44 笑顔
高屋敷瑠亜&荒田興二 VS 綿木ましろ&鈴木和真。
絵で対決。
この対決はたちまちニュースとなって校内を駆け巡り、生徒たちの噂するところとなった。
「ねえ和にぃ。それって絶対フェアじゃないよね?」
そう言ってくれたのは、「演劇の天才」こと白鷺イサミ。
よく晴れたお昼。
校舎裏の花壇で二人きりのランチのとき、そんな風に心配してくれた。
「だって、相手は瑠亜さんをモデルにして描くんでしょ? 学園一の権力者の絵を貶せる人なんて、この学校にいるはずないじゃない」
くりっとした目が俺を間近から覗き込む。二人きりの時はこんな風に距離が近い。他人が見たら同性愛を疑われるところだが、いっちゃんの正体は男装の美少女。だから問題ない――いや、それはそれで別の問題になりそうか。
「そうだな。ちょっと分が悪いかもな」
「もう、そんな他人事みたいに」
あんぱんをかじる俺を、いっちゃんがにらむ。
「負けたら、瑠亜さんと復縁しちゃうって……ホント?」
いっちゃんが心配してるのはそこらしい。妬いているのかもしれない。拗ねたように唇をとがらせているのが、不謹慎だけど、とても可愛い。
「もしあのブタと復縁することになったら、国外にでも逃げるさ」
「そ、その時は、ボクもついていくからね!!」
「それは困るだろ。演劇部が」
看板俳優を連れて駆け落ちなんかしたら、彼女たちに一生恨まれそうだ。
「どうしてそんな勝負を受けたの? スルーすれば良かったのに。和にぃらしくないよ」
「うん……」
確かに、らしくなかったかもしれない。
だけど、放っておけなかった。
幼なじみに酷い扱いを受けているましろ先輩のことを、どうしても見過ごせなかったのだ。
「ああ。ボクが美術部員だったら、和にぃに一人で100票入れるのに!」
「はは、それじゃあズルだよ」
いっちゃんの気持ちは嬉しいけれど、それじゃあブタと同じになってしまう。
ましろ先輩と二人で、正々堂々挑むつもりだ。
◆
放課後。
地下書庫で、さっそく絵を描き始めた。
ましろ先輩にはパイプ椅子に座ってもらって、鉛筆でスケッチする。水彩画にするつもりだが、まずは下書きからだ。
「えへへ。なんか自分がモデルって、きんちょーするね」
照れくさそうに笑う先輩。そんな風にモジモジされると描きづらいが、これはこれで可愛いのが悩ましい。
「でも本当に水彩で描くの? 油絵と違って色の塗り直しができないから一発勝負になるよ?」
「油絵、描いたことないんです。水彩画なら小学校の授業で習ったから」
うーん。我ながら素人まるだし。
ただ、一番の理由は別にあって、
「何より俺、水彩で描きたいんですよ。先輩が昨日見せてくれた水彩画、とても綺麗だったから。あんな風にガツンと来る絵が描きたいんです」
「……あたしの絵なんて、たいしたことないよ……」
もごもごと、先輩は口ごもってしまった。
照れているのもあるだろうけれど――そこには、何か「遠慮」があるように見えた。
「先輩。ひとつ聞いていいですか?」
「うん。なあに?」
「あの荒木改め荒田っていう人とは、幼なじみなんですよね?」
「……だよ。家がお隣同士なんだ」
先輩の明るい表情が、わずかに翳る。
「荒田って人は、ずいぶんすごいんですね。オリンピック級のボクサーで、しかも絵画コンクールでいくつも賞を獲ってて」
「うん。コウちゃんは天才だから」
「ボクシングのほうは確かに。でも、絵の方は違うんじゃないですか?」
先輩は困ったように首を傾げた。
「何が言いたいのかな?」
「絵の方は、先輩がかなり手伝ってるんですよね?」
「ちょっとだけだよ。コウちゃんはボクシングで忙しいから、ほんのちょっとだけ」
「本当に? 実はほとんど先輩が描いてあげてるんじゃないですか?」
先輩は沈黙した。
地下書庫に重たい空気が満ちる。
長いため息が聞こえた。
「……そうだよ。先生も美術部員も、みんな知ってることだけど」
「公然の秘密ってやつですね。だけど、どうしてそんなことを?」
「そのほうが、宣伝になるからだよ」
先輩は力なく微笑んだ。
「この学校の方針はわかってるでしょ? 『天才学園』。帝開学園にはすごい天才たちがいるって、世の中に知らしめなきゃいけないんだよ。そのために必要なのは、あたしじゃなくてコウちゃん。武芸両道の天才。その方が目立つし宣伝になる。ボクシング部や学校とも話し合って、そういうことになったんだよ」
「なるほどね」
ブタが支配するこの学園らしい偽装(プロデュース)である。
派手な容姿とボクサーとしての才能・実績を持つ荒田を「天才画家」に仕立て上げたほうが、耳目を集めるニュースになるということだ。
だが、本当にそうだろうか?
「俺は、先輩のほうがいいと思いますけどね」
「駄目だよ、あたしなんて」
「あの素敵な絵を描いたのは先輩みたいな可愛い人だって、世間が知ったら」
「だめだよっ!!」
先輩は大声を出した。
自分で自分の出した声に驚いているような顔を見せた。それから、うつむいた。
「……だめだよ。あたしみたいなドンくさい子じゃ、だめだよ。瑠亜さんみたいに綺麗で可愛い子だったら良かったけど、あたしじゃ、だめ」
俺は静かに聞いた。
「それは、本当に先輩の意見ですか?」
「…………」
「子供の時から、ずっと、そんな風に刷り込まれてたんじゃないですか? 『コウちゃん』に。先輩を自分の言いなりにするため、ずーっと、そうやって言い聞かせてたんじゃ?」
毒親やDV夫が、子供や妻を支配するためによくやる手。「お前にはなんの取り柄もない」「俺がいないと駄目なんだ」そんな風に刷り込んで洗脳する。
人間は計画的に、あるいは無意識に、そういうことをやる。
醜い生き物だ。
だけど、彼女は違う。
「コウちゃんもね、優しいところがあるんだよ」
消え入りそうな声で、先輩は言った。
「小一の時、公園で仲間外れにされてたあたしの手をひいて、仲間に入れてくれたの。とても、嬉しかった。嬉しかったの……」
「『コウちゃん』が優しかったことは、他にありますか?」
「あるよ? えっと、えっと……」
先輩はしばらく「えっと」を繰り返した。
何も出てこなかった。
また、力なく笑った。
「……あは、思い出せないや……」
「描きます」
おしゃべりで中断していたスケッチを、俺は再開した。
「だから、先輩。笑ってください。そんな力のない微笑みじゃなくて、昨日見せてくれた満開の笑みを。世界一可愛い笑顔を」
絵を褒めた時に、笑ってくれた先輩の顔は――とてもまぶしくて。
あの笑顔なら、この地球のどんな美少女にも勝る。
「ほんと、和真くんは大げさだなぁ」
すん、と先輩は鼻をすすった。
「そんなこと言われたら、笑えない……涙が出てきちゃうよ……」
◆
それから五日が経過した。
ましろ先輩には、毎日放課後に30分だけ時間を割いてもらった。先輩は先輩で帝皇戦の準備があるのだ。スケッチが終わってしまえば、ずっとモデルを見ていなくても良い。もう水彩で色を塗る段階に入っている。
勝負の日である月曜、その前の夜――。
日曜の学校に居残って作業をしていた俺のところに、来客があった。
桜色の着流し姿。
足音も立てず、ゆらりと地下書庫に現われたのだ。
「やっほ~。和(かず)くん~」
いつもながらの、呑気な声。
我が師匠にして十傑筆頭、高屋敷美羅(たかやしき・みら)である。
「こんばんは師匠。どうしたんですかこんなところに」
「ちょっとね~。なんか、瑠亜ちゃんと絵の勝負するって小耳にはさんだから~。それがそうなの?」
俺の前にあるキャンパスを見つけて、近寄ってきた。
「どれどれ。ちょっとはいけ~ん。……………………っ!??!!?!?」
絵をひと目見るなり、師匠は絶句した。
しばらく魅入られたように固まっていた。
「………………。この絵の、タイトルは?」
「『笑顔』」
「なるほどね。キミってやつは、まったく……もう、まったく……なんて、なんて……」
師匠はさかんに首を振っていた。
「実はね、今日は〝警告〟に来たの~」
「はあ」
「昨日、スイスから五人の傭兵さんが入国したのよ。大きなサーフボードと一緒にね~。空港の税関は何故かのーちぇっく~。わざわざ御前が手を回してたみたい」
「サーフィンを楽しみに来日したわけじゃなさそうですね」
師匠は頷いた。
「瑠亜ちゃんの性格は知ってるわよね~? すっごい負けず嫌い。そして手段はえらばな~い。しかも今回は和くんとの復縁がかかってるんだもん。何がなんでも100%勝つつもりよ~」
「もし、負けたら?」
「そのときは、サーフボードの〝中身〟が火を噴くんでしょうね~」
あのブタなら、そこまでやるだろう。
「五人ともプロ中のプロよ~。今回ばかりはいくら和くんでも無理だと思うわ~。キミ一人ならいくらでも生き残れるだろうけど、美術部の子たちまで守り切るのは無理~」
「やってみなきゃわかりませんよ」
師匠は小さなため息をついた。
「ま、和くんならそう言うと思ったけどぉ~」
「不肖の弟子で、すみません」
素直に謝った。この人にはいつも迷惑のかけ通しである。
「今日、ここに来たことは瑠亜ちゃんには内緒ね~?」
「わかってます」
「それから〝忘れ物〟をしていくけれど。それも、内緒ね~?」
「……?」
奇妙なことを言い残して、師匠は去って行った。
地下書庫に残されたのは、師匠の髪から漂う桜の残り香と、そして――。
「……!」
ひとふりの、杖。
白木(しらき)でこしらえた長杖が、入り口の扉の横に置かれていた。
手にとってみる。
見た目以上にずっしりと重い。懐かしい感触だ。十傑として現役だった時、こいつに何度死地を救われたことか。
その名を――〝孤狼(ころう)〟。
俺の相棒である。
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