3 可愛い陰キャと出会いました


 教室を放逐されたというのに、足取りは軽かった。


 奇妙な解放感に浸っている。


 たとえるなら、風邪をひいて休んだ日、普段は見られないお昼のワイドショーを見ているような感覚だろうか。なんでもないふつーの番組が新鮮ですごく楽しく見える、あの感覚。あれに近い。


 と――。


 その時、制服ズボンのポケットでスマホが震えた。


 元・幼なじみからのメッセージの着信だ。



08:40 瑠亜:ねえカズ、昨夜のアタシの動画見た?

08:40 瑠亜:みーんな、アンタのことひでーやつだってw

08:40 瑠亜:どーしよっかなー。次の動画でアンタの名前公表しちゃおっかなー。

08:40 瑠亜:そしたらアタシのファンに襲われちゃうかもよ?

08:40 瑠亜:さっさとそこの机ひきずって、惨めに教室に入って惨めにアタシに謝りなさい!

08:40 瑠亜:そしたら許してあげる。ッシャッシャ!



「あー。も、いいや。ブロック」


 ぶーぶーうるさい。ブタ。


 どれだけ綺麗な顔や声をしていようと、性格がド最悪なら「ブタ」としか認識できなくなるんだな。いやあ、認知心理学に一石を投じる貴重なサンプルだ、あのブタさん。


「――さて」


 どこに行こうか。

 

 図書室に行きたいのだが、あいにくあそこは職員室の隣。教職員に見つかってしまうような場所はダメだ。あるいはサボリの定番スペース・屋上? いや、ふつーに鍵かかってるし。屋上の鍵が開いてる学校なんてラノベの中だけっすよ。


 ならば、あそこしかない。


 地下書庫。


 学園の生徒のなかでは、その存在はほとんど知られていない。下手すれば教職員だって知らない。本好きで図書室常連の俺だけが、図書委員の先輩から「特別に」って教えてもらった、秘密の場所なのだ。


 鍵は――かかってるけど、かかってない。


 ドアノブにぶら下がってる古い南京錠は、ちょっとしたコツで簡単に開けられるのである。そのコツも先輩に習ってある。


 体育用具室の隣にある長い石階段を下りていく。ここの天井は低くて、少し屈まなくては頭がつかえてしまう。まるで洞窟を探検してるみたいで、いつ来てもわくわくする。


 ところが――。


「……誰か、いる?」


 扉の向こう側から、声が聞こえる。


 何やら調子っぱずれな奇妙な声が地下書庫から聞こえてくるのだ。なんだろう? ネズミはこんな声で鳴かないし、まさか幽霊?


 ちょっと怖いけど、興味あるな……。


 陰キャも幽霊も、日陰者って意味では似たようなもんだし。仲間だ仲間。


 好奇心にまかせてドアを開けると、そこにはひとりの女の子が立っていた。


「きゃあああああぁぁぁぁっっっ!? だ、誰ですかっ!?」


 ものすごく驚かれた。


 学校じゅうに響き渡るような、めちゃめちゃな声量だ。あわててドアを閉めた。


「怪しいものじゃない。もうちょっと、声のトーン落としてくれ」

「……はっ」


 彼女はあわてて自分の口を小さな両手で押さえた。その仕草が子供っぽくて、なんだか可愛らしい。


 制服のリボンの色からして、同じ高等部の一年生だろう。


 色が白くて、背が小さくて、だけど胸はぱつんとしていて――。


 ぜひ顔を見てみたいところだけど、前髪がめちゃめちゃ長くて、目が隠れてしまっている。つやつやとした黒髪の隙間から、臆病な瞳が俺を見つめていた。


「高等部1年1組の、鈴木和真」

「……2組の、皆瀬甘音(みなせあまね)です……」


 鈴をちりん、と鳴らしたみたいに、儚げで綺麗な声だった。


「こんなところで、何してたの?」

「あ、あの……その、う、歌とダンスの、練習です……」


 どうやらさっきの声は、彼女の歌だったらしい。


「わ、私……いちおう、声優やってまして……だ、大それたことですけど……」

「あー、そっちの人か」


 元・幼なじみの例を見ればわかるように、この学園には芸能人も何人か通っている。彼女もそのうちの一人らしい。つまり、学園から期待されている特待生、「イケてる軍団」のひとりってわけだ。


 本棚でぎっしりの地下書庫に、大きな姿見まで置いてある。ダンス練習のためわざわざ持ち込んだのだろうか。熱心にもほどがある。


「確かに一人で練習するにはもってこいの場所だよね。でも授業は?」


 すると、皆瀬さんはぐっと唇をかみしめて俯いた。


「……今朝、登校したら……廊下に私の机と椅子が出されてて……『おめえの席ねーからw』って、貼り紙が……」

「……」


 どこかで聞いた話だなー。


「なんで? 声優なんでしょ? 特待生なのに」

「違いますよ。私、全然売れてないから。顔も声もこんなですし」

「顔はよく見えないけど、声は可愛いんじゃない?」


 皆瀬さんは頬を真っ赤にしてピクン、と震えた。


「と、とんでもないですっ。声優の世界には、もっといい声の方がたくさんいらっしゃいますし。高屋敷瑠亜さんとかと比べたら全然……っ」

「ふうん」


 声優の世界はわからないけど、そんなものなのかな。


「そんな私が、瑠亜さんとユニットを組んでCDデビューすることになってしまって……だから、だと思います」

「それが気に入らないやつがいるってこと?」

「昨日、私のSNSに凸がたくさん来ましたし」

「凸?」

「瑠亜さんのファンの方から。『お前なんかと組んだら姫様の格が下がる』みたいな」


 タチの悪いファンがいるもんだ。ブタのファンはブタのブタ、ブタブタってことか。


「そもそも、なんだってアレと組むことになったの?」

「あ、アレって?」

「瑠亜のこと」


 彼女はキョトンとして俺を見つめた。


「あ、あの……この学校で、あまり瑠亜さんの悪口は言わないほうが……」

「誰もいないよ、ここには」


 誰か聞いてたところで関係ないけどね。


「事務所の方針です。瑠亜さんの引き立て役には打ってつけだと思われたんじゃないでしょうか」

「引き立て役ねえ」

「学校が同じですから、学校の宣伝にもなるって判断かも」

「学校が関係あるの?」

「私と瑠亜さんの事務所は、テイカイミュージックっていって……この学園と経営母体が同じなんです」


 なるほど。すべてがつながった。


「私、引き立て役でもいいんです。せっかくもらえたCDデビューの機会ですから。せめて足は引っ張らないようにしたいんです」

「だから、ここで練習か」


 こくん、と彼女は頷いた。


 机と椅子を廊下にほっぽり出したのは、言うまでもない。瑠亜(ブタ)の仕業だろう。イケてる軍団の手下にやらせたのか、自分でやったのか知らないが、格下の彼女とコンビを組まされることに腹を立て、こんなイジメをしたってわけだ。アレのやりそうなことである。


 そんな目に遭わされても、彼女は恨み言ひとつ言わず、前を向こうとしている。


(……かっこいいじゃないか)


 ならば俺は、彼女の味方をしよう。


「俺が、練習付き合うよ」

「えっ?」

「素人目線で感想を言うことくらいしかできないけど、それで良ければ」


 彼女は、ぱぁっと顔を輝かせた。


「は、はいっ! お願いしますっ鈴木くん!!」


 俺の手を握って、ぴょんぴょん飛び跳ねる。その拍子に前髪もぴょんぴょん跳ねて、大きなぱっちりとした目がチラチラと見える。


 ……あれ?


 なんかこの子。


 ブタなんかより、よっぽど可愛くね?




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