第17話

 車と思しきものに乗せられると、何処かへ向かって走り出した。相当な時間を走行した後、緩やかに停車すると再び男に担がれ運ばれる。どうやら、建物の中らしく、二足の足音が響き、美味しそうな匂いが漂っていた。扉を開ける音がして、足が床に着かない椅子と思われるものに降ろされる。酷く座り心地が悪い。逃げられないようにする為か、足と太股を座らされたものに紐で固定されてしまった。

「やあ」

 目隠しが外されること無く、私の足を縛った人間の気配が遠ざかると、やや距離を置いているであろう声がかけられる。何処かで聞いた男の声であった。

「手荒な真似をしてすまなかったね」

「本当だ!」

「知られてしまったからには、何かしらの対応を行わなければならないのでね。そこでどうだろう。我々の仲間になるというのはどうだろう」

 予想外の誘いに思わず、「はあ?」なんて叫んでしまった。

 すると、話していた男が悪友の名を呼ぶ。

「友原君」

「はい」

 返事をした声は紛れもなく友原のものであった。

「私の悪戯に長年協力してきた人間です。見込みはあるかと」

 改まった様子の話し方はなんだか違和感であった。

「だそうだ。どうかね。金になるぞ? 少しの労力で大量の金が入れば、執筆も進むのでは無いかね。猫田さんとも仲良くなれる好機だ」

 そう言われるとなんだかそんな気もしてくる。

 時給に見合わない多忙なアルバイトの疲労から寝てしまい、執筆が全く進んでいないのも事実である。本当に少しの労力で大量のお金が入るというのであれば、危険と当日の疲労はあれど、多くなる休日に書き進められよう。その物語で猫田さんと仲良くなれたのなら、もう、言うことはない。

 しかし、これは明らかに犯罪行為である。誰かの幸せが誰かの不幸せというのは真理かもしれぬが、私は私のせいで不幸せになる人を知りたくもないし、相手に私だと知って欲しくもない。我が儘だが、私は罪の意識に苛まれるし、相手も私を憎むだろうから、知らないところで勝手に不幸せになって貰いたいのだ。そんな人間が犯罪に向いているはずがあろうか。私が高校時代にかろうじて学び取ったものは、復讐の為に一度捨てたつもりであったが、どうやら、根っこまでは捨てられなかったようである。

 それに、この場に友原が居る時点で、全てを信用できない。あの悪戯ばかりしているような悪のカリスマが居るなら、今の状況も悪戯という可能性は無いだろうか。私が膨大な道のりを歩き始めたところからして友原の計画であり、全ては彼の手のひらの上で踊らされていただけではないか。非日常であればあるほど、彼の悪戯であるという疑念はぬぐい去れない。こんな大がかりなことも、彼ならやってのけそうである。

「どうだい?」

 沈黙を保ち続ける私に、謎の男が自信ありげに尋ねてきた。

 どちらにせよ答えは決まっている。

「断る」

 ため息が聞こえた。謎の男のものだ。

「……そうかい。では、仕方ないな」

 立ち上がる音が聞こえる。相手も座っていたようだ。何処かへ歩き去ろうと、靴の音が聞こえた。

「待ってください!」

 その後を追うかのように友原の足音と声が聞こえた。どうやら、友原が仕掛けた悪戯では無かったようだ。

「あいつは良い奴なんです。絶対に役に立ちますって」

「そうかい。じゃあ、役に立って貰おうかな」

「本当ですか!」

 安堵したような友原の希望に満ちた言葉は、次の瞬間、楽しそうな謎の男によって落とされる。

「ああ。ただし、娯楽として。張り付けろ」

 その言葉を合図に、私を縛る紐は全て解かる。しかし、逃げるより早く三度担がれ、壁らしきものに押し当てられた。そして、両手両足を広げるように引っ張られ、手首足首及び首に枷をはめられた。

「おい、何をするつもりだ」

 今更ながら身の危険を感じた私は、周囲に疑問を投げかける。高潔であるあまり、命を落としてしまうなんて、笑い話にもならない。現実から逃避している場合ではなかった。

 無音の中、一体、どのような合図が行われたのか、目の前が急に明るくなった。眼球が仕事を拒否する。長時間の暗闇から解き放たれた為、中々見定めることができなかったのだ。

 それでも、前を注視すると、霞がかった視界に、いくつも机と椅子が映った。規則正しく一列に並んだ様子は、的から待機中の席を見る、見慣れたダーツ場の光景である。明らかに目立つシャツを着る友原と思しき姿が、恐らくは声の主であろう男を説得しているようだが、それもむなしく何かを差し出される。皿のようだ。悩んだ様子であったが、結局、皿を受け取った友原は、私の目の前の席に着いた。

「それでは始めようか」

 謎の男の一言を切っ掛けに、友原は皿の上から棒状のものを取って口に運んだ。

 良い匂い。ダーツ場。友原の独特な動き。

 これだけの情報が集まれば、私がどこにいるか、およその見当がついた。

「では、幸運を祈るよ。少年」

 直後、視界が回り出した。どうやら、私は回転式ダーツに固定されていたようだ。

 視界が上下左右に縦横無尽に、ぐるぐる回る。上と下が、ぐるぐるぐるぐる、右と左が、ぐるぐるぐるぐる、視界と脳がぐるぐる回った。そして──


 余りに目が回ってしまって目が覚めた。布団の中から見た部屋は、随分と明るく、かなりの間、寝てしまったらしい。倦怠感は収まっており、とりあえず体を起こす。判然としない頭のまま、特に意味もなくガラス戸を眺めていた。

 なんだか、妙な夢を見た気がする。ここまで妙だと、不思議の国をさまよう女児の気持ちが、ほんの少しだけわかるような気もする。残りに大半は、最終的に全裸になる友を救った勇者の気持ちである。

 夢は記憶の整理だと言うが、到底、出来ている気がしない。もしも、出来ているというのであれば、昨日の記憶もはっきりとしているはずだ。熱に浮かされた大脳参謀の妄言によって、狂いに狂った整理になったのだろう。他にも寝ている時の外的要因もあったかもしれない。

 しばらく、そのままでいると、突然、後頭部に痛みが走った。風邪による痛みではなく、外傷の痛みだ。恐る恐る手を当てると、酷い瘤ができていた。

 そうだ。私は頭をぶつけて倒れたのでは無かったか。

 頭痛を皮切りに昨日の記憶が戻ってくる。一応は整理できていたらしい。

 しかし、すると、なにゆえ、布団で暖まっていたのであろう。無意識で凍った敷き布団と、洗わなければいけない掛け布団で寝ていたというのか。そんなはずあるまい。だって、これは私の布団では無い。我が家の布団は煎餅ではまだ厚い、雲母と呼びたいほどに薄かったはずだ。こんなに寝心地が良いはずがない。

 不思議に思いながらも立ち上がると、いつの間にか下も穿いている。というか、巻いている。やたらと長い遠くから見たら最早紐なのではないかという布一枚を何重にも巻くことで、自分の大切な部分は隠されているようだ。これも無意識だとでも言うのか。そんな馬鹿な。我が家にこんなものはない。

 室内を見回すと、台所前の水たまりには紙が敷き詰められているし、台所を使った形跡がある。もう、わからない。

 部屋の中央で仁王立ちし、梟が如く首をひねっていると、音を立てて玄関が開いた。

 当然のように入ってくる侵入者は私を見るなり、驚き飛び跳ねた。

「ああ、起きてたのか。吃驚した」

 良く見るとコンビニの袋を携える友原であった。泥鰌にスナック棒菓子を与えながら部屋に入ってくる。

「何でお前が。そして、泥鰌に菓子を与えるな」

「ここは友原家が管理人もしてるって言ったろ。昨日、『物音がしたから呼び鈴ならしたけど出なくて、ベランダに回ったら電気は点いてる』ってお隣さんから電話があって、風邪ってのは知っていた俺が駆り出されたと。ありがたく思えよ?」


 詳しく聞くところに寄ると、友原は殆ど不眠不休であったらしい。

 合い鍵を使って入ったところ、異常な湿度の中、私が下半身丸出しで倒れていた。その時にはガスの安全装置が働いていた為、私は冷たく死んでいるのかと勘違いしたという。考えた末、まずは体温を戻そうと、ガスを復旧した後、風呂に浸けることを思い立ったが、布団が入っていることから断念。私と同じく薬缶で蒸気を出したそうだ。部屋が適度に暖まるまでの間、余計に冷えるからと、何でもポケットに入っていたふんどしで全身を拭きつつ、畳の上に移動させ、私の下半身を隠したそうだ。その後、友原家の仮眠室からふかふか布団を持って来て私を寝かせた。しかし、一段落して帰ろうとガスを止めた時には、すでに帰りの電車が無かった。そこで、コンビニで買ってきた焼き鳥を食べてから、管理人として部屋を腐らせないためにも、有り余って液化した湿気を拭いては取り除いていたらしい。そして、電車が走り始めたので、一度、家に帰ってから、再び様子を見に来たものの、お腹が空いたからコンビニに行っていたという。

 私は人でなしの友原に人を介抱するだけの心があったのかと驚いた。だが、その驚きはすぐさま無用のものとなり、全く別の理由で驚くことになった。彼の優しさにはちゃんと理由があり、やはり、友原は人でなしなのであった。

 全て話し終えた後、友原が最後の最後に「黙っててくれ」なんて言うから、何のことか問いただすと、私の見た不思議な夢は、私の一人行軍以外、殆ど真実、というより、現実であったのだ。

 友原はダート泥棒と『長屋の住人』の二足の草鞋を履いている。それの裏には彼が先生と呼んでいた元教頭の手引きがあった。元教頭は焼き鳥ダーツの経営者とも親しい同居人であった。そこでダート、特にチップ不足を危機及んだ元教頭は、教え子の教え子である友原に協力しないかと持ちかけてきたらしい。教育者の風上にも置けない。しかし、数日前、リュックボートを借りた際に、私は働いている店と同じダート見つけてしまったらしい。加えて、三日前、焼き鳥ダーツに私がいる時に限って、友原はダートを持ち込んでしまった。彼の正体に気づいた私に、そのことを咎められので仲間に引き込む好機だと、夢のように私と元教頭をあわせたという。ところが、回転式ダーツに張り付けたところで、お酒と風邪の高熱で気絶したとのことだった。

「全く記憶にない」

「言わなきゃ良かった」

 必死に思い出して見るのだが、何も思い出せそうもない。第一、私は何で焼き鳥ダーツなどにいたのであろう。到底、理解しがたいと言っていたはずである。三日前の私にどのような心境の変化が会ったのだろう。

 しかし、その作業は友原によって止められた。

「休めって行ったのに、何で下見なんてするかな」

「何の話だ?」

「そこも覚えてないのか?」

 私がうなずくと、友原は携帯電話を見るように促した。言われるがまま携帯電話を見れば、驚くべきことに、猫田さんからメールが届いているではないか。開いてみると私の風邪を心配する内容であり、最後には「ダーツはまた今度行こう」との一文が書いてあった。そのメールの下には開封された猫田さんからのメールがあって、その更に下にも猫田さんからのメール。友原の呼び出し迷惑メールくらいしか入っていないメールフォルダに、大量の猫田さんからのメールが入っていたのである。

 内容は一緒に焼き鳥ダーツへ行こうというもので、約束の日は二日前のようだ。送信済みのメールと照らし合わせる限り、四日前、私が初めにメールを送っている。

 しかし、未だに勇気が湧き出ていない私が連絡出来るはずがない。となれば、友原の仕業に決まっている。事実、メールしている事を知っているのだから、最低でも一枚は噛んでいるはずだ。私は友原を問いつめることにした。

「どう言うことだ」

「学校への復讐のお礼。四日前、俺がリュック取りに来た時、助言してやったんだ」

「本当に助言か?」

「一通目は俺が送った」

「後、お前がしたことは?」

「お前が『緊張せずに話せるだろうか?』なんて、片思いの中学生ばりに悩んでいるから、『お酒に頼れ』と助言して、バーとか酒場を調べるのまでは手伝った」

 それには心当たりがありすぎた。どうやら私の成長は友原のお陰であったらしい。

 送ったり受け取ったりしたメールを見ていると、私は猫田さんの好物についても聞いているようだ。帰ってきた答えは中学時代と変わらぬ鶏肉であったため、全てを総合した焼き鳥ダーツに行き先を決め、下見をしに向かったと言ったところだろう。

 思い立ったが吉日とは言え、そこまでしなくても良いというのに。結局、風邪が悪化し、猫田さんの元にたどり着けていないではないか。とんだ阿呆である。

「ところで、猫田さんは、何で私が風邪だと知っているんだ?」

「お前が気絶した後、同居人の医者の人に見て貰って、絶対安静でデートなんて無理だって保証されたから、俺がメールした」

「それだと、私は行こうとしないか?」

 得意げだった友原の顔が、自分の失敗に気づいてはっとした。

「まあ、どうせ、お前は記憶を失うほどの高熱だったんだ。行けるはずがない」

「甘いな。私は猫田さんと会うためであれば、どんな無茶でもするぞ。恐らく」

「行けなくて良かったと思うけどな」

「どういうことだ」

 私の問いに友原は台所の使われた鍋から液体を掬い持ってきた。それは文字通り夢にまで見た卵酒であった。

「これが?」

「猫田が作ってくれました」

「何と」

「彼女、お酒に弱いらしいから、貰った日本酒に困ってたそうで。焼き鳥ダーツなんて行ったら、お酒だらけだから、飲むものが無くて困っただろうな」

「そんなことより、猫田さんが来ていたのか!」

 寝ている間にそんなことがあったとなれば、私は干からびる程の涙を流さなければならなくなる。会えなかっただけならまだしも、水たまりなんてものを見られたとあっては一大事だ。最早、彼女と結ばれることは難しくなるだろう。

 最重要事項に友原は首を振った。

「作ってくれたのを、魔法瓶に入れたのを、今朝、俺が持ってきたんだ」

「何だって、猫田さんはお前に渡したんだ」

「今朝、ここに来る前、見舞いに誘ったんだよ。でも、大学あるからって。それでも、作ってくれるなんて、良い奴だな」

「ああ、本当に。お前なんかと違ってな」

「失礼な。俺だって看病したろ」

「口止めの為にな」

「下手するとお前の命が危ないんだ」

 友原の真剣な表情は私に反論を許さぬ確固たる意志を示すものであり、私を心配していることは明らかであった。

 仕方なく口外しないことを誓うと彼は笑う。

「良かったよ。それに早く治って貰わないと困るし」

「私の風邪が治らないと何でお前が困るんだ」

「文化祭、もうすぐだよ」

 友原がにやりと笑った。

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