第19話
迷った来場者を親切に案内し、喧嘩を始める生徒をたしなめ、企画の装飾を壊そうとする生徒を留置所へ送り、酒に酔った教師を職員室に送り、違法回線で校内放送の乗っ取りを企む一団を一斉に留置所へ送る。
実行委員の仕事は激務であった。アルバイトで培った接客技術のお陰で私はそつなくこなせるが、接客もしたことのない生徒にさせるのは、中々厳しいのでは無いだろうか。後輩が実行委員長の座に付くのも納得である。
私は問題を解決する都度、『三匹の猫』と『鰻屋台』の情報を集めた。『悪のカリスマと泣鬼』に付いては聞く必要もない。
すると、『三匹の猫』の目撃情報が驚くほど集まった。廊下を走っていたとか、一階の広場で追いかけっこしていたとか、休憩所で丸くなっていたとか、白シャツに抱えられて実行委員と上に連れて行かれたとか、休憩所で丸くなっていたとか、実に多角的な情報が入ってきた。あんなに可愛いから目立つのも無理はない。
情報を総合すると猫達は休憩所で丸くなっていることが多いようであった。確かに、私が最初に三毛と出会ったのも休憩所だ。
調べる範囲を休憩所に絞って捜す。しかし、この学校には数多の休憩所がある。有りすぎるくらいだ。得た情報を元に直前まで居たと思われる休憩所を覗いては、何かしらの問題を発見して更に情報を得ていく。探偵か警察にでもなったようだ。
せっかくなので名探偵にでもなったつもりで考えてみる。
猫に限らず何かを探す上で心がけるべきことは何か。
自分が探される側ならどういった逃げ方をするかを考えれば良い。
そんなことを何処かの名探偵言ったとか、言わなかったとか。真偽の程は全く定かでないが、私はいつもそうやって無くしたテレビのリモコンを探している。そして、時々に応じて時間差はあれど、最終的には見つかっている。つまり、この方法は無機物にまで通用するということだ。リモコンに通じて、猫にも通じないはずがない。初歩的なことである。
私は猫でないから猫の気持ちは分からない。リモコンの気持ちは分かって、猫の気持ちが分からないとは、不徳のいたすところである。
だが、私はどことなく猫のような女性を知っている。自由で気まま。気づくと時々姿を消している。高いところが好きで、立ち入り禁止の屋上や、上層の空き部屋にいる。そこで日向ぼっこをしている。なのに、狭くて暗いところも好きで、棚の隙間に居たりもする。朝焼けが好き。夕焼けも好き。だから、やたらと早寝早起きをする。昼間は静かに、一人、読書に勤しむ。だけど、一人が好きなわけではなくて、朝夕は元気で友達に良く話しかける。人とは狭く深く接する。決して、友達が多いわけではない。仲の良い友達がいないと、とても沈む。クラス替えが怖い。水も怖い。人類史上、初めて泳いだ人間を心底憎む。雷も怖い。不意の大きな音に酷く怯える。梅雨時は、憂鬱そうにしている。暑いからと安易に出される給食の冷凍蜜柑が嫌い。蜜柑自体が嫌い。蜜柑を乗せる炬燵は好き。寒いからと安易に出される熱いものが嫌い。猫舌だから嫌い。でも、絶対に食べ残しはしない。誰よりも綺麗に食べる。綺麗好き。誰にも分からないような、小さな臭いにも気づいて、消臭剤をまき散らす。どこまでも気ままに。どこまでも自由に。
掴み所の無い彼女を理解することは容易ではなかった。気持ちを考えることには自信のある私だが、この学校での動きが想定できなかった。何せ、高い位置で、日差しが差し込む、彼女好みの休憩所が多くあるのだ。反対に、柑橘系の香りで部屋を満たした休憩所や、足湯のようなものを用意した休憩所を除いたとしても、とてもじゃないが絞りきれない。
猫についても同様である。生物部で得た、わずかな知識を加えたとしても、殆ど結果は変わらない。休憩所にもっと変化があって、猫好みの環境があったのなら、もう少し違ったであろう。真面目に企画に取り組めと言うものである。
幅の広い手がかりしか無く、名探偵でありながら迷っていると、どこからともなく悲鳴が聞こえた。吹き抜け側の階下層からである。私は急いで落下防止の策から頭を出してのぞき込む。
そこでは誰もが一様に上を見上げており、視線を追っていくと、四階の吹き抜けに掛かる橋、実行本部のある橋から垂れる旗に行き着いた。白と黒の書道でもしたのかという味気ないもので、問題はといえば、中心に書かれた休憩所が、体憩所になっているくらいか。悲鳴を上げる程ではない。もう一度、下に視線を戻して再確認するが、やはり、旗を指している。不思議に思いながら、再度、旗を観ると、驚くべきことに、体憩所が休憩所に直っていた。
ようやく理解した。黒猫が旗に張り付いているのである。
そういえば後輩がそういうことをして困ると言っていた気がする。私は急いで黒猫が張り付く布の下へと走った。
旗は下階に付きそうな程に長い。黒猫がしがみつく旗も同様に、下の橋から掴めそうであった。だから何だというのだ。慌てて来てみたは良いが、私にはどうすることも出来ない。下からしがみついたとして、直ぐに気づいたのなら、引き剥がすことも簡単であっただろう。しかし、黒猫の孤軍奮闘とも呼べる挑戦は、いつの間にやら中腹にまで差し掛かってしまっていた。
下から猫を見守っていると、旗が大きくなびき始めた。黒猫が必死に掴まる。
原因は黒猫の更に上にあった。橋の上から実行委員数名が、旗を引っ張り上げようとしていたのである。
「やめろ、馬鹿! 落ちるだろ!」
「今のでも揺れますか。上からだと分からないんですよ」
真上の橋から後輩が顔を出した。私は努めて冷静に言い聞かせる。
「ああ。揺れる。そのまま、動かすな」
頷いた後輩は、旗を掴んでいる実行委員に、手を離さないよう、動かさないよう、念を押した。大きさからして、かなりの重さがあるだろうに、無茶な要求である。
正直なところ、私は黒猫に登り切って欲しいとすら思っていた。上からも下からも猫自身には届かないし、下手に旗を動かせば落ちてしまう可能性がある。最早、誰にも手出しは出来ないのだ。であれば、いっそのこと、黒猫の挑戦を見届けて上げることこそが最前の策なのではないか。
私は片時も離れず見守った。黒猫は順調に上を目指している。このまま行けば、まもなく、後輩達が捕まえてくれるだろう。無事に保護さえされれば、とりあえずは一安心である。
しかし、もう数歩で実行委員に届くという時、焦った実行委員が猫に手を伸ばそうと、旗から手を離してしまった。重力に任せて、旗が下へと揺れる。突如として下への衝撃をかけられた猫が旗から振り落とされる。唖然とする実行委員の手からすり抜け、黒猫は落下を始めた。
全てが一瞬の出来事であった。
咄嗟に手を出すも間に合わず、黒猫は私の顔面に着地した。
引き剥がすと、悪気無さそうに、みゃあと鳴く。可愛い。まだとても大人とは言い難い。バランスを崩して、黒猫共々、下層に落下するようなことにはならなかったは、きっと、そのお陰だろう。
「大丈夫ですか」
そこへ後輩が数人の実行委員を連れてやって来た。
「早速、一匹ですね。流石です」
「こんなの偶々じゃないか」
猫を後輩に引き渡す。素直に彼の元へ渡ってくれたが、最後に猫が悲しそうに鳴いた。胸が締め付けられる。今だけなら猫の気持ちが分かる気がする。しかし、この猫の気持ちが分かっても、逃げ惑う猫達の気持ちは分からない。やはり、地道に足取りの欠片を集めるしかないのだろうか。
それにしても、猫田さんの情報を集めることには多大な自信を見せるのに、捕まえられない猫を私一人で捕まえろと言うのもおかしな話だ、と考えたところで、後輩が一言も猫の足取りを知らないと言っていないことに気が付いた。
「なあ。実行委員は猫がどこにいるか知らんのか?」
「完全には把握してません。別の空間にでも飛んでるんじゃないかってくらい逃げるのが上手くて、廊下の角を曲がった途端消えたりするんです」
黒猫を宥める後輩は、困ったように「先輩の親友さんも良く消えてるそうです」と付け加えた。
「ああ。彼女は昔から良く消えるんだ」
「猫みたいですね。案外、追ったら猫達もいるかもしれませんね」
笑う後輩とは対照的に、私は深く考えだす。名探偵再びである。
似かよった思考の人物は、同じような動きをするという。幼少期、良く似た双子が、最終的に良く似た人生を歩んだという話も聞いたことがある。つまり、猫に似た行動をしている猫田さんが、猫と同じ考えをしている可能性も、存在しているのではないか。同じ考えをしているなら、同じ行動に及ぶのではないか。
「先輩?」
「あり得ない話じゃない」
「冗談でしょう?」
呆れる後輩であったが、私の真剣な表情を見ると、ため息を付いてから指を鳴らす。後輩の後ろに立っていた実行委員の一人が一歩前に出た。
「まあ、教えて減るもんじゃないですし、元々、そういう約束ですからね。報告しろ」
「はい。四階の休憩所でしばらくうたた寝をした後、同階、生物部、三階、美術部、演劇部と回り、現在は、二階の飲食店を巡っているようです」
「そうか、ご苦労」
「もう、お昼時なのか」
空腹に耳を傾けた私は納得する。
「そうですね。どうりで飲食店から猫の苦情が増していると思いました」
「つまり、猫も二階に居るということじゃないか。彼女の猫らしさはやはり正しかった」
私は自分の推理に浮かれながら、一つ下の階へと降りた。
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