43 ブタは自分をブタだと頑なに認めない(故にブタ)


「誰よその女!? ブスね!!」


 美術部員たちの創作意欲であふれていた美術室(アトリエ)は、ブタの登場によってコントのステージに変わってしまった。


 他人をブスとか言えた顔か? 性格の悪さが滲み出るブタヅラのくせに。しかし、世間的に「高屋敷瑠亜」といえばルックスよし声よし家柄よし性格よしのパーフェクト美少女ということになっているから始末に負えない。何ひとつ当たってない。


 部員たちは皆、その威光にビビッて顔を伏せてしまっている。


 しかし、喜んで尻尾を振る犬もいる。


 さっきまでの粗暴な態度をコロッと変えて、荒木興二(あらき・こうじ)がキモイ声を出す。


「瑠亜ちゃん! ひさしぶり! オレのこと覚えてる?」

「あん? 誰?」

「ホラ、前にみんなでカラオケしたじゃん! ボクシング部と美術部のダブル特待生ってハナシしたじゃん!」

「あーハイハイ。荒田ね」

「イヤ荒木だけど、瑠亜姫がいうなら明日から荒田にする!!」


 こいつ、ご先祖に申し訳ないと思わないのか?


 荒木改め荒田には目もくれず、ブタはましろ先輩のところにつかつか歩み寄った。


「ねぇブス? アタシのカズから離れてもらえるブス? るあちゃんディスタンスを最低二メートルは取りなさいブス。ブスブスブース!」


 などと言いつつ、軽やかに舞う。やたらリズミカルなのが腹立たしい。


 すっかり怯えているましろ先輩を背中にかばった。


「邪魔だ。今すぐ出て行け」

「ねえカズ、絵を描くんだったらさぁ、アタシがモデルになってあげてもいいわよん?」


 おいやめろ。ケツを振るな。


「生憎、ブタを描く趣味はないんだ」

「ちょっとカズぅ。いくらなんでも本当のこと言っちゃだめでしょ。そこのブスに失礼じゃん」


 と、哀れむようにましろ先輩を見る。


「いや、お前のことなんだが」

「オマエ? そんな名前のひといたかしら?」

「……」


 こいつ……。


「か、和真くんっ。あたしのことはいいからっ」


 小声でましろ先輩が言う。あんなにブスブス言われたのに、優しい人だ。


 さっきからずっと、護衛の氷上零が彼女を鋭いまなざしで見つめている。鮎川の時と同じように考えているのだろうか? ましろ先輩にキスする予定は今のところはないから、杞憂なのだが。


 ため息をついて怒りを収めた。


「まぁいい。どうでもいいから早く帰れ」

「いいわ! そこまで言うなら勝負してあげるッ!」


 と、まったく話が通じない。ブタに人間の言葉は難しいようだ。


「カズが美術部に入るっていうなら『絵』で勝負よ! カズは、そこのブスを描く! んで荒田は、アタシを描く! どっちの絵がカワイイか、美術部員たちに審査してもらいましょ!」


 ブタは荒田の腕を強引に引っ張った。荒田はすっかり鼻の下を伸ばしている。ブタに気に入られて喜ぶとは、なかなかマニアックな趣味だな。


 ましろ先輩はきょとん、としている。おそらく、ブタの意図するところがわからないのだろう。部員たちも同じく、意外な成り行きに呆気にとられているように見える。


 だが、俺にはわかる。


 長い付き合いでわかってしまう。


 このブタの意図は――ようするに、「アタシのほうが可愛いでしょっ!?」と、俺に認めさせたいのだ。俺がましろ先輩を描いて、その絵を美術部員たちに貶させる。荒田が描いた自分の絵を、褒めさせる。「ね? カズもアタシを描けば良かったのにィ!!」という風に、勝ち誇りたいのである。


 描き手の腕なんかは考慮してない。


 普通は考慮すると思うのだが、このブタはしない。たとえ幼稚園児のラクガキでも「モデルがアタシなら最高にカワイクなる!」と信じて疑わない。脳みそがハチミツ漬けなのである。


 もっとも、描き手の腕を考慮したところで、結果は同じか。


 美術部の特待生である荒田と、仮入部の俺では、比較にもならない――という風に、誰もが考えるだろう。


 その荒田はすっかり乗り気のようだ。


「さすが瑠亜姫、ナイスアイディア! 帝皇戦前のいい肩ならしじゃん。なァおい、逃げんなよ1年? ましろもいいよな?」

「あたしは構わないけど、でもっ……」


 ましろ先輩がちらりと俺を見る。心配してくれているのが伝わる。自分が誹謗されたことよりも、まず他人のことを思いやれる人なのだ。


 ブタと関わりたくない俺からしてみれば、本来、こんな勝負は受ける理由がない。


 だが、今回ばかりは「例外」としよう。


 優しい先輩のことをブスブス言うブタはもちろん――この荒田とかいう男のましろ先輩への態度も度が過ぎている。


「幼なじみに虐げられる」なんて構図は、正さなくっちゃな。


「わかった。その勝負、受けてやる」

「決まりねッ!」


 ブタさんがニヤリと笑う。


「1週間後のこの時間までに絵を描き上げて、美術室に来ること! アタシが勝ったら、カズはアタシに泣いてワビいれて復縁するのよ! いいわねッ!?」

「わかったから、さっさと帰れ」

「くふふ、今から1週間後が待ち遠しいわァ!! カズ、土下座の準備しておきなさいッ! 『瑠亜ちゃん俺が悪かった許してくれ心を入れ替えるから許してくれ復縁してえええええッッ!!』って泣きながらおでこを床に擦りつける練習をねェッ! ッシャッシャッむぐぅっゴホガホゴホォッ!」


 笑いすぎてむせてしまうブタさんであった。


 あー、うるさい。





 高笑いとともにブタが去って行った後のことである。


「ごめんねぇ、和真くん。あたしなんかを描くことになっちゃって」


 ましろ先輩が申し訳なさそうに謝った。


 もう他の美術部員たちは帰ってしまって、部屋には俺たちしか残っていない。


「あのブタの言ったこと、気にしてるんですか?」

「ぶ、ブタって瑠亜さんのこと?」

「他に誰がいるんですか?」


 前も甘音ちゃんとこんなやり取りしたなぁ。


「あんなブタなんかより、先輩のほうがよっぽど可愛いですよ」

「っ、そ、それはないよう。超人気声優の瑠亜姫と、あたしなんかじゃ、誰に聞いても……」

「『誰』じゃなくて。『俺』が言ってるんです」


 優しい先輩のことを、まっすぐに見つめた。


「先輩は、とても可愛いです。もし俺が負けたら、それは俺の絵がへたくそってことです」


 マシュマロのように色白の頬が、みるみる紅く染まった。


 ふかふかの胸の前で、モチャモチャ小さな手を絡ませて。


「……ありがとう」って、サクランボみたいな唇でつぶやいて。


 うん。


 やっぱり、可愛い。


「ていうか、謝るのは俺のほうです。巻き込んじゃってすみません」

「ううん。あたしは別に構わないんだけど。和真くん、絵は得意なの?」

「小学校からずーっと、美術の成績は3でした」


 そっか、と先輩はため息をつく。


「コウちゃんはすごく上手いよ。特待生になるくらいだもん。しかもモデルは瑠亜さんだし、ちょっと勝ち目はナイかも」

「やってみなきゃわからないですよ。今までずっと、本気で絵を描いたことはなかったんです。だけど、今回は燃えてます」

「瑠亜さんとの勝負だから?」

「や、アレはどうでもいいんですが」


 本気でどうでも良かった。


「先輩の可愛さをどれだけ俺が引き出せるのか、やってみたいんです」

「……もう、また、そんな……」


 照れ半分、戸惑い半分のような表情を先輩は浮かべた。


「瑠亜さんが言った通り、あたしブスだもん。トロくさいし、ドンくさいし、昔からそう。いつもコウちゃんに叱られてたの」

「あの男の目が曇ってるだけでしょ」


 こんなに可愛くて、優しくて、絵も上手いのに。


 幼なじみに貶され続けて、自信を失っている。


 ……重なる。


 絶縁前の、俺自身に重なる。


 負けるわけにはいかない。


「先輩の可愛さ、俺が引き出してみせます」

「……もうっ、和真くん……そういうの、真顔で言うの、ずるいぃ……」


 ふにゃふにゃと唇を波打たせて、先輩は沈黙した。



 もう、このままでも十分可愛いんだけど……。



 きっと、この人は、もっと可愛い。

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