27 俺は「絶縁者」(ノーブランド)



 シャツの背中が汗で濡れる季節になった。


 真夏。


 一学期最終日の朝である。


 いよいよ明日から夏休みということで、教室の空気はどこか浮き足立っている。イケてる軍団も、そうでない連中も、表情が明るい。大きな声で夏休みの予定を話し合っている。頻出単語は「海」「プール」「花火」。夏の代名詞みたいな単語が四方八方から飛んでくる。


 そんななか、俺は一人。


 窓際の席で、文庫本を友としている。


 ブタとの絶縁以来、ますますぼっち属性が加速した俺である。


 以前と異なるのは、周囲の見る目が変わったことだ。あの学食の一件以来、一目置かれるようになった。廊下を歩いてると道を譲られたり、あるいは何故か握手を求められたり。甘音ちゃん曰く「特待生には恐れられて、一般生徒には慕われている」らしい。いやはや。どっちも過大評価である。


 絶縁者(ノーブランド)。


 俺のことを、そんなあだ名で呼んでいるやつもいるらしい。


 例のバッチ制度から来ているのだろう。


 特待生でもなく、一般生徒でもない。何者にも属さず、染まらない「無印」。――そんな風に言えばかっこいいけど、ようは「ぼっち」の言い換えじゃないか? 俺としてはそんなものより「普通(ノーマル)」の称号が欲しいんだけどな。


 その時、ひときわ大きな声がした。




「えーっ、浅野それマジ? マジでゆってんの?」




 ダンス部の鮎川彩加(あゆかわ・あやか)。


 ブタさんと並ぶ、この一組の中心女子である。


 ふわっとウェーブのかかった茶髪を、ポニーテールにしている。他にも髪を染めている女子はいるが、彼女の髪は薄く淹れた紅茶のような色をしている。くっきりとした目鼻立ちといい、スラッと長い手足といい、掛け値無しの美少女である。噂では大学生の彼氏がいるらしいが、それも納得。もうパッと見からして「ああ、俺と生きてる世界が違うな」っていう陽ギャルのオーラを放っていた。


 ブタさんがまだ登校してないので、女王の座を独り占めしているようだ。野球部・浅野以下、イケてる軍団を周りに侍らせている。


「いや、マジのマジよ。彩加と一緒に花火大会行けるなら、俺死んでもいい!」

「うそくさっ。どうせ瑠亜姫に断られたからっしょ?」

「ち、ちげーって!」


 周りからどっと笑いが起きる。「浅ピー、見透かされてんよ~」と野次が飛ぶ。浅野は半笑いになりつつも、額に汗をかいている。冗談っぽく迫ってるけど、意外に本気なんじゃないかな。夏休み前になんとしても彼女を作りたい、そんな必死さが見える。


 鮎川は、短いスカートから伸びた脚を大胆に組み替えた。肉付きのいい太ももに、浅野の鼻の下が伸びる。


「つか、あーし彼氏と行くし。ふふ、クルマ出してもらうんだぁ」

「た、頼むよ彩加ぁ~! みんな女連れなんだよ。俺一人で花火見たくねえよ」

「知らねっつの。免許取れるトシになったらまたおいで~」


 うーん。死ぬほどどうでもいい。


 興味を失って読書に戻ろうとしたその時、俺は少し離れた位置で立ち尽くす眼鏡の女子生徒に気づいた。


 その表情は困り果てている。


 それで、俺も気づいた。


 鮎川が今、その形の良い尻を載せているのは、机である。鮎川のではない。その女子生徒の机だった。


 陽キャの十八番、「陰キャの席を独占しておしゃべりに夢中」が炸裂しているわけか――。


 見て見ぬふりをしようと思ったが、その女子が持っている文庫本が目に入り、気が変わった。その本は、こないだ俺が地下書庫から図書室に戻した本だった。時々、「こんな名作が地下に?」という本があるので、サルベージしている。それを見つけてくれた子を見捨てるのは忍びない。


「おい、鮎川」


 近づいて声をかけると、彼女は露骨に不機嫌な顔を浮かべた。


「あ? なによ。何か用?」

「そこ、お前の席じゃないだろ。どいてやれよ」

「はぁ? ……キモッ」


 鮎川は俺をにらみつけた。


「瑠亜のドレイが、気軽に声かけないでくれる?」

「もうチャイムが鳴るぞ。自分の席に戻れ」

「まだ鳴ってないし。それまで何しようとあーしの勝手でしょ」


 と、聞く耳持たない。


 思えば鮎川は、以前から俺に対する態度がきつかった。口をきくのだってこれが初めて。絶縁のきっかけとなった例のカラオケでも、一番大きな声で俺を笑っていた。理由はわからないが、嫌われているらしい。


 しょうがないな……。



「キャッ!!」



 俺は鮎川の体を抱きかかえた。


 暴れる隙など与えない。スムーズに持ち上げてスムーズに下ろす。いわゆる「お姫様だっこ」の体勢はほんの一瞬。相手の重心さえ見誤らなければ、造作もないことだった。


「……なっ、な、ななっ……」

「ほら、今のうちに」


 顔を真っ赤にする鮎川を無視して、俺は眼鏡の子に声をかけた。彼女はぺこっと一礼して、恥ずかしそうに席についた。


「ざけんなてめえ! な、何してくれてんのよっ!?」


 鮎川が詰め寄ってきた。緩くぶら下げた制服のリボンが俺の胸に触れる。第二ボタンまで外したブラウスのふくらみは薄い。なるほど。この胸ならブタさんと「お友達」なのも頷ける。


「ねえ浅野! こいつやっちゃってよ!」


 だが、浅野は気まずそうに視線を逸らした。


 さっきまで媚びまくっていたくせに、怯えたようにうつむいている。


「い、イヤ、彩加。そいつはやべえよ。やべえって」

「はぁ? こんなやつタダの陰キャじゃん。何ビビッてんのよ。ねえってばぁ!」


 他の男子たちも、浅野と同じように目を伏せる。


 鮎川はうろたえたように周囲を見回した。


「どうしちゃったのみんな? こんなやつただのザコっしょ? こないだ、カラオケで指さして笑ってやったばっかじゃん。ねえ――」


 その時である。




「やっほー♪ カズぅ~! おっはろ~~~ん!」




 ブヒヒーン! と響くブタの声。


 ブタのしっぽのように右手を振りながら、高屋ブタ瑠ブが駆け寄ってきた。ちっ、欠席じゃなかったか。


「なあに、こんなところで立ち話しちゃって。もしかしてアタシが来るのを待ってたトカっ?」


 そういえばここ、ブタさんの席の近くか。道理でワラの匂いがすると思った。


「んん~? なんか揉めてンの? ねえ彩加。アタシのカズがなんかした?」

「え、えっと……べつに、なんでもないし?」


 鮎川は強ばった笑みを浮かべた。


 名門と言われる帝開学園ダンス部の特待生であり、学年のファッションリーダー的な立ち位置にいる彼女でも、理事長の孫娘には逆らえないのだ。


「そうなんだ。なんでもないんだ。……ほんとに?」

「ほ、ほんとだって。やだなぁ、瑠亜姫。あたしが、姫のドレイに手ぇ出すわけないじゃん」


 気まずそうな鮎川のことを、ブタさんはじろじろ見つめていた。


 ……なんだろう。


 なんか、いつもよりブタさんの追及が鋭いというか、しつこいというか。


 いっちゃんと別れたばかりで、気が立っているんだろうか。


「――ま、いいけどね」


 ブタさんは鮎川から興味を失うと、その絶壁胸を俺の腕に擦りつけてきた。痛い。削れる。


「ねぇねぇ、カズっ。今年の花火大会はどうする? またお爺さまに特等席用意してもらう? でもでも、今年は二人で行くのも良いと思わない? ねえ?」

「お、チャイム鳴った」


 ブタを振りほどいて、俺は席に戻った。「もぉん、カズのいけずぅ。略してカズズゥ♥」とかほざている。カズズゥ。なんだその新型モビルスーツ。


 去り際――。


 忌々しそうにつぶやく鮎川の声が聞こえてきた。



「ノーブランドのくせに」

 


 その声は、しばらく俺の耳に残った。







 さて――。


 高校生になってはじめての夏休み。


 俺にとってこの夏は、海でも、プールでも、花火でもない。


 アルバイトの夏だ。


 実はずっと憧れていたのだ。自分の力でお金を稼ぐ。なんて尊いのだろう。ゲームでも本でも、自分の稼ぎで好きに買える。いつも苦労をかけている母さんに、ささやかなプレゼントだって贈れるだろう。


 俺が採用されたのは、隣町の駅前にある個人経営の喫茶店だ。


 女子はミニスカートのメイド服。男子は執事のようなタキシード姿で接客するということで、一定の客層に有名な店である。


 バイトのことを話した時、甘音ちゃん・涼華会長・いっちゃんの反応はこうだった。



『しっ、執事服着るですかっ!? 和真くんがっ? ぜ、ぜったい行きます!!』


『アルバイトで執事? 言ってくれたらうちの屋敷で雇ったのに。絶対行くから。予約をお願い』


『ぶー。ボクもカズにぃとバイトしたかったなぁ。ゼッタイ遊びに行くからね?』



 いやあ。恐ろしい。


 どうにかこの三人がかち合わないようにしないと。バイト先が修羅場になってしまう。







 初出勤の日。


 開店30分前に店へ入ると、一人で掃除中だったメイドさんに出くわした。




「ひぁっ!? な、ななな、なんであんたがここにっ……」




 鮎川彩加。


 学校で見るのとはまるで違う、可憐なメイド服に身を包んだ陽ギャルが、モップを持って立ち尽くしていた。


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