第10話
昨日よりも待ち合わせの場所と時間を正確にした後、友原は準備があると、一度、自らの家に帰って行った。丁度、日が一番高く上っていた。計画とも呼べぬが、既に過酷を極めるであろうことを保証する一部分を聞かされた私は、寝ておかなければ死ぬと思い、早々に布団を敷いて体を埋める。
秋の自室はとても寒い。つい先程まで、男が二人居たとはいえ、焼石に水ならぬ、氷に火種と言った趣であり、入ったことはないが、冷蔵庫のようだ。昨晩よりは圧倒的にましだが、それでも、私を凍えさせるには十分である。例え、寝床に入っても、自分の体温で自分を暖める永久機関が出来るまでは、押入で冷え切った布団に体を挟み続ける必要があった。今から冬のことを考えると、憂鬱になってくる。
目を閉じてもなかなか寝付けず、その身に冷気を浴びているからか、私は猛烈に人恋しくなった。無論、友原などでは無く、猫田さんのことである。
あの日、私は約束して以来、彼女と連絡を取っていない。
一時の流れに身を任せたから、「二人で一緒に行こう」などと、普段の私では、到底、出来かねる誘いが出来たのであり、何の流れも無い今は、連絡を取ることにすら多大な勇気を要する。しかし、沸き上がらないから、その時を待つだけで、太陽と月が交互に過ぎて行き、彼女と連絡を取る勇気は、一向に現れる気配もない。次第に、彼女のきらきらして、一瞬だけの楽しそうな顔もぼやけてしまい、あの時は夢か幻だったのではないかと思えてきていた。こんなことをしている間にも、彼女はきっと大学での青春を謳歌し、どんどん前へと進んでいってしまう。早くしなければ、彼女の心は誰かに奪われてしまうと分かっていても、踏み出した私の足が彼女を踏んで嫌われたらと思うと、やはり、一歩がとても怖い。考えれば考える程、私は彼女へ連絡出来なくなり、雁字搦めとなった布団の上で、頭をかきむしった。
そんなことをしているうちに温もり永久機関は完成していたようで、私は眠りに落ちていて、目を覚ました時には、既に日が傾き、急いで支度をした。
高校の最寄り駅から、高校までの最終バスは、待ち合わせ時刻よりも圧倒的早さで終わってしまう。そんな時間に学校へ行く何て、物語中の出来事であって、現実には起こりえないからだ。ただ、事実は小説より奇なり。実際に起こそうという人間が、少なくとも二人はいる。
私は比較的高校の近くに位置し、学生時代に寄り道をしていて怒られる原因となった、二十四時間営業の飲食店で時間を潰した。周りに何もないのに、何故か一軒だけ建てられているから、学校側の罠では無いかと疑ったのも、かつての良い思い出だ。昨日も同様にして待っていたせいか、私を覚えているらしい制服姿の女性店員さんが私を見て、会釈なんぞするので、「お疲れ様です」「いえいえ。お互い大変ですね」などと労いあった。纏う雰囲気がどことなく猫田さんに似ているような気もする。ただ、それとこれとは関係ないので、私は心を鬼にして最も安い料理を注文した。それでも、限界アルバイト生活をしている者にとっては痛い出費である。
歩いて目的地にたどり着く時間を逆算して店を出ると、人も、車も、動物の気配も感じられぬ、重い闇が降りていた。昨日はもう少し虫の声が聞こえていたような気がする。
反省を生かして持ってきたマフラーを首に巻き付け校門へ向かうと、暗くてよく分からないが、とりあえず、派手な格好をしていることだけは分かる人物が立っていた。一瞬で分かる。友原である。
「おい」
かなり近づいても気付かないから、小さく声をかけると、本当に気付いていなかったらしい友山が、驚き飛び跳ねた。
「来てたのか」
「今し方」
「……何だその格好」
「黒い格好をすると夜が見方をしてくれるらしい」
呆れたように、容赦なく私を友原が見回してくるので、自信を持って説明してやると、彼は呆れを越えて小馬鹿にしたように、鼻を鳴らした。会って僅かだというのに、腹の立つ男である。
「お前こそ、そんな目立つ格好で。見つかったらどうする」
「俺のように常に堂々としていれば、見つかっても問題ないんだ」
何だかよく分からない理論を広げる友原に、今度は私が呆れていると、彼は足下に置いてあった大きめリュックを背負った。そう言えば、悪戯を仕掛ける当日は、いつも背負っていたような気がする。小柄だからか、一層、大きく見えて、後ろから見ると、リュックに足が生えたようだ。
「行くぞ」
そう言って友原は植え込みの、細かい葉っぱが密集した木へと足をかけた。予想より足が沈むことはなく、ちゃんと立てるようだ。そして、学校の敷地となる塀へ手をかけて、何とか乗り越えようとするが、小柄であるのに加えて、足場が安定しない為、登れない。
「荷物を先に投げればどうだ?」
「壊れ物。今回の作戦で、最も大事なものだ」
見るに耐えかね、私が木に乗ることなく、友原の足を持ち上げてやると、彼は何とか塀の上によじ登り、足を滑らせた猫のように、腹這いとなった。猫は猫でも猫田さんとは比べものにもならぬ、無様な姿である。良い様だ。
続いて私が塀の上に登って、敷地内へ降りようとすると、友原が服を掴んで止めた。危うく、死ぬところであった。
「今度は何だ」
「犯罪者になりたいのか」
「そんなわけ無いだろう。しかし、降りなければ校舎に進めないではないか」
そういうことではなく、と私の話を否定した後、彼は遠くを指さした。余りに遠すぎて、目を凝らさなければ見えぬ位置だが、確かに小さく光る物があった。その動きは季節はずれの蛍を思わせる。
「警備員だ。勝てば官軍、負ければ賊軍、見つからなければ完全犯罪。このまま移動しよう」
友原が堕落した猫のようになっていたのは、警備員の目から逃げる為であった。私は真っ黒であるため気付かれていないようだ。やはり、夜は黒を味方するらしい。堂々とは何だったのか。
我々は警備員の目を盗みながら、塀を移動した。
大変、頭の良い読者諸君には、改めて言う必要も無いとは思うが、念の為、言っておくと、犯罪は犯罪であり、見つからなければ犯罪で無いということは決してない。こんなことで人生を棒には振りたくないであろう。これは、我々のような既に人生、棒に振ってしまっているような人間だから、出来ることであり、決してまねをしては行けない。国家権力のお世話になってから、私に責任を押しつけることないよう注意されたし。
そのまま、塀を伝っていくと、いつの間にやら、葉っぱが色々取り取りに染まった森へと入ってしまっていた。山一つ分有るのだから森の一つもあるかと思うかもしれないが、運動場と施設が有るから、以外とそんなことは無く、敷地の所々に、僅かに点在している程度である。
相変わらずの不可思議ポケットから地図を取り出した友原が、現在地をどうにか割り出して、塀から降りる用意を始めた。
「待て。ここから行くのか?」
「ああ。校舎側面にある森だから、このまま行けば、身を隠しながら行ける。むしろ、ここしかない」
私の問いかけも意に介さず、友原は地面に降り立ち、そのまま歩いて行ってしまった。仕方なく、私も降りると、地面は舗装されていないから歩きづらいことこの上ない。
何度も言うようで申し訳ないが、この学校はほとんど山である。
我々が初めに立っていた校門からでさえ、校舎にたどり着くまでは少しの間、坂道を上ることになる。舗装されているとはいえ、朝から坂を上るのは相当な苦行であり、運動部の心肺機能の向上に一翼を担っていることは確実であり、新入生、または武芸に力を入れぬ者をして、心臓破りの坂と呼ばれていた。かく言う私も、呼んでいた一人である。恐らく、私が現在の過酷なアルバイトで、高速で走れているのは、この坂に寄るところが大きい。
それにもかかわらず、この友原は、未舗装の道で坂を進もうというのである。鬼か。
足場の悪い坂を、木にぶつかり、土に滑り、根っこに足を取られつつも、必死で友原について進む。彼が目立つ格好でなければ、今頃、私はこんな場所で遭難していたであろう。それ程までに、一杯一杯である。アルバイトによって、通学当時と同じかそれ以上の心肺機能を持つはずなのだが、どうしたことか、一歩、足を踏み出す度、二息を欲す。汗はとうに額を占拠し、新天地を求めて、重力に従っている。およそ、私の部屋など目ではないであろう暑さで、周囲の色を見なければ秋を忘れる。最早、我々二人は、獣も通ら無い道ですら無い場所をかき分けて進む登山者となっていた。
「本当に合っているのか?」
「合ってるよ。このまま進めば、本校舎の裏口に出る」
息も絶え絶えで呟く私に、友原は振り返ること無く答える。
すると、酸素不足で若干の寝不足でありながらも、私の脳内危機管理部署が、警報とまではいかない、進言と言うべき報告を参謀にあげた。
「しかし、それだと、警備員に見つからないか? 裏口も入り口には違わないだろ。深夜に正面突破する馬鹿か阿呆なんていないだろうが、入り口なんて最初に固める場所ではないのか?」
一部、脚色しながら参謀からの忠言を伝えてみると、前だけ向いて進んでいた友原が初めて歩みを止める。振り返ると、見たこともない険しい表情をしているようだ。暗くても辛うじてそう見えるのは、彼が相当に苦しそうだからである。人のことはいえないが、日頃の運動不足のせいであろう。様見ろ。
「確かにそうだ。俺としたことが」
無心で猛進を続ける内に、気が回らなくなっていたらしい。友原は山道に腰を下ろそうとするので、泥が付くと忠告したが、彼は何を今更と、所々、汚れた派手な服を見せて幹に体を寄せた。小柄な彼が座ると、私は完全に見下ろす形となった。
背負っていたリュックを下ろして、校舎の構造図を広げる。簡易作戦会議場が形成されて、友原による進入経路の再検討が始まった。
「職員室は七階だ」
「そうだな」
「仮眠室がその真下の一部」
「ああ」
「となると、階段を上るしかないよな」
「うむ」
「階段は一階の端の正面口から入ってすぐ右側と、四階端の裏口のすぐ右側。校舎の対角だ」
「その通りだ」
「聞いてるのか?」
「全く」
深く考えずに全て同意の相槌をしていたら、太股を小突かれた。友原が座ったまま小突くので、見事に太股の痛い場所に入った。何か選択を間違えたらしい。話は聞くべきだ。
地図を見ると、ワンフロア毎は、一見、綺麗な長方形を等間隔に切ったように見えるのだが、実際の校舎はというと歪な構造をしている。
建っているのが山頂とはいえ、山の上であることには変わらず、地面を削らずそのまま斜面に作ったものだから、校舎の一階から三階までが、段々になっているのだ。遠目に見ると、勢い足りず失敗した達磨落としのようである。そのため、正面口は坂を上っていて初めに見える一階部分に有るというのに、裏口は校舎の横を通って山頂に抜けた、四階に位置していた。なお、三つの段差によって出来た屋上部分は、植え込みと同じ植物が植えられ、段々畑と呼ばれている。ベランダにしてしまうと、人が落ちるからと、そんなことになってしまっていた。
「段々畑でも上るか」
そんなものを見ていたから、突飛な発想が口をついた。
少し間をおいて再び殴られた太股が、友原の同意を示していた。
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