28 陽ギャルと陰キャ、互いの【秘密】を教えあう



 鮎川彩加(あゆかわ・あやか)。


 クラスメイトの陽ギャルで、ずっと俺のことを敵視してきた女子。


 そんな彼女が、可憐なメイド服を着て俺の前に立っている。


「どっ、どど、どうして、あんたがここにっ」

「今日からこの店で働くんだ。夏休みの間」


 まさか、バイト先が同じとは思わなかった。


 彼女は俺の「先輩」のようだ。ミニスカートのメイド姿がとても板についている。ゆるく着崩した制服姿しか見たことがないから、この格好は新鮮だ。


 学校では濃いめのメイクも、ここでは控えめ。


 ずっと「キツめの派手美人」という印象だったが、こうして見ると意外に清楚で可愛らしい顔立ちなのがわかる。


 何より、学校ではポニーテールにしている「紅茶色の髪」を、ここでは束ねず垂らしている。


 そうすることで、ぐっと艶っぽさが増して――。


「マジ、最悪っ。ずっとヒミツにしてたのに、よりによってこんなキモオタにっ……!」


 鮎川は顔を真っ赤にしている。モップを握る手がぷるぷる震えている。よほどこの姿を見られたくなかったようだ。


「笑いたきゃ笑えば!? あ、あーしがこんな格好してるの、おかしいって笑えばいいじゃん!」


 俺は首を振った。


「笑わないよ。一生懸命働いてるやつを、俺は笑わない」

「は? ……別に、こんなんテキトーだし。ここの時給がイイからやってるだけだし」

「本当にそうか?」


 俺は店内を見回した。


「そのわりには、ずいぶん熱心に掃除してるな。照明のフードの裏、窓ガラスの四隅、それから――」


 すぐそばにあったソファをずらした。隠れていた床が露わになる。そこは見えている床と変わらず、ピカピカに磨かれていた。


「お客さんから見えないところまで、全部綺麗にしてある。ここまでやるバイトはなかなかいないと思うぞ」

「し、知らない。別の子がやったんじゃね?」

「それにしちゃ、ずいぶん手が赤いな」


 彼女はあわてて片方の手を後ろに隠した。


「その手は、何度もきつく雑巾を絞った手だろう? それから膝が少し汚れている。雑巾がけのために這いつくばらないと、そんな風には汚れない。立派な仕事っぷりだよ」

「……ばかっ。そんなん、言(ゆ)うなしっ」


 鮎川はまた頬を赤くした。


 怒りによるものではないことは、マスカラで盛ったまつげを伏せたことでわかる。


「てか、あんた何者? こういうバイトしたことあるの?」

「昔、執事の真似事みたいなことをしてたことがある」


 中1の夏――そう、あれも夏休みだった――あのブタのお屋敷に住み込みで働かされたことがある。「将来、高屋敷家に仕えるため」とか言われて、メイド長みたいな年輩の女性に掃除や礼儀、その他もろもろの仕事を叩き込まれた。


 ブタと絶縁して無駄スキルになったと思ったが、おかげで彼女の仕事を見逃さずに済んだわけだ。


「とりあえず着替えたいんだが、更衣室は?」

「……そこの、厨房の横のドア」


 礼を言って歩き出した。


 ドアを閉める間際――。




「……ぁ、りがと……」




 そんな声が聞こえた気がしたが、確かめることはしなかった。







 初日から、店内は戦場だった。


 開店の午前11時からひっきりなしに続く客、客、客。ランチタイムめがけて来る五月雨のような客の群れに、俺と鮎川の二人で立ち向かった。そう、ホールは俺たち二人だけ。厨房はおばさん店長の一人だけ。たった三人で店をまわさなくてはならなかった。


 ここでも、鮎川彩加の仕事ぶりは見事なものだった。



「はいっ。ナポリタンのAセット、食後にアイスコーヒー、ミルクなしですね! かしこまりましたっ!」


「お会計失礼します。1500円頂戴しましたので、45円のお返しです。ありがとうございました! またお越しください!」


「大変申し訳ありませんお客様。ただいま店内混み合っておりまして。5分ほどでご案内できるかと思いますので、こちらのメニューをご覧になりながらお待ちくださいませ!」



 いやいや、正直驚きだ。


 教室では、机に座るわは脚は投げ出すわ、言葉使いはギャルそのものだわで、お世辞にも行儀が良いとは言えない彼女が、この店では完璧な接客だ。


 外面が良い、取り繕ってる、猫被ってる――という感じでもない。


 あの溌剌としたスマイルと、額に輝く汗は、そんな「擬態」では生み出せない。


 ただひたすら、仕事熱心なのだ。


 俺も負けてはいられない。



「三番と五番テーブル、俺が下げてくる。大丈夫。あのくらいなら一人で持てる」


「オーダー待ち一番と七番。どっちも俺が行くから。その代わりレジ打ちは任せた」


「向こうの男性客、俺が対応するよ。鮎川はしばらく厨房に引っ込んで、皿洗い頼む」



 こんな感じで、鮎川のサポートに徹した。


 初日で慣れない面もあるが、最低限、彼女の邪魔にはならなかったんじゃないと思う。







 午後2時すぎ――。


 ようやくランチタイムが終わり、客の波が途絶えた。


「あーうー、マジ、つっかれたぁ……」


 カウンター席にへにゃっと突っ伏して、鮎川は言った。紅茶色の髪がテーブルでしなびている。


 店長は遅い昼食を食べに出て行って、俺たち二人きりだ。


「すごい客足だったな。いつもランチタイムはこうなのか?」

「やー、夏休みだからじゃね? あーしも平日昼は入んないから、知らんけど」

「いつもはどんなシフトなんだ?」

「土曜はオープンからクローズまで。あとは月木の午後5時から9時」

「ダンス部と掛け持ちで、大変だな」

「だよー。ま、あーし天才だし? このくらいよゆーっすよ」


 あはは、と軽い声で笑う。


 ……なんか、不思議だな。


 今までほとんど話したことのない、カーストがはるか上の女子と、こんなひとときを過ごせるなんて。


 地獄のような忙しさを一緒に乗り越えたことで、奇妙な連帯感が生まれている。


 バイトには、こんな効果もあるんだな……。


「ね。ひとつ聞いていい?」

「なんなりと、お嬢様」


 執事らしく、恭しく礼をする。彼女は「ばーか」と笑った。


「あの、最後のほうに来た男性のお客様いたじゃん? どうして対応代わってくれたの?」

「洗い物が溜まってたからな。皿洗いをお前にやらせて、俺は楽な接客をやろうと思って」

「――嘘じゃん?」


 俺が思っていたより、鮎川は鋭かった。


「あんたキモオタだけど、そんな風に手を抜くやつじゃない。それは、一緒に仕事しててわかったよ。……ねぇ、どうして?」


 俺はため息をついた。隠しても無駄のようだ。


「あのお客、たぶんお前目当てだろ? それも盗撮。バッグを不自然にごそごそやってたし、視線も怪しかった」

「!」


 鮎川は反射的にスカートの前を押さえた。ここの制服は丈が短い。ガーターベルトで彩られた真っ白なふとももが、零れんばかりだ。


「よく、わかるね。たぶん正解」

「常習者なのか?」

「ん……。今までも何度か、怪しいカンジはしたかな」

「どうして追い出さないんだ? 学校での強気はどうしたんだよ」


 彼女はうつむいて、ぼそぼそと言った。



「……だって、お客様だから……」



 ふむ。


 仕事に対して、真面目すぎるんだな。


 リップを塗った唇がかすかに震えている。注意するのが怖いのもきっとあるんだろう。なんだかんだで、女の子なのだ。


「これからは、あの客が来たら俺にすぐ言えよ」

「……ウン」


 彼女は赤い顔で頷いた。


 それから、小さな声で、ささやくように言った。


「…………優しいね…………鈴木…………」


 今度は、ちゃんと聞こえた。


 名前も聞こえた。初めて呼んでくれたんじゃないか?


 教室とはまるで別人だ。どっちが本当の彼女なのだろう? これまで俺に見せていた敵意は、いったいなんだったのかと思わずにはいられない。


 どうも、何か事情がありそうだな……。


「ねえ、あーしも聞いていい?」

「俺にわかることなら」

「どうして、学校では力を隠してたの?」


 俺は彼女の顔を見つめ返した。


「なんのことか、わからないな」

「とぼけんなっ。初バイトでこんだけ仕事デキるやつが、なんで瑠亜のドレイなんかやってんの?」


 ドレイ。


 突き放すようなその語感には、嫌悪が表れていた。


「その話をすると、長くなるんだがな」

「このお店、夜までしばらくヒマだよ。……ね、教えてよ。なんで〝無印〟なんて言われて黙ってんの?」

「…………」


 さて、なんと答えたものか。




 と、その時である。



 カラン、とドアのベルが鳴った。



 反射的に立ち上がり、「いらっしゃいませ!」と告げた鮎川の顔が、みるみる凍りついた。


 ワンテンポ遅れて俺が振り返ると、そこには背の低い女の子が立っていた。


 前髪をオープンにして、まあるい子猫みたいな目を露わにして。


 今やすっかり有名になった新人声優。


 校内でもネットでもアニメ業界でも人気急上昇中の彼女が、白のワンピース姿でニコニコと立っていた。

 



「うふふ。和真くんっ。あまにゃん、来ちゃいました!」




 ……来ちゃったかー。




「――ところで。その女の子、誰ですか???」




 ……聞いちゃうかー。


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