33 幼馴染みのボディーガードと戦ってみた
対峙する。
人形のように無機質な美少女と向かい合う。
彼女――氷上零(ひかみ・れい)の取った構えは、「猫足立ち」。猫のように膝を曲げてかかとを浮かせ、重心を低くしてあらゆる動きに即応する構え。わずかに膝を上下させてリズムを取る。こちらが仕掛けたタイミングで、カウンターを浴びせるつもりのようだ。
「十歳くらいまでは空手。そこから日拳(にっけん)、テコンドーが混じって、あとは躰道(たいどう)も少し囓ったってところか」
人形の眉がかすかに動いた。
構えを見れば、相手の格闘技歴はおおよそわかる。彼女が得意とするのはおそらく蹴り。黒のシューズに何か仕込んでいる可能性が高い。気をつけるのはそこだけだ。
「零!」
緊張感を削ぐブタの声が、薄暗い店内に響く。
「カズには構わないで! 彩加だけ狙うのよ! わかった!?」
人形は小さく頷いた。高屋敷家令嬢の言葉は当主の言葉も同じ。命令は絶対だ。たとえ、その令嬢が人の皮をかぶったブタであっても。
「難しい注文をするご主人様だな」
「…………」
ブタが殺意を抱く鮎川彩加は、俺の背後のソファで怯えている。守ってやらなくては。
「試してみるか? 俺を突破して、鮎川に手を出せるかどうか。新しい〝十傑(じゅっけつ)〟なんだろう? 美羅(みら)さんに認められるほどの――」
人形が跳躍した。
膝のバネだけで天井近くまで跳び上がり、綺麗な弧を描きながら右脚で蹴りを繰り出す。
シューズの爪先からは鋭い針(ニードル)が飛び出している。
あんな凶器つきの蹴りを喰らえば致命傷となる。ガードしても大怪我は免れない。しかし、避けたら後ろの鮎川が危険に晒される。それを見越しての攻撃だった。
だが――。
悪いな。
避けるまでもないんだよ。
「!?」
マネキンのような目が見開かれた。
爪先に仕込んだニードル、その先端が綺麗に消失している。
俺が手刀で叩き折ったのだ。
向こうの壁に破片が跳ね返り、そのまま下のゴミ箱へと落ちる。せっかく掃除した店内、散らかされては敵わない。
「まさか、一日に二回も『瓶斬り』するハメになるとはね――」
そのまま人形の蹴り脚をつかんで、体ごと巻き込む形で投げる。足を持って仕掛ける一本背負いだ。
古宮流柔術奥義・疾風(ハヤテ)の型。
百舌墜(もずおとし)――。
「ッ!! かはっ……」
ずっと無言だった人形の口から苦悶が漏れた。背中から強く壁に叩きつけられたのだ。
常人ならしばらく呼吸できないはずだが、そこは、ブタのガードに抜擢されるだけはある。肩を苦しげに上下させながらも立ち上がってきた。
血の滲んだ唇が、ほんのわずかに緩んでいる。
この人形が初めて見せる、表情らしい表情だった。
「れ、零が、笑ってる……っ?」
ブタさんが驚きの声をあげた。
俺にはわかる。
「嬉しいんだろう? 強い相手と戦えるのが」
「…………」
「わかるよ。機械(マシーン)に許された唯一の自由だもんな。戦いは」
かつては俺もそうだった。
ブタの陰に徹して、引き立て役になって。学校の行事であろうとテストだろうとなんだろうと、全力を出すなんて許されない。自分のことはすべて二の次であると教育――いや、「洗脳」されている。それが、高屋敷家に仕えるということなのだ。
「零だったな。お前も高屋敷家と絶縁したらどうだ?」
「…………」
「自由になって、俺みたいにバイトするんだ。メイド服、着てみたくないか? けっこう似合うと思うぞ」
人形の紅い瞳が、ソファにいる鮎川の姿を捉えた。
獲物(ターゲット)を狙う目ではない。
彼女が纏(まと)う魅惑のミニスカメイド服。それを見つめるまなざしだった。
「だーーーーもぉ! 和(なご)んでんじゃないわよぉぉぉぉぉ!!」
ブヒヒン! とブタが地団駄を踏む。
「零! 早く殺して! 殺しなさいその女を! アタシの命令が聞けないの!?」
「…………」
人形は再び戦いの構えを取った。また膝でリズムを取り始める。瞳から感情が消え去り、鮎川へと視線を定める。
――しょうがない、か。
人にちょっと言われたくらいで生き方を変えられるなら、誰も苦労はない。俺のように何かきっかけが必要なのだ。
その時、店のドアがまたもや開いた。
「はい、はーい。そこまで。そこまで~っ」
のんびりとした声とともに入ってきたのは、桜色の着流しを着た女性だった。
茶色の長いソバージュが目を惹く、おっとりとした美人。
手には桜色の扇子を持っている。
殺伐とした空間に、ニュルッと忍び寄るようにして入り込む。そして、自然に溶け込んでしまう。地雷原を笑顔で散歩するかのように、のどかで、場違いで、そして――「不敵」であった。
女性は店内を見回すと、はぁっと大げさにため息をついた。
「瑠亜ちゃんさぁ。いくらなんでもコレはないわぁ~。やりすぎ。外まで聞こえてたけど、コロセはやりすぎよぉ~。御前も同じこと言うと思うわよぉ? こんなくだらない理由のコロシをもみ消すのはゴメンだわぁ~」
「……っ、だ、だって、許せなかったんだもんっ……」
ブタさんは気まずそうにうつむいた。
人形は素早くおっとり美人の前にひざまずいた。
俺もつい、それに倣いそうになった。長年のクセが染みついている。
そう。
彼女こそ、天狼十傑(てんろうじゅっけつ)の筆頭。
俺の師匠であり、ブタさんの従姉(いとこ)でもある。
高屋敷美羅(たかやしき・みら)。
桜の描かれた扇子を広げて口元を隠し、クスッと笑う。
「おひさしぶりねぇ~和(かず)くん。なんか、瑠亜ちゃんと絶縁したんだって?」
「師匠に挨拶もなしで、すみません」
「まぁね、いつかこうなるとは思ってたわよぉ~。キミってば、人に飼われるような目ぇしてないもん。結局『孤狼(ころう)』の二つ名の通りになっちゃったね~」
「はぁ、まあ」
どうもこの人と話すと調子が狂う。
この、ほんわかペースに巻き込まれるというか。
戦略も戦術も格闘技もこの人に習ったけれど、この独特の「空気」だけは学べなかった。
「あー、ともかくねえ瑠亜ちゃん? この件は私があずかりますので~。今日のところは引きなさいな~?」
「うぅ……でも、でも……」
「い・い・わ・ね~?」
ほんわかと微笑む師匠。
笑顔の圧力だ。
高屋敷家当主の愛孫にも、言うことを聞かせるだけの迫力に満ちている。
もっとも、ブタはキレたら何しでかすかわからないから、師匠でも止められない時は止められないのだが――。
「あ、あのっ!!」
声をあげたのは、ずっと沈黙していた鮎川だった。
ソファから立ち上がり、頭を下げる。
「ごめん瑠亜。あーしが悪かった。ごめん」
「あん? 何よいきなり」
「あーし、嘘ばっかついてた。瑠亜にも、クラスのみんなにも。見栄張って粋がって。瑠亜が言う通り、あーしに、今さら和真と仲良くする資格なんかない」
「当たり前でしょっ!」
怒鳴りつけるブタ。
しかし、鮎川は怯まなかった。
「お願い。もう一度やり直させて。嘘を償って、何もかも最初から。自分に正直になって、やり直すから。ねえっ、お願い!」
「……っ……」
迫力に押されたブタの肩に、師匠が手を置いた。
「ほーら瑠亜ちゃん。お友達もこう言ってることだしぃ~」
「友達じゃないわよ! こんなヤツ!」
ブタは鮎川をにらみつけた。
「じゃあアンタ、島流しね。担任(ハゲ)に頼んでクラス替えてもらう。あと、学校ではカズと2メートル以上距離を取ること。もし破ったら、今度こそコロスっ。良いわね?」
「……うん。わかった」
「アンタが受けてるダンス部の特待制度も白紙。もう一度審査受けなさい。落ちたら一般生徒に降格だからね」
鮎川はうなだれるように頷いた。
まぁ、落としどころとしてはこんなところだろう。
鮎川が自分で選んだ贖罪だ。俺がとやかく言う筋じゃない。
「んじゃっ、帰るわ!」
ブタさんは金髪を翻した。とりあえず言いたいことを言って、スッキリしたようだ。
「じゃあねん、カズ! また会いましょ?」
「二度とごめんだ」
「また照れちゃって。カワイイ♥ いつか、そのブスに奪われたキスの上書きっ、してあげるからねっ!」
「…………」
まったく、めげないブタさんである。
今日のところはこれでいい。
後日、さらに過酷な罰を彼女に下そうというのなら――その時こそ、俺が潰してやる。
たとえ、師匠や他の「十傑」を敵に回すことになったとしてもだ。
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