11 まずは最初の、下克上



 イベントは大成功だった。


 甘音ちゃんの「あまにゃんダンス」の評判はSNSで瞬く間に拡散された。「もうめっっっっっさ可愛い!!」「全人類が知るべき」「筆舌に尽くしがたい尊さ」「るあ姫、引き立て役w」などなど、絶賛コメントが怒濤の勢いでスマホを流れていく。こっそり撮影してたやつが動画をアップして、それを見たやつがまた魅了されて――という幸福なループ。トレンド8位に「あまにゃん」、5位に「皆瀬甘音」が入る始末で、やれやれ、俺が想定していた以上のことを、未来の大声優はやり遂げてしまった。


 一方、メディアの反応は真逆だった。


 大手ニュースサイトは「瑠亜姫、鮮烈CDデビュー!」「JKアイドル声優の歌声に観客酔いしれる」などなど、軒並みあのブタを持ち上げる記事をアップした。前もって事務所が根回ししていたんだろう。甘音ちゃんのことなんかこれっぽっちも載ってない。ブタさんがステージでスッ転んだことも載ってない。なかったことにされてる。完璧な情報操作だった。


 だけど、甘い。


 このSNS全盛時代に、そんなもの通用すると思うか?


 今回のイベントで一番輝いていたのは誰なのか、それは、見に来た客が全員知っている。今回は俺が拡散するまでもない。甘音ちゃんの輝きを見た人々が、勝手に伝え、広げてくれている。


 大人が作り上げた、偽物なんかじゃない。


「本物」の輝きっていうのは、そういうものさ。







 明くる日、月曜日の朝。


 いつもの時間に登校すると、昇降口のところに人だかりが出来ていた。


 大勢の生徒に取り囲まれているのは、甘音ちゃんだった。


「イベントの動画、見たよ!」

「ネコミミ可愛かったー、驚いたよマジで」

「あの振り付け、自分で考えたの?」

「てか、声優やってたんだね! 知らなかった!」


 男子女子問わず、口々に彼女を褒めそやしている。


 甘音ちゃんときたら、顔を真っ赤にして「あのっ、そのっ」しか言えなくて。


 一夜にして大スターになったっていうのに、性格まではなかなか変わらないか。前髪もびろーんと元に戻ってるし。


 取り囲んでいるのは、もちろん「イケてる軍団」の皆さん。


 あのブタの軍団とは、また別のグループである。


 ちなみにブタ軍団はといえば、この騒ぎを遠くから見守っている。なかには、甘音ちゃんに声をかけたそうにしている連中もいる。野球部の浅野もその一人だ。熱っぽいまなざしで、甘音ちゃんのことをじっと見つめている。……あれは、惚れたな。


 そしてブタ本人、いや本豚はといえば。


 ものすごい形相で、甘音ちゃんをにらみつけている。口元がワナワナ震えているのが俺の位置からでも見てとれる。あれは相当、アタマに来ている。だけど手出ししないのは、昨日の二の舞になると思ったからか。


 いくら高屋敷家の令嬢でも、もうおいそれとは手を出せまい。


 あれだけの醜態をさらして、SNSで拡散されたのだ。もし甘音ちゃんに手を出せば、自分が真っ先に疑われてしまう。これ以上の醜聞は、さすがの人気者も避けたいところだろう。


(良かったな。甘音ちゃん)


 心の中で声をかけて、俺はそっと場を離れた。


 これで彼女は「イケてる軍団」の仲間入りだ。ブタの派閥には入れないだろうけれど、別の派閥が必ず誘ってくる。あんな可愛い子、ほうっておくわけがない。遠からず彼氏もできるだろう。


 そうなると、俺の存在は邪魔だ。


 学園の支配者・高屋敷瑠亜と敵対する俺がいては、彼女の妨げになってしまう。黙って消えるのが正解。あのブタと絶縁した時、もう覚悟は決めている。ひとりきりで高校生活を過ごす覚悟。



(アニメの出演決まったら、絶対見るからな)



 もう一度心の中で声をかけてから、内履きに履き替えた。


 教室へと行こうと歩き出した、その時――。



「和真くんっっ!!」



 大きな声で呼ばれた。


 振り向くと、甘音ちゃんがものすごい勢いでこちらに駆けてくる。


「和真くん、おはようございます」

「……ああ。おはよう」


 どう反応したものか迷った。


 気づかないふりをしようかと思ったが、こんな大声で呼ばれたら仕方ない。


 置き去りにされたイケてる軍団が、ぽかんと俺を見つめている。「誰?」みたいな顔して突っ立っている。ブタ軍団も、ぽかん。頭(かしら)のブタさんは血走った目を見開き、イチの子分・浅野はあんぐり大口を開けている。


「和真くん。今日の放課後も、練習付き合ってくださいね」

「えっ。もうイベントは終わり、ユニットは解散だろ?」


 彼女は首を振る。


「実は、今度、新作アニメのオーディションに呼ばれたんです。今の事務所とはまた別のところから、声かけてもらって」

「……マジ?」

「事務所、移ることになりそうです」


 その声は弾んでいた。


 前髪に隠れていて、表情はよく見えないけれど、その口元には自信が浮かび上がってるように思う。


「だから、練習したいんです。……和真くんと、一緒に」


 甘音ちゃんは、おもむろに前髪をかきあげた。


 子猫みたいにつぶらで可愛い目が、せつなげに俺を見つめている。


 後ろでぽかんとしてる連中には、もちろん見えない。


 俺にだけ、見せてくれたのだ。


「いや、でもさ。甘音ちゃん」

「そんな呼び方、や、です」


 ふるふる、首を振る。


「和真くんにだけは、『あまにゃん』って、呼んでほしいです……」


 うわ。


 反則だろ、これ。


「甘音ちゃんさ」

「あ、ま、にゃ、ん」

「……あまにゃんさ。前髪上げたら、性格変わっちゃうんじゃない?」

「ふふ。そうかも」


 彼女は笑った。小悪魔の笑みだ。


「だとしたら……きっと、あなたのせいです。あなたが、前髪上げてくれたから」

「……」

「せきにんっ、とってください。ね?」


 彼女は俺の腕を取って、歩き出した。そうして密着すると、豊かな胸のふくらみも感じるし……何より、いい匂いがする。昨日まではこんな匂い、しなかったのに。香水? それともシャンプー変えたのかな。誰のために?


 イケてる軍団の視線が、背中に突き刺さるのを感じる。


 ちらっと視線をやれば、浅野が地面に膝をついて両手で顔を覆っているのが見えた。雑魚だと認識していた俺に彼女を取られたのが、そんなに悔しいのだろうか。

 

 ちなみにその隣では、誰かさんが倒れていた。


 周りの軍団が「大丈夫!?」「ほ、保健室行く!?」「泡ふいてる!」「どうしたの目ぇグルグルだよ!?」とか血相変えて呼びかけている。えらい騒ぎだ。


 誰か知らないけど、ご愁傷様。


「行こっ。和真くん」

「……ああ」


 やれやれ。


 どうもしばらく、俺の周りは静かになりそうにもない。







 それから1週間後――。


 全校集会にて、学園理事長からこんな宣言があった。



「特待生への自覚と、さらなる発奮を促すため『特待生バッチ』を配ることにする」



 このバッチが、次なる騒動の引き金となることを、俺はまだ知らない。

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