34 凡人なのに「天才会議」に呼ばれてしまった
ブタさんと人形が店を出て行った。
その間際、ブタさんが投げキッスをかましてきたので、バク宙してかわした。「もうカズったら、また照れちゃって♥」。照れてねえ。照れてバク宙なんかしねえ。それを見た鮎川が目を丸くする。くそ。またしても普通じゃないところを見られてしまった。
「さぁて、と」
仕切り直すかのように、高屋敷美羅(たかやしき・みら)は言った。
こうして向かい合っていると、まったく普通にしか見えない。普通の、おっとり美人だ。
だが、その正体はどうか?
俺が知る限り、彼女は世界で五本の指に入る〝合気〟の達人だ。
それなのに「普通」にしか見えないというのが、どれほど規格外のことなのか――。
いずれ俺も、あの境地まで辿り着きたいものだ。
「ねえ和(かず)くん。いちおう聞いておくけれど~」
「はい師匠」
「…………あれ~? なに聞こうと思ったんだっけ~?」
「…………」
知らんがな。
まぁ、この人はいつもこんな感じだけれど。昔から。
「ああ思いだした。和くんは、もう高屋敷家に戻る気はないの~?」
「ありません」
そう答えるのに、なんの躊躇いもない。
「御前(ごぜん)は、あなたのことあきらめてないわよ? 何がなんでも瑠亜ちゃんの婿にするつもりだと思うけど~」
「迷惑です」
「そうはいっても、この国で一番の権力者だからねえ~。これから大変よ~?」
「覚悟の上で、絶縁したんです」
師匠は扇子で口元を隠し、ため息をついた。
「本当に解けちゃったのね。『服従の洗脳』。簡単には解けないようになってるはずなんだけどなぁ? よほどの術士に出会ったのね」
「術士? 覚えがないですね」
「うそうそ~。いくら和くんでも、自力では絶対ムリよぉ。解除のキーワードを言わないと」
「キーワード?」
「そ。主(マスター)である瑠亜ちゃんが口にしないと、効果を発揮しないようになってるはず。絶縁の時、彼女に何か言われた?」
「『あんたと幼馴染ってだけでも嫌なのにw』」
師匠は扇子で自分のおでこを叩いた。
「絶対それよぉ~! 『主従関係の解除である』と和くんの脳が認識しちゃったのよ~! ああもう、なんでそんなこと言うかなぁ~瑠亜ちゃん!」
「そのつもりはなく、つい口にしたんでしょうね」
調子に乗ってるうちに、「超えちゃいけないライン」を踏み越えてしまったのだ。ブタさんあるある。ついさっきもクラスメイトを殺そうとしたように、その時のノリで、法律でもなんでも破ってしまう。
「どうします? 俺を連れ帰って、もう一度洗脳しますか?」
「おとなしく洗脳されてくれる~?」
「まさか」
せっかく手に入れた自由、手放せるわけがない。
「まぁ、もう手遅れだけどね。洗脳って、子供の時からずーっと刷り込んでいかないとできないし。高校生まで育っちゃったら、再洗脳はもうムリね~」
「あの零(れい)って子も、洗脳ずみなんですか?」
「そ。〝超神(ちょうじん)機関〟がSS評価つけた自信作なんだって」
「さっき、軽くボコッちゃいましたけど」
「…………。聞かなかったことにしよ~っと♪」
師匠はしれっと目を逸らした。
「洗脳が解けたことで、潜在能力の制限(リミッター)も外れていくと思うわ~。くれぐれも気をつけてね?」
「何か危険でも?」
「あなたが、じゃなくて周りが。ていうか、この世界が」
「そんな大げさな」
「大げさなものですか。和くんが全力を出したら、この日本が壊れちゃうでしょ」
ふうん。そうなのかな。
仮に本当でも、俺には関係ない。
「安心してください師匠。俺は普通に生きていくつもりです」
「普通ね~? あなたが〝普通〟ね~?」
師匠は俺の姿をじろじろと見つめた。めちゃめちゃ疑われている。
「じゃあ、そろそろ私帰るから~。今度は客として来たいわね~」
「ぜひ。師匠ならサービスしますよ」
「今度は、敵同士かもね」
「その時も、手加減(サービス)します」
「言うわねぇ~、この愛弟子クン!」
桜色の着流しの袖を振り、師匠は今度こそ帰っていった。
店内には、俺と鮎川だけが残された。
静まりかえった空気のなかで、鮎川がつぶやくように言った。
「なんか、すごかった……。あの師匠って人の話も、和真のス○ブラみたいな動きも、まるで現実感がないや」
「……」
スマ○ラって言われたのは初めてだな……。
「すまない。変な騒動に巻き込んで」
鮎川は笑って首を振った。
「元はといえば、あーしがまいた種だもん。あーしが、ずっと嘘ついてたからだもん。瑠亜が怒るのもわかるし、しかたないよ」
「あいつが出した条件、本当に呑むのか?」
「もちろん。もう一度特待生審査受ける。あーしのダンスで、もう一度奨学金勝ち取ってみせるよ」
だけど、と彼女は笑った。強がりの笑みだ。
「だけど、だけど…………和真とクラス別れちゃうのは、寂しい……かな」
俺はメイドの細い腰を抱き寄せた。
「大丈夫だよ。鮎川は強いから、大丈夫」
「……ウン……」
紅茶色の髪を優しく撫でながら言い聞かせた。
「ごめんね和真。あのカラオケの時のこと、ちゃんと謝ってなかった。あの時笑っちゃって、本当にごめん。あーしに、あんたと仲良くする資格なんかないのに」
「仲良くなるのに、資格がいるのか?」
胸の中に収めた温もりに問いかけた。
「俺には友達がいなかったから、わからないんだ。それが『普通』なのか? だとしたら、ずいぶんくそったれな普通もあったもんだ。鈴木和真は、鮎川彩加を尊敬している。仲良くなる理由はそれで十分だ」
鮎川は嬉しそうに微笑んだ後、まつげを伏せた。
「でもそれじゃあ、あーしの気が済まないの」
彼女らしい律儀さだった。ルックスは今どきのギャルそのものの彼女が、こんないじらしい誠実さを持っていることに、それを俺だけが知ってることに、喜びを覚える。
ならば――。
「じゃあ、ひとつ頼みがある。あのカラオケの時、俺は精一杯お洒落していったんだ。イケてる軍団の仲間に入りたくて、わざわざ美容院まで行って。俺的にはかっこいいつもりだったんだけど、笑われた。それは、俺がダサかったからだよな?」
「ん……。まぁ、ちょっと背伸びしすぎてたのかも。普通のお洒落で良かったと思う」
「そこだよ」
俺には「普通」がわからない。
だから。
「鮎川。俺を普通に、かっこよくしてくれないか? 『髪切って登校したらいきなりワーワー騒がれる』とかでなくていい。普通でいい。ふつーに、かっこよくして欲しい」
鮎川は笑顔になった
「まかせて! あーしが服と髪型コーディネイトしてあげる! 世界一かっこよくしてあげるから!」
「いや。世界一普通にしてくれ」
世界一の時点でもはや普通じゃない気もするが、まあいい。鮎川先生にお任せしよう。
「じゃあ、今度の休みにお出かけしようねっ。……えへへ」
鮎川は頬を赤らめて、俺の胸の中でもじもじした。メイド服と執事服が衣擦れの音を立てる。紅茶色の髪から漂う清潔な匂いに、異性を意識した。
「あの、さ。さっきの、キス、だけど……」
「ごめんな。強引にして。怒ってる?」
「それは、いいんだけどっ。いいんだけどっ……あーし、初めてだったから、さ……」
俺のすぐ目の前で、彼女の瞳が潤んでいる。
「ちゃんと、ムードある感じでやり直したいの……。ダメ?」
「いや。光栄だね」
嬉しそうに彼女が微笑む。
目を閉じるのを待ってから、唇を重ねた。
しばらく、溶け合っていた。
ゆっくり離すと、さっきより熱を帯びた瞳が俺を見つめていた。
「……ごめん、もう、いっかい……」
三度目は、目を閉じるのを待たずにした。
「…………も、いっ、かい…………」
四度目で、もつれ合うようにソファへ倒れ込んだ。
この夜。
俺は彼女に、五回の「初めて」を経験してもらった。
◆
バイトを終えて帰宅する、その暗い夜道。
ポケットの中でスマホが震動した。
画面に表示されていたのは生徒会長・胡蝶涼華(こちょう・すずか)先輩からのメッセージだった。
曰く――。
『親愛なる和真君へ』
『貴方に、我が帝開学園が誇る〝天才会議〟への出席を求めます』
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