞりかえってるアイドルなんて、今どき流行らないの。あんな風に『いい人営業』『子供好き営業』しないとね」

「それにしては、ずいぶん楽しそうだったな」

「だから、それも含めて営業なの! なんも知らないくせに、プロのあたしにえらそーなクチ聞くな、アマチュア!」


 うーん。


 これは、めちゃめちゃ嫌われてるな……。


「てか、あんた何者? 名乗りなさいよ」

「帝開学園一年、鈴木和真」

「なんだ、一個下じゃん。あたし高二。お姉さんよお姉さん。わかる?」


 しまった、タメ口はまずかったか。


「瑠亜姫とはどういう関係よ? ずいぶん親しげだったけど」

「学校が同じなだけの、元・幼なじみです」

「元……?」


 彼女は怪訝な顔をした。


「それより、さっきはどうしてかばってくれたんですか?」

「は? 何が?」

「清原三男を俺が倒したところ、見てたんでしょう? なぜそれを長男と次男に隠したんですか?」


 彼女は大げさにため息をついた。


「さっきも言ったじゃん、撮れ高の話よ」

「撮れ高?」

「極端な話、あんたが強そうなイケメンだったら良かったのよ。でも、あんた陰キャじゃん。超よわそーじゃん。三男を倒したところはこの目で見たけど、今でもインチキじゃないかって疑ってるくらい」

「……」

「あんたじゃ動画として面白くならないから。だから嘘ついたの。それだけよ」

「つまり、俺を助けたわけじゃないってことですか」

「そういうこと。ビジネスよビジネス」


 ビジネス。


 時々、涼華会長も口にする言葉だ。


 会長の言う「ビジネス」は、俺が言うところの「日直当番」とか「テスト勉強」とニュアンス的には大差ない(スケール的にはもちろん違うが)。


 だが、桃原ちとせの「ビジネス」は、俺が言う「美容院に行く」とか「渋谷で買い物」と似たようなニュアンスに感じる。


 背伸びしてる感、とでも言おうか。


 さっき子供と遊んでいた時の彼女のほうが、ずっと「リアル」な感じがしたけどな。


「何よ、黙りこくっちゃって。怒ったの?」

「怒ってないです」


 口に出したら今度こそ怒られそうなので、別のことを言った。


「それにしても、さっきのももちー先輩は魅力的に見えましたよ。俺の連れも大ファンだって言ってました。あのブタに人気で負けるなんて、信じられないんですが」

「ももちー先輩って何、その呼び方。……まぁいいけど。ブタって誰のことよ?」

「ブタはブタですが」


 他の言い方だとなんだろう? ピッグ? ポーク? ハツ? レバー?


 彼女はハッとした表情になり、それからぷっと噴き出した。


「もしかして瑠亜姫のこと? ブタって、マジ? あの子が今どんだけ稼ぐアイドルか知らないの? インスタドラムのフォロワー数やヨウチューブの登録者数だってすさまじいんだから」

「さあ。興味がないので」

「呆れた。あんた本当に現代を生きる高校生なの? 実はジャワ原人?」

「平均以下であることは自覚してます。だから、普通になりたいんですよ」

「ふうん。変わってるね」


 少しトゲが取れた表情で彼女は言った。


「きっかけは、水着よ」

「水着?」

「二年くらい前かな。水着グラビアの仕事が入ったの。ま、アイドルとしては定番なワケだけど……あたし、そういう売り方は好きじゃないから。拒否ったの」


 水着グラビア。


 俺が時々読む青年漫画誌にも載っている。アイドルやコスプレイヤー、声優なんかの水着姿が巻頭を彩っている。甘音ちゃんも一度声がかかったって言ってたっけ。


「それがどうも、事務所のエライ人の怒りに触れたらしくってさ。お高くとまってるって思われちゃったのかなぁ、そう思われないようにいろいろ気配りしてたつもりだったんだけど。甘かったわ」

「それで、干された?」

「そのタイミングで出てきたのが、あの子――高屋敷瑠亜よ。帝開グループの後ろ盾もあって、あっという間にトップアイドル。ナマイキキャラで売ってるあたしとキャラもカブッてるとなれば、事務所が瑠亜姫を優先するのは、ビジネスとして当然よね」


 現代を生きる女子高生らしくない、重々しいため息を彼女はついた。


「ま、でもこのままじゃ終わらないわよ。水着になんかならなくたって、もう一度トップに返り咲いてみせるわ。そのためなら、なんだって利用するし。清原兄弟だって――」

「付き合わないほうがいい気がします。『反社』でしょう、彼ら」


 粋がっているだけの次男や三男はともかく、あの長男からは「裏」の匂いがした。アイドルのような「陽」の存在が関わるべきじゃない。


 彼女はまたため息をついた。


「わかってるわよ。でもせっかく事務所がブッキングしてくれた仕事だし、断ったら今度こそクビになる。これでもあたし、プロだから」

「そこが、よくわからないんですが」

「何がよ?」


 俺は自分の考えを話した。


「アイドルには、なりたくてなったわけですよね?」

「そうよ。子供の時からの夢」

「アイドルなら水着になることくらい『普通』だと思ってました。それは、わかってたはずじゃ?」


 彼女は答えなかった。


 その代わり、Tシャツのおなかのあたりをさするような仕草を見せた。


 俺は続けて尋ねた。


「あの兄弟みたいな輩と絡むことより、水着になるのが嫌っていうのは、ちょっとわからないんです。ももちー先輩は可愛いしスタイルもいいし、ファンなら絶対水着を見たがるはずでしょう。ポリシーに反するとしても、先輩なら『これもビジネス』って割り切りそうな気がして」


 やはり彼女は答えなかった。


 代わりのことをぽつりと言った。


「難しいわね。世の中って」

「……そうですね」


 しばらく二人で、遠くのプールではしゃぐ子供たちのことを眺めた。


「あんた、今からでも棄権してきたら? あの大会危ないわよ」

「素人ばかりって聞きましたが」

「ほとんどは街の不良レベルよ。でも、中にはプロのボクサーもいるし、ヤクザや半グレみたいなのも混じってる。凶器を隠して持ち込んでるヤツだっていると思う」

「怖いですね」

「怖いわよ。だから人気なの。悪いこと言わないから、やめときなさい」


 その声音は、真剣に俺のことを案じてくれているようだった。


「心配いりません。瞬殺ですから」

「まさか合気道でなんとかしようと思ってる? 無理無理。試合はグローブはめてやるんだから。三男の時みたいに掴ませてもらえないわよ」

「格闘技のこと、わかるんですか?」

「清原兄弟とコラボするからには、そりゃ、少しはね」


 ずいぶん勉強家で、努力家のようだ。


 ますます好感を持ってしまうが――。


「瞬殺されるのは、俺のほうです」

「……ハ?」

「見ててください。『撮れ高』のあるやられっぷりを披露してみせますよ」


 彼女は大きな目をさらに大きく見開いた。


 不機嫌そうに引き結んでいた唇に、その時はじめて、笑みが浮かんだ。

 

「おっかしい! あんた、ちょっとおかしいんじゃないの!?」

「いや、それほどでも」

「褒めてないって! ほんっと、おっかしい!」


 そう言って笑う彼女は、ドキッとするほど魅力的だった。いつもとびきりの美少女たちに囲まれてる俺でさえ、心をグッと掴まれてしまう。つまりそれは、姿かたちのことだけじゃない。「華がある」ということ。彼女の心が、その存在そのものが「愛おしい」という証明だった。


 やっぱりどう考えても、ブタさんより魅力的と思うんだけどな……。


 世界は間違いだらけだ。

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