42 新学期なので仮入部したら幼馴染みまでついてきた


 怒濤の勢いで夏休みは過ぎ去った。


 あっという間だった。


 時間がすぎるのを早く感じるのは充実している証拠だと、師匠がむかし言っていた。その通りだと思う。俺の人生でこんな短い夏休みはなかった。だけど、思い出はたくさんできた。バイトに遊びに、花火大会に、毎日忙しく楽しくすごすことができた。


 ただ一点――。


 俺の行く先々にいちいち現われた金髪ブタ野郎が、目障りといえば目障りである。


 まぁ、徹底してスルーしてやったので実害がないといえばないのだが――甘音ちゃんと行った縁日で「迷子扱い」されたのが腹立たしい。迷子はお前だろ。常に迷走してるくせに。


 ともあれ、夏休みは終わった。


 二学期の開始である。







「和真君。貴方は部活に入るべきよ」



 二学期初日の放課後。



 今日も今日とて地下書庫で読書中の俺に向かって、胡蝶涼華会長が言った。まだまだ蒸し暑い中、冷房もない地下書庫までわざわざ来てくれている。甘音ちゃんは収録のため帰ったので、二人きりだ。


「貴方のその才能、眠らせておくのは惜しいわよ。何か興味のある分野はないの? スポーツでも芸術でもなんでもいいから」


 少し考えてから答えた。


「特別これ、というのはないですね。でも、何かやってみるのは悪くないって思います」

「良かった。その気はあるのね?」

「はい」


 あのブタと絶縁した今、俺は何をするのも自由だ。バイトも経験したし、次は部活を経験してみるのも良いだろう。


「じゃあ、美術部に仮入部してみない? 部長とは中等部から友達だから、話が通しやすいの。和真君、絵は好き?」

「好きですよ。小学校の時、母親の絵を描いて先生に褒められたことがあります」


 いい先生だった。あのブタのお付きということで、腫れ物のように扱われていた俺のことを、普通の生徒として扱ってくれた。俺の絵を上手だと褒めてくれた。そしてその翌日、先生は唐突に休職した。「産休」とのことだった。男性教師なのに。しばらく経ってから、遠くの学校へ転勤したと聞かされた。ブタの一族が手を回したのか、あるいは校長が「忖度」したのだろう。


 過去はどうあれ――。


「じゃあ、決まりね。明日から仮入部よ」


 自分のことのように嬉しそうな会長の顔を見ていると、頑張ろうって気になれる。


 部活動、せいいっぱいやってみよう






 翌日の放課後。


 帝皇戦を目前に控えて、校内は活気に満ちていた。運動部の練習には熱が入り、文化部も作品を仕上げる追い込みの時期に入っている。


 俺が仮入部する美術部も例外ではない。


 20名以上の部員たちが美術部に集まって、キャンパスと真剣な顔で向かい合っていた。


 右も左もわからない新入部員(仮)の指導についてくれたのは、二年生の女子だった。


「綿木(わたぎ)ましろです。よろしくねぇ、鈴木くんっ」


 マシュマロみたいだな、というのが第一印象。


 ぽっちゃりしていて、色白で、ふわふわとした綿菓子みたいな髪をしている。ほんわか、頷くたびにその髪が揺れるのが目に優しかった。やわらかそうな女の子。


「とりあえず、今日はわたしの横で見学しててくれる? いま、ちょうど仕上げに入ってるから」

「わかりました」


 隣に椅子を置いて、先輩の筆遣いに見入った。この近くにある雲晴(くもはらし)海岸の水彩画を描いている。鮮やかな色とダイナミックな筆遣いで、県内有数の名所が見事に表現されていた。


「すごいですね、先輩」

「へ、何が?」

「絵のことはよくわからないですけど、なんていうか、ガツンと来ます」

「あはは、がつん?」

「ガツン、です」


 専門的なことはわからないが、脳みそに絵のイメージが焼き付く感じがする。


「すいません。口べたで」

「ううん。うれしいよ。鈴木くんの感性、あたし好きかも」

「和真でいいですよ」

「えへ。じゃあ、あたしのこともましろで」


 ほんわかと微笑むましろ先輩。


 この可愛らしい人が、こんな大胆な絵を描くなんて。


 美術ってちょっと面白いかもな……。


「でもね、これ、わたしの絵じゃないんだぁ」

「そうなんですか?」


 代筆ってことだろうか? ゴーストライターならぬ、ゴーストペインター?


「部活動なんだから、自分で描かないと意味ないんじゃ?」

「……うん、まぁ、そうなんだけどね。幼なじみのためだから」


 明るいましろ先輩の顔が曇った。


 聞いちゃいけないことだったんだろうか。


 幼なじみ。


 俺にとっても、良い思い出のない言葉だけれど――。


 その時、美術室後方のドアが大きな音を立てて開いた。びくっ、と部員たちの肩が小さく跳ねる。現われたのは、短い赤髪でガタイのいい男子生徒。ジロリと周りを見回すと、部員たちはあわてて目を伏せた。


「あ、コウちゃん……」


 つぶやくましろ先輩のところに、赤髪はずかずか近寄ってきた。


「おいましろ。オレの絵、もう描けたのかよ?」

「う、うん……たぶん、明日じゅうには」

「は? 今日じゅうに仕上げろって言っただろうが。ったく、どんくせえなあオマエは昔っから」


 どうやら旧知の仲らしいが、ずいぶん横柄な態度だ。


 赤髪はジロリと俺に視線をやった。


「誰だ、オマエ? なんでましろの隣にいるんだ?」

「あ、か、彼はね、仮入部の……」

「ましろには聞いてねえ。黙ってろ」


 偉そうに見下ろしてくる。


 ケンカ、売られてるんだろうか?


「1年1組の鈴木和真です。今日から仮入部したので、ましろ先輩に色々教えてもらってます」

「そうか。じゃあ、今日で退部しろ」


 固く握り締めた拳を、俺の鼻先に突きつけてきた。空手の握りではない。バンテージを巻いた跡が指についている。ボクサー、それもヘビー級か。


 だらしなく着崩した制服のシャツには、金バッチが光っている。とっくにバッチ制度は廃止されたというのに、これ見よがしに。つまり、そういう人種なのだ。


「ましろは忙しいんだよ。オマエみたいなカスに構ってるヒマはねえ」

「や、やめてコウちゃんっ」

「黙ってろって言ってんだろ!!」


 びくっ、とましろ先輩は肩を竦ませる。


 他の部員たちも、触らぬ神に祟り無しとばかりに無視している。


「ましろ。オマエいつからオレに命令できる立場になったんだ?」

「……ごめん、なさい……」

「オマエはトロくて、ナニやってもへたくそなんだからよ。黙ってオレの手伝いだけしてりゃぁイイんだ」


 ましろ先輩はしょげかえってしまった。


 互いの呼び方からして、どうやら二人は「幼なじみ」のようだけれど……。


 赤髪が、ずい、と俺に顔を近づけてきた。


「出て行かねえなら、オレが追いだしてやろうか?」

「先輩は、ボクサーじゃないんですか? 何故美術部に?」


 ボクサーであることを言い当てたが、赤髪は驚かなかった。自分のことは知られてて当然、そんな傲慢さが見える。


「兼部してんだよ。『武芸両道の天才』荒木興二(あらき・こうじ)ってのは、オレのことだ」


 ああ――こいつがそうなのか。


 将来はオリンピックも狙えるという天才ボクサーが、二年生にいるっていう話。さらに絵画コンクールでも有名な賞を取っていて、新聞やニュースで取り上げられていたのを見たことがある。


 絵の腕前は知らないが、ボクシングの方は大したもののようだ。面構えや筋肉のつき具合から見て、非常に優秀なアスリートであることはわかる。そう、アスリート。スポーツ選手である。


 最近じゃあ、スポーツのことを「武」と呼ぶらしい。


 ……ふうん。


「痛い目見たくなきゃ、さっさと出て行け。それともオレにぶっとばされたいか?」


 ニヤリと笑って、黄ばんだ歯を見せる。


 やつの殺気が、イメージとして伝わってくる。俺のボディに強烈なブローを食らわせようとしている。本気で殴るつもりらしい。その殺気が、まなざしからギラギラと伝わってきた。


 そっちがそのつもりなら――。


 こっちは〝こう〟かな。


 ガツン。




「っっ?!」




 赤髪が全身を戦慄かせた。


 好戦的な笑みが凍りつき、その顔に怯えが走る。


 俺をサンドバッグにする「絵」を描いてくるから、そこに上書きしてやったのだ。ご自慢のボディーブローでびくともしないサンドバッグ。それどころか、反撃のアッパーカットを繰り出してきて、『ガツン』と顎の骨が砕かれる己の「絵」を。


 そのイメージを、赤髪の脳裏に描いてやったのだ。


「……っ、お、オマエ、何だ今のは!?」

「人を殴ることはできても、殴られる覚悟はないみたいですね」


 伝わるということは、こいつもそれなりの使い手ということだ。さすがオリンピック。すごいすごい。


 ところが赤髪は、自分の勘を信じようとはしなかった。


「表に出ろ!! 徹底的にぶちのめしてやる!!」


 愚かだ。


 せっかく「野生」が逆らってはいけない相手を教えてくれているのに、安いプライドを優先させている。


「も、もうやめてようっ。コウちゃん! ね?」


 先輩は、泣きそうな顔で必死に俺をかばってくれる。不謹慎だけど、その顔がとても可愛いと思ってしまった。庇護欲をくすぐられる。甘音ちゃんとも鮎川とも違う、出会ったことのないタイプの女の子だ。



 ――と、その時である。




「はろはろ~~~ん♪ カズぅ~~~!!」




 忌まわしい声とともに入ってきたのは、クソったれのブタ野郎。


 護衛の氷上零(ひかみ・れい)を引き連れて、金髪を汚らしくなびかせて、堂々のご入来(にゅうらい)である。



「美術部に入ったって聞いたわん♪ だからアタシが様子を見に来てあげたの♪ うふふ、尽くす女って感じでアタシヤバッ♥ って、何目ぇ逸らしてンの? ああわかった、ひさしぶりに瑠亜ちゃんに会って恥ずかしいんでしょ? カズったらもう童貞丸出しでウーケーるーwww」



 うざい。果てしなくうざい。



「ところで、誰よその女!? ブスね!!」



 ……こいつ……。


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