四章『私達と学祭、夢走』
第18話
母校の学園祭には誉める箇所がない。だから、少しでも可愛い後輩の為に画策し、私は真夜中の逃走劇を繰り広げ、友原は校舎内でなにやら動いていた。
不審者の進入を受けた学校は、盗難品の確認、設備の確認、破損の確認、ありとあらゆる確認を行った。結果、警備の増強、準備間の延長という名の実質延期、そして、何より、我々の努力を無碍にする、各企画の経費の再分配を行ったのである。そんなだから、見て回る限り、校内には休憩所と何処かで見たことのある研究発表が軒を連ねていた。例年通りと言えばそれまでなのだが、改革の一翼を担った私としては心の底から沈んでしまう。
時折、部の名前通りの文化部の企画もあるのだが、予算が足りない余りまともな発表が出来ていないようであった。
演劇部では最先端の研究所でロケットを飛ばそうとする研究者数人の苦悩を、モノローグ無しで伝える劇を行っている。よほど厳しい練習をしてきたのだろう、役者は引き込まれるような高い演技能力を遺憾なく発揮し、裏方による大小道具の出し入れは一切の無駄がない。喧嘩する場面など、本当に相手を殴っているかのようで、殴られた役者は思い切り倒れる。あんなに思い切っては怪我をしかねないが、その一瞬だけ、舞台袖からマットが用意されることで、役者の安全が保証される。役者と裏方どちらもの息が合わなくては出来ない芸当だ。圧巻の舞台である。それだけに、舞台装置も衣装も使い古しで、とても最新設備の研究施設には見えないことが残念でならなかった。
文芸部が会誌を出しているから手に取ると、本屋の試し読みのように紐がついていた。配布しているものだと思っていたから驚いていると、係りの部員が「最後の一冊なんです」なんて悲しそうに説明してくれた。二日目とはいえ、そんなことがあって良いのか。
成長型展覧会をパンフレットで謳う美術部の発表に訪れてみると、訪れた人が自由に使える、壁一面を覆った紙が目に付く。きっと、絵を描いて貰う予定なのだろうが、残念ながら待ち合わせの情報が羅列されている。部屋の中央には何故か既視感を覚える作品ばかりがいくつも並んでおり、題名の掛かれた札を見ると、何年も前に卒業した生徒の作品らしかった。既視感の正体は在校時に全く同じ作品を見ていたからであった。画材も馬鹿にならないのに、経費では落ちないから、殆ど自費の寄付品となってしまい、年に一点か二点程しか増やせないという。期間中、壁の絵も増え、毎年、絵も増え、まさしく、成長型展覧会であった。
生物部には動物が一匹もおらず、折り紙で作られた動物と、その研究が張り出された、紙が中心の企画となっている。なんでも、動物ごとに違う餌代とそれぞれの家代が莫大で、買うに買えないという。奥の準備室にも生物はいないらしい。顔色の悪い女子部員が、新たな紙の生物を折りながら、ぼそぼそ呪うように話してくれた。確かに学校の敷地内で見ることが出来る昆虫類と蛇と猫についての研究内容は、紙が何枚も使われている。ただ、これに関しては申し訳ないが、我々が学園祭を改革出来ていたとしても、変えようが無かったことである。
まさか、こんなにも学校の体制の被害が出ているとは思ってもみなかった。別に自分のせいではないから、私が何かを思う必要は無い。しかし、友原に付き合って不毛な試みに片足を突き刺した者としては思うところがある。
今日、こうして忌まわしき学園祭に足を運んだのも、友原に呼び出されたからだ。というのに、彼は待ち合わせ場所の正面口にも来ないで、「計画の成果を見てる」とだけ連絡を寄越したきりである。どうせ、予算は再分配されてしまっているから、何も見ずに帰ってしまおうかとも思った。どうせ、例年通りの面白味の少ない学園祭だろうと。けれど、学校に忍び込んだあの日、友原は当日が本番だと、作戦変更したと言っていた。どんな変更なのか、結局、聞いていない以上、この目で確かめる他にない。あの、教師に嫌われ、生徒に人気を博した悪のカリスマが一体、どのような作戦を立て、この学校に復讐を果たすのか、やはり、片足を入れている人間としては気になっていた。それに、あれだけ苦労したのだ。少しくらい変化していて貰わなければ困ってしまう。
というのに、私の目に映る学園祭は、変化があるようには見えなかった。初めに貰うパンフレットで企画を把握出来るのもそうであるが、校舎の構造と企画ごとの宣伝のお陰で大体の内情が分かるのだ。我が母校の中央には、段々に沿って斜めになった大きな吹き抜けがある。その周囲を廊下が囲み、教室は全て窓に接するように作られている。すると、吹き抜けを挟んだ向こう側に渡るには、一々、端まで歩く必要が出てきてしまう。それでは、教師ですら廊下を走る広い敷地内、どうやったって授業に間に合わないとのことで、橋のような物が一フロアにつき二つもかけられている。学園祭期間中はその橋から、フロアにどんな企画があるのか、下階まで付きそうな宣伝用の幕、通称旗を垂らす為、どのフロアにいても、大体の内容が見えるのだ。
一通り散策し、再度、一階から見渡した校内は、例年通りと言う他無い。
休憩所であふれた無駄遣いの旗も、運動部らしき体躯の生徒が仲間と連れだって各所の企画を冷やかすのも、クラス企画の番を押しつけられた生徒の雰囲気も、あちらこちらへ行ったり来たりする気ままなどこからどう見ても猫田さんがいた。変化ではないが予想外であった。何故に彼女がこんな辺鄙な場所にいるのか。まるで理解が追いつかない。
彼女が回っていた企画は全て休憩所であって、同じであろう内容を見て、一体何が楽しいのか、私には分からなかった。しかし、このまま分からないと言って放置してしまうのは思考の停止であり、少しでも猫田さんという人を理解する上でも見ておかなければならない。私は猫田さんと一定の距離を保ちつつ、後をついて回ることにした。決してストーキングではない。話しかける勇気が無いだけである。
いざ、一つ目の休憩所の様子を伺うべく、廊下から室内を覗くと、比喩表現などではない紛うことない小動物が、私の腹めがけて飛びついてきた。驚きつつも咄嗟に抱える。白基調に茶と黒を散りばめた毛並み、丸く比較的平たい顔と体躯、愛らしい仕草は、どこからどう見ても、三毛猫のそれであった。とても可愛い。
なにゆえ猫が、と思案を巡らせていると、猫に続いて生徒の一団が教室から出てきた。一様に黒いTシャツを来ており、悪鬼の如き形相だから、本当に鬼のようである。飼い主では無さそうだ。
彼らは私と私の腕で居心地の良い場所を探そうとする猫の様子を見るや、一番先頭に立っていた生徒が指を鳴らした。なんだか見たことがある。こういう時は逃げた方が良いのではなかったか。しかし、私にそんな素早さはなかった。いつの間にやら後ろに立っていた鬼達によって私は捕獲された。
黒鬼に四方八方を囲まれながら、猫を抱えた私は階段を上らされた。猫田さんとの物理的距離が開いていく。こんな姿を見られたなら、心の距離も開いてしまうだろう。
訳も分からず四階まで上らされると、裏口から摘み出されるでもなく、教室の一角に連れ込まれるでもなく、吹き抜けに掛かった裏口から遠い方の橋の中央に連れてこられた。そこには、教室の机数脚に角材とベニヤ板を組み合わせ、仕上げとばかりに学園祭実行本部と大々的に書いた、拠点と呼ぶに相応しい一角が作られていた。
「委員長、三毛猫を捕獲しました」
先程指を鳴らした生徒の報告に、中央で作業をしていた生徒が振り返った。なんだか見覚えのある生徒で、彼も私を見て驚いている。
「あれ、先輩?」
その呼び方と声で気が付いた。彼は私とアルバイトをする後輩であった。そして、猫田さんとの関係を察した男でもある。彼はアルバイトの後輩と言うだけでなく、学校においても後輩であったのだ。服装が黒Tシャツで有ることに加え、雰囲気もいつもと違うから、全く気が付かなかった。
私を捕らえた生徒が、後輩に「お知り合いですか?」と小さく聞く。後輩が頷き下がるように指示をすると、私を連れて来た鬼達は、蜘蛛の子を散らすように消えていった。
「この学校、アルバイト禁止だろ」
「内緒にしておいて下さい。こう見えて内申点、良くしてるんですから」
「それで実行委員長?」
「まあ、それは成り行きで」
「だとしても、本部がここって言うのはどうなんだ?」
「良いじゃないですか。学園祭の全部を見下ろせるんですよ?」
「五階から上は?」
「物置です。あとは職員室ですし」
「なるほどな。じゃあ、仕事熱心な委員長殿を邪魔しても悪いし、俺はこれで」
それとなく立ち去ろうとするが、後輩が私の腕を掴んで止めた。
「残念ながら、仕事熱心なのでそうはいかないんですよ。先輩はどうしてここに?」
本当に残念である。私が何をしたというのだろう。こんなにも清廉潔白で、必死に生きているだけだというのに、一体、何が不満なのか。純真無垢とは私の為の言葉である。
「友人に呼ばれたんだ。結局、会えなかったんだけど。それにここの出身だし」
しかし、何もしていなければこそ、抵抗せず、包み隠さず、正直に、私は訳を語った。これで委員長も納得してくれるだろう。
「そうでしたか。ともかく、猫を放ったりはしないでください。僕達はそんなに暇じゃないんです」
一瞬、彼が何を言っているのか理解が出来ず、よく考えると、私は猫を抱えていたのであった。余りに可愛く私に身を寄せてくるから、すっかり忘れていた。私は慌てて弁解をする。
「待て。この猫は俺と関係ない。勝手に飛びついてきたんだ」
「その割に懐いているようですが?」
「そうだな。なんでだろう?」
私が猫を見ると、猫も私を見てにゃあと鳴いた。とても可愛い。
その様子を見ていた後輩は少し考えた後、私を隣の席に座らせた。
「わかりました。じゃあ、証明してくださいよ」
「証明って……」
「我々実行委員が必死に動いてはいるんですが、なにぶん、手が足りないんです。問題を起こす輩が多いわ、校舎と敷地はやたらに広いわ、後夜祭のキャンプファイアの準備に砂漠へかり出されるわ。だから、手伝って下さい。先輩なら卒業生ですし、迷うこともないでしょう」
「だから、俺は何も……」
「もちろん、手伝ってくれるならお礼はします。そうですね……会えなかった友人を捜すというのはどうですか? 実行委員は常に巡回してますから、割と早く探し出せると思いますよ?」
この時、私の頭の中で、大脳参謀が進言を始めた。手伝う見返りとして友原の捜索は割に合わぬと、別の見返りを提案して来たのだ。私はその案に無条件で同意した。
「だったら、別の人も捜せるのか?」
「別の人? ええ、可能です。誰です?」
「前に店に来た俺の親友なんだけど……覚えてるか?」
「ええ。先輩の想い人ですね。彼女も来てらっしゃるんですか?」
「下で見かけたんだ。何でいるかは分からないけど、お前のとこの部下が来たから見失ってしまったんだ」
私が非難の声を上げると、悔しそうに聞こえたのか、後輩はくつくつと笑った。
「それは失礼しました。呼び出せば直ぐに見つかりますよ」
言うが早いか、後輩は指を鳴らした。黒いTシャツの生徒が何処からともなく現れ、後輩の前に立つ。
「呼び出し案内だ。放送部に伝えてくれ。先輩、彼女のお名前は?」
「待ってくれ。捜しては欲しいが、会いたい訳じゃない」
瞬く間にことが進んでしまい、口を挟む間もなかったが、ようやく、彼を止めることが出来た。怪訝そうな表情をする後輩に、うつむき加減で説明をする。
「彼女が何をしてるかとか、どんな企画を見てたかを知りたい。ちょっと、気まずいんだ」
デートの約束までは取り付けておきながら、考えすぎて怖くなり連絡を取ることが出来なかった。そのまま月日が過ぎてしまって、友原が更に切っ掛けを作ってくれても、風邪でいけなくなる。とても合わせる顔が無い。
思いこみだと言われたら、そうだと断言する。思いこみだからと、下手に話しかけては玉砕してしまうこと請け合いだ。私は立ち直れなくなるだろう。その後の保証が無い限り、私は出来る限り安全な道を通るのだ。
ここで彼女の趣味趣向を、より詳細に知ることが出来れば、道も舗装されると言うもの。これで、より完璧なデート計画を練り上げるのだ。
笑み笑みとした後輩は「気持ち悪いですね」と言いつつも、委員会の人間に情報を集めるよう伝えた。その代わりと言わんばかりに、彼は黒い一着のTシャツを取り出す。
「それじゃあ、着て下さい」
「俺も着るのか?」
実行委員によって包囲されて階段を上っている際に分かったことなのだが、このTシャツは背中側にデザインが施されている。中央やや上に『学園祭実行部』と書かれ、その下に委員会に所属する生徒らしき人名が並んでいる、青春の一ページと言ったものだ。当然、その中に私の名前はない。これを着ろというのか。
「でないと実行委員として分からないじゃないですか。これを着てさえいれば、大体の免罪符になりますから」
仕方なく受け取った私は、白い長袖シャツの上から黒の半袖Tシャツという、似合う人を選ぶ出で立ちとなった。
「お似合いですよ」
「うるさい。それで、俺は具体的に何をやらされるんだ?」
「簡単な話、問題を解決してくれれば結構です。たしなめて貰っても、確保して貰っても、どちらでも。出来たらたしなめて貰った方がいいですけど」
「年に一度の祭りだからな。あくまで実行委員は、楽しんで貰うのが役割ってことか」
「いいえ?」
私が納得していると、後輩はさも当然かのように否定する。
「水を差すのが我々の役目です。楽しんで貰おうなんて思ってませんよ」
後輩が興味無さげに裏口直ぐ隣の教室を顎で示した。
「ただ、留置所がいっぱいなんです」
出入り口には屈強な実行委員が立っている。手に持つ箒が、さながら刺叉のようだ。近寄りたくない。
「まだ、捕まっていない反学園祭分子もいるようで、大忙しです」
自嘲気味笑った後輩は「心労が耐えませんよ」と付け加える。
彼は問題行動の代表格である、三つの反学園祭分子について話し始めた。
「目下、問題視しているのは鰻屋台です」
「そんな屋台まで出てるのか?」
「匂いだけ漂ってくるとか。極わずかに許された飲食店とか、香りにこだわっている休憩所なんかからの苦情が酷くて」
後輩が紐でくくられた紙の束を机から取り出す。全てが全てに悲痛とも言える叫びが刻まれており、その数、枚挙にいとまがない程であった。
「それに、準備期間中、不審者が入って、置き手紙を残していったそうなんです。『当日、学園祭を壊す』って」
これに関してはコメントを差し引かせさせていただきたい。
私はなんとか「そうなんだ」と返すのがやっとであった。
「犯人は『悪のカリスマと泣鬼』を自称しているそうです」
呆れたような後輩の笑いに、私はひきつっているであろう、苦笑いしか出来なかった。入試中、鬼の形相で号泣していたせいで、泣鬼なんていう不名誉な名前を欲しいままにした男が、たった今、後輩の目の前に居るとはとても言えない。
「でも、一番の問題は猫ですよ」
最終日である今日が始まって直ぐのこと、何者かが猫数匹を解き放ったのことであった。意図も意味も全くもって不明だが、その影響は多大なもので、吹き抜けの最下層にある広場のような空間で発表を行っていた吹奏楽部の演奏を妨害したり、数店だけ許された飲食店に侵入し、衛生面上の問題が起きたり、橋の下に垂れる旗にぶら下がったりと、やりたい放題である。その上、実行委員が捕らえようとすれば全力で嫌がるから、事情をいっさい知らない来場客から白い目を向けられてしまう。彼らとしては、最重要事項なのであった。
「でも、先輩には何故か懐いてましたからね。捕まえられるんじゃないですか?」
「そうか、善処しよう。しかし、もっと情報はないのか? 暫定的な数とか」
「報告によると今のところ三匹は確実にいるようです。柄は三毛、茶虎、黒だそうです」
「俺が捕まえてる三毛を除けば、あと、二匹だな」
猫が丸くなる膝の上を見ると、そこには白茶黒の内、黒一色しか見あたら無い。それも自分のズボンの色であった。
「最低、後、三匹ですね」
後輩が楽しそうに笑う。
いくらか気力を喪失した私は、ため息を付きながら立ち上がった。
「何かあったら委員会連中に聞いて下さい。全員が全員、情報は共有するようにしていますから」
「わかった」
「もちろん、彼女のことも。どこにいるか知りたかったら聞いて下さいね?」
からかうような後輩の笑みに、私は腹をたてながら実行本部を後にした。
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