二章『悪友と学校、寒走』

第7話

 私には、親友、というより悪友と呼ぶにふさわしい友人が、たった、一人だけいる。

 いくら悪かろうと友だから、友原としよう。小学校から高校まで学業をともにして、未だに、なお付き合いのある、ほとんど腐れ縁の男であり、小柄で細身、際だって眉目秀麗という訳でもないのに、クラスどころか、学年、学校、果ては他校にも知れ渡る街規模での有名人であるが、名が広まるということが全て良い意味とは限らない。

 彼には自分が楽しいと思ったことに持てる限りの力を傾ける、本来ならば美点とされる才能を持っていた。しかし、彼が熱心に取り組んだのは、他人が困ることで自分が喜ぶ、悪ふざけ、所謂、悪戯であった。宝石が如き美点も、場合によっては目を背けたくなる汚点へ変わる。標的になるのは決まって教師であり、弱きを助けるわけではないが、強きは挫く為、基本的に、大人の中では悪童、子供の中では英雄という、全く両極端の評価を欲しいままにしていた。学校にいる日中、彼の周りは、常に教師の悲鳴、怒号、涙声と、児童の笑い声が不協和音をなし、放課後は仲間とともに、悪戯して回る。そして、付いた称号は、誰が呼んだか、悪のカリスマ。そして、不本意ながら、私はその仲間であった。

 ただ、私にとって最重要なのは、彼が唯一、猫田さんへの想い知っているということである。私が良く彼女に視線を向けていることから、鎌をかけられ、気付かれてしまったのだ。元来、人を小馬鹿にする性質を持つ彼は、若干、からかいつつも、未だに、誰一人として私の恋心を漏らさず、あまつさえ、最大限の協力を持って応援してくれている。実にありがたい。

 しかし、それだけなら、美しい話で済むというのに、そうは行かないのが悪のカリスマたる所以である。

 彼は小学校当時から今に至るまで、時折、我が恋心を猫田さんに直接暴露すると持ち掛けては、私を色々な場所へと呼び出した。そうして私が嫌々ながら赴くと、彼は決まって悪戯の手伝いをさせるのだ。悪のカリスマというより、非道、外道、人でなしの所行である。


 その日も、同様、我が止めどない猫田さんへの恋心を捕らえた友原は、私はともかく、進学校であるのに彼を社会へ送り出してしまった、選択を誤ったであろう高校の、校門前に呼び出された。時計の針が一番上で重なる深夜のことである。約束の時間はとうに過ぎ去っているというのに、友原が現れる気配は今の所有りそうもなかった。

 幸い、時間も時間の為、人通りは無いものの、この校門は大きな通りに面していて、いつ、車が通るか分からない状況である。一応は卒業生であり、時間さえ間違わなければ、母校を訪ねても何ら不思議はでない。この日は、大幅に訪問時間を間違えているため、このまま校門の前で待ち惚けていたら、通報されても致し方ない。

 加えて、秋も深まった頃であるため、風が私の顔やら首やら、露出している僅かな箇所から体温を奪っていった。抜け出ていく温度を少しでも守るべく、私は校門の直ぐ横にある植え込みの近くへとよった。ほんの少しではあるが、風を防げているような気もする。しかし、そんな小さな違いは、大きな寒さの前では大差ない。

 私は友原に憤慨した。何だって、こんな夜中に外に出て、寒さに震えなければいけないのか。彼の身勝手には散々付き合ってきたが、もう、限界である。しかし、彼女の恋心を人質にされている以上、私は立ちあがることができない。この怒りと恋の熱量が本当に私の体を温めてくれないものか。

 そのうちにも、私の温度は抜け出ていって、腕が自分で自分を抱くようになり、この頃には、いっそのこと、車に見つかりたいとすら思えてきていた。そこで誰かに強制連行されたなら、友原へ言い訳も付いて、私の面子も彼女への恋心も守られると言うものである。

 人体とはお腹に温度を抱え込むのか、気付くと背中が丸まってしまう。友原か別の誰かに見つけて貰うためにも、必死で背中を伸ばして、辺りを探すも、地球の影たる夜の中では、影も形も見あたらなかった。そんなことをしているからか、体温は守られるはずもなく、風と夜による温度流出は止(とど)まることを知らない。少し体勢を変え、自分の腕に触れている手が、氷と言って通じてしまいそうなほど、冷えきっていると理解した瞬間、私は人の形をやめて、膝を抱えて小さくなった。

 これで、もう、ほとんど、誰にも見つかることは、無いであろう。目を皿のようにして、友原を探すしかない。


 寒さというのは、時間の感覚を狂わせる。今が何時で、どれだけの時間が経ったのか、時間を確認する手段を持ち合わせていない私には、一向に検討も付かなかった。ただ、唯一、分かるのは、本来、寝ているであろう時刻から来る暴力的な眠気と、それを助長するかのような寒さが、魔の両手として私に襲いかかって来ているという、どうしようもない、生理的事実である。とてもではないが、眠い。そして、体が無理をするなと言っているからには、耳を傾けないわけにはいかなかった。

 簡単に言えば、私はいつの間にやら、うたた寝をしてしまったのである。隣に少し寄りかかれる、植え込みなんぞあるから余計であった。危うく凍死するところであった。

 薄く開いた瞼からは、僅かに光が差し込んできた。眼球が眩しさを訴え、再び、瞼が降りる。

 しかし、今度は脳内で警報が鳴り響いた。寝起きの頭というものは、大凡、回転と呼べるほどの活動を始めてはいないが、唯一、どんな時にでも起きている、危険を察知する部分が、想像を絶する速度で警報を鳴らしに向かったのである。

 緊急事態に脳内は混乱を極めた。私は基本的に寝起きというものが非常に良くない。今までも、幾度と無く、寝返りの結果、切り傷、擦り傷、打ち傷の類を作り続けたが、一度足りとも起きることは無かった。そのため、朝っぱらから赤色か青色の傷を見ることになり、酷いときは、再び、夢の中に強制送還されてきた。だから、今回は、私より早く起きた大脳参謀の言葉に、よく耳を傾けることにする。

 参謀は手始めに、情報収集を要求するので、私は早急に瞼を開けようと、必死に眼球へ懇願した。すまぬ。確かに二度寝は気持ち良いが、後で目薬をやるから、その快適な布団の中から出てきてはくれないか。

 その間にも、混乱していた脳は何とか冷静さを取り戻し、時系列順に記憶の整理を終えていた。植え込みに体を預ける前の視覚画像を参謀が渡してくるので、眼球の機嫌が悪く、霞んだ現在の景色と比較してみると、大きな違いは一つしかなかった。

 頭上から遠くの屋根にかけて、空が濃紺から藍色へとグラデーションを描いているではないか。夜明けである。早起きは三文の得というが、この景色に値段など、つけようもない。大変に美しいではないか。

「いや、そうではない!」

 大脳参謀が叫びながら、警報を最大音量で響かせ始めるので、提出された記憶資料を読み込む。何故、ここにいるか、第一、ここはどこかを理解するも、首を傾げるから、参謀がため息を付きながら、私にカレンダーを渡してきた。秋の深まる頃だ。秋は夜が延びていくから、私の睡眠時間も必然増え始める時期である。夜が長いと言うことは、昼が短い。朝日が昇るのは遅くなる。

 気付いたが早いか、私は安い機会仕掛けのように飛び跳ねた。

 詳しい時間は分からぬが、いつ、教師が出勤してきてもおかしくは無いのではないか。

 このままでは国家権力様のご厄介になってしまう。成人して早々に投獄されては目も当てられない。約束した猫田さんとの逢い引きもまだなのだ。牢獄は恋のもので十分だ。

 私は早急に我が家へと歩き始めた。


 歩き始めて直ぐのこと、問題が二つ発生した。

 ずっと、同じ姿勢をした場合、人間の体にいかなる異常が起きるか、知る人は苦痛をご存じであろうが、何を隠そう、体が節々が痛くて溜まらないのである。一歩進むごとに、膝は悲鳴を上げ、背中はどうにか筋を伸ばそうと居場所を探る。腰は曲がったままであり、凍り始めているのかと心配するには十分であった。出会ったことはないが壊れた自立機会人形の動きとは、このようなものではないか。客観的に見れば、一発で不審者として通報されるであろうことを保証する、常軌を逸した歩みであった。自分でもそう思う動きをしているのだから、全速力で学校の近くから離れようとする。ただ、今の私に出せる最速はろまな亀の方が早いのではないかと思われる速度であった。

 唯一の救いは、まだ、人々は眠る時間なのか、外に出てきてはいないことであるが、これが二つ目の問題でもある。

 我々の母校は広い市の内、山や丘の多い、通称ヒルサイドに位置していた。ヒルサイドは名前通り、必然、坂は多く、歩くに全く適していないため、主な移動手段は、車、もしくは自転車を用いる。私の家に辿り付くには、自転車、車、どちらを使っても遠く、移動に電車を使う必要があった。学校はヒルサイドの中でも、発展している気配のない、端も端の方に鎮座している。周辺には田んぼといくつかの民家が多く、生徒達はその立地を僻地と呼んだ。僻地と呼ばれ生徒に親しまれるような場所に、駅が密集してあるはずもなく、高校から最寄り駅までは、ちょっとしたマラソン距離くらい移動しなければならないため、基本的にはバスを使う。

 しかし、今はバスが動かないのである。

 寒さなんかよりも、不調の体を引きずりながら、上ったり下ったりの長距離を移動して駅を目指すことが、いかに、苦しいか。私をこんな目にあわせた人間の顔を思い出すと、無性に腹が立つ。友原は今頃、何をしているのであろう。彼の素行は高校卒業以来、私の知るところではない。大学進学はせず、アルバイトをするでもなく、生きているということ以外、一切の謎に包まれていた。彼が超健康的生活をしているはずもないから、こんな時間に起床していることは無いだろう。寝ていると思うと、更に腹が立った。

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