42 新学期なので仮入部したら幼馴染みまでついてきた
怒濤の勢いで夏休みは過ぎ去った。
あっという間だった。
時間がすぎるのを早く感じるのは充実している証拠だと、師匠がむかし言っていた。その通りだと思う。俺の人生でこんな短い夏休みはなかった。だけど、思い出はたくさんできた。バイトに遊びに、花火大会に、毎日忙しく楽しくすごすことができた。
ただ一点――。
俺の行く先々にいちいち現われた金髪ブタ野郎が、目障りといえば目障りである。
まぁ、徹底してスルーしてやったので実害がないといえばないのだが――甘音ちゃんと行った縁日で「迷子扱い」されたのが腹立たしい。迷子はお前だろ。常に迷走してるくせに。
ともあれ、夏休みは終わった。
二学期の開始である。
◆
「和真君。貴方は部活に入るべきよ」
二学期初日の放課後。
今日も今日とて地下書庫で読書中の俺に向かって、胡蝶涼華会長が言った。まだまだ蒸し暑い中、冷房もない地下書庫までわざわざ来てくれている。甘音ちゃんは収録のため帰ったので、二人きりだ。
「貴方のその才能、眠らせておくのは惜しいわよ。何か興味のある分野はないの? スポーツでも芸術でもなんでもいいから」
少し考えてから答えた。
「特別これ、というのはないですね。でも、何かやってみるのは悪くないって思います」
「良かった。その気はあるのね?」
「はい」
あのブタと絶縁した今、俺は何をするのも自由だ。バイトも経験したし、次は部活を経験してみるのも良いだろう。
「じゃあ、美術部に仮入部してみない? 部長とは中等部から友達だから、話が通しやすいの。和真君、絵は好き?」
「好きですよ。小学校の時、母親の絵を描いて先生に褒められたことがあります」
いい先生だった。あのブタのお付きということで、腫れ物のように扱われていた俺のことを、普通の生徒として扱ってくれた。俺の絵を上手だと褒めてくれた。そしてその翌日、先生は唐突に休職した。「産休」とのことだった。男性教師なのに。しばらく経ってから、遠くの学校へ転勤したと聞かされた。ブタの一族が手を回したのか、あるいは校長が「忖度」したのだろう。
過去はどうあれ――。
「じゃあ、決まりね。明日から仮入部よ」
自分のことのように嬉しそうな会長の顔を見ていると、頑張ろうって気になれる。
部活動、せいいっぱいやってみよう
◆
翌日の放課後。
帝皇戦を目前に控えて、校内は活気に満ちていた。運動部の練習には熱が入り、文化部も作品を仕上げる追い込みの時期に入っている。
俺が仮入部する美術部も例外ではない。
20名以上の部員たちが美術部に集まって、キャンパスと真剣な顔で向かい合っていた。
右も左もわからない新入部員(仮)の指導についてくれたのは、二年生の女子だった。
「綿木(わたぎ)ましろです。よろしくねぇ、鈴木くんっ」
マシュマロみたいだな、というのが第一印象。
ぽっちゃりしていて、色白で、ふわふわとした綿菓子みたいな髪をしている。ほんわか、頷くたびにその髪が揺れるのが目に優しかった。やわらかそうな女の子。
「とりあえず、今日はわたしの横で見学しててくれる? いま、ちょうど仕上げに入ってるから」
「わかりました」
隣に椅子を置いて、先輩の筆遣いに見入った。この近くにある雲晴(くもはらし)海岸の水彩画を描いている。鮮やかな色とダイナミックな筆遣いで、県内有数の名所が見事に表現されていた。
「すごいですね、先輩」
「へ、何が?」
「絵のことはよくわからないですけど、なんていうか、ガツンと来ます」
「あはは、がつん?」
「ガツン、です」
専門的なことはわからないが、脳みそに絵のイメージが焼き付く感じがする。
「すいません。口べたで」
「ううん。うれしいよ。鈴木くんの感性、あたし好きかも」
「和真でいいですよ」
「えへ。じゃあ、あたしのこともましろで」
ほんわかと微笑むましろ先輩。
この可愛らしい人が、こんな大胆な絵を描くなんて。
美術ってちょっと面白いかもな……。
「でもね、これ、わたしの絵じゃないんだぁ」
「そうなんですか?」
代筆ってことだろうか? ゴーストライターならぬ、ゴーストペインター?
「部活動なんだから、自分で描かないと意味ないんじゃ?」
「……うん、まぁ、そうなんだけどね。幼なじみのためだから」
明るいましろ先輩の顔が曇った。
聞いちゃいけないことだったんだろうか。
幼なじみ。
俺にとっても、良い思い出のない言葉だけれど――。
その時、美術室後方のドアが大きな音を立てて開いた。びくっ、と部員たちの肩が小さく跳ねる。現われたのは、短い赤髪でガタイのいい男子生徒。ジロリと周りを見回すと、部員たちはあわてて目を伏せた。
「あ、コウちゃん……」
つぶやくましろ先輩のところに、赤髪はずかずか近寄ってきた。
「おいましろ。オレの絵、もう描けたのかよ?」
「う、うん……たぶん、明日じゅうには」
「は? 今日じゅうに仕上げろって言っただろうが。ったく、どんくせえなあオマエは昔っから」
どうやら旧知の仲らしいが、ずいぶん横柄な態度だ。
赤髪はジロリと俺に視線をやった。
「誰だ、オマエ? なんでましろの隣にいるんだ?」
「あ、か、彼はね、仮入部の……」
「ましろには聞いてねえ。黙ってろ」
偉そうに見下ろしてくる。
ケンカ、売られてるんだろうか?
「1年1組の鈴木和真です。今日から仮入部したので、ましろ先輩に色々教えてもらってます」
「そうか。じゃあ、今日で退部しろ」
固く握り締めた拳を、俺の鼻先に突きつけてきた。空手の握りではない。バンテージを巻いた跡が指についている。ボクサー、それもヘビー級か。
だらしなく着崩した制服のシャツには、金バッチが光っている。とっくにバッチ制度は廃止されたというのに、これ見よがしに。つまり、そういう人種なのだ。
「ましろは忙しいんだよ。オマエみたいなカスに構ってるヒマはねえ」
「や、やめてコウちゃんっ」
「黙ってろって言ってんだろ!!」
びくっ、とましろ先輩は肩を竦ませる。
他の部員たちも、触らぬ神に祟り無しとばかりに無視している。
「ましろ。オマエいつからオレに命令できる立場になったんだ?」
「……ごめん、なさい……」
「オマエはトロくて、ナニやってもへたくそなんだからよ。黙ってオレの手伝いだけしてりゃぁイイんだ」
ましろ先輩はしょげかえってしまった。
互いの呼び方からして、どうやら二人は「幼なじみ」のようだけれど……。
赤髪が、ずい、と俺に顔を近づけてきた。
「出て行かねえなら、オレが追いだしてやろうか?」
「先輩は、ボクサーじゃないんですか? 何故美術部に?」
ボクサーであることを言い当てたが、赤髪は驚かなかった。自分のことは知られてて当然、そんな傲慢さが見える。
「兼部してんだよ。『武芸両道の天才』荒木興二(あらき・こうじ)ってのは、オレのことだ」
ああ――こいつがそうなのか。
将来はオリンピックも狙えるという天才ボクサーが、二年生にいるっていう話。さらに絵画コンクールでも有名な賞を取っていて、新聞やニュースで取り上げられていたのを見たことがある。
絵の腕前は知らないが、ボクシングの方は大したもののようだ。面構えや筋肉のつき具合から見て、非常に優秀なアスリートであることはわかる。そう、アスリート。スポーツ選手である。
最近じゃあ、スポーツのことを「武」と呼ぶらしい。
……ふうん。
「痛い目見たくなきゃ、さっさと出て行け。それともオレにぶっとばされたいか?」
ニヤリと笑って、黄ばんだ歯を見せる。
やつの殺気が、イメージとして伝わってくる。俺のボディに強烈なブローを食らわせようとしている。本気で殴るつもりらしい。その殺気が、まなざしからギラギラと伝わってきた。
そっちがそのつもりなら――。
こっちは〝こう〟かな。
ガツン。
「っっ?!」
赤髪が全身を戦慄かせた。
好戦的な笑みが凍りつき、その顔に怯えが走る。
俺をサンドバッグにする「絵」を描いてくるから、そこに上書きしてやったのだ。ご自慢のボディーブローでびくともしないサンドバッグ。それどころか、反撃のアッパーカットを繰り出してきて、『ガツン』と顎の骨が砕かれる己の「絵」を。
そのイメージを、赤髪の脳裏に描いてやったのだ。
「……っ、お、オマエ、何だ今のは!?」
「人を殴ることはできても、殴られる覚悟はないみたいですね」
伝わるということは、こいつもそれなりの使い手ということだ。さすがオリンピック。すごいすごい。
ところが赤髪は、自分の勘を信じようとはしなかった。
「表に出ろ!! 徹底的にぶちのめしてやる!!」
愚かだ。
せっかく「野生」が逆らってはいけない相手を教えてくれているのに、安いプライドを優先させている。
「も、もうやめてようっ。コウちゃん! ね?」
先輩は、泣きそうな顔で必死に俺をかばってくれる。不謹慎だけど、その顔がとても可愛いと思ってしまった。庇護欲をくすぐられる。甘音ちゃんとも鮎川とも違う、出会ったことのないタイプの女の子だ。
――と、その時である。
「はろはろ~~~ん♪ カズぅ~~~!!」
忌まわしい声とともに入ってきたのは、クソったれのブタ野郎。
護衛の氷上零(ひかみ・れい)を引き連れて、金髪を汚らしくなびかせて、堂々のご入来(にゅうらい)である。
「美術部に入ったって聞いたわん♪ だからアタシが様子を見に来てあげたの♪ うふふ、尽くす女って感じでアタシヤバッ♥ って、何目ぇ逸らしてンの? ああわかった、ひさしぶりに瑠亜ちゃんに会って恥ずかしいんでしょ? カズったらもう童貞丸出しでウーケーるーwww」
うざい。果てしなくうざい。
「ところで、誰よその女!? ブスね!!」
……こいつ……。
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