第8話

 疲労で死にそうになりながら、友原への怒りを原動力として、最寄り駅まで歩き切った。時間はまもなく、始発が動き始めるという頃合いで、風が吹きすさぶホームに入って寒さに耐えた。

 私の家はヒルサイドに負けず劣らずな、田んぼで地面のほとんどを覆った地域である。だが、人に紹介する際、「田んぼに覆われている」などと説明すると、否応なく、田舎であることを自覚せねばならぬから、私はグリーンフィールドと呼んでいた。引っ越し当初、近所一帯が緑に染まっていたためである。当然、グリーンなのは夏場だけであり、後々、本来の意味が未開発地帯だと知って悩んだ時もあったが、慣れ親しんでしまったからには、変えるにははばかられた。

 グリーンフィールドに出るには、私のアルバイト先があるダウンタウンと呼ばれる商業地区に一度でる必要がある。母校からダウンタウンにたどり着くだけで、ちょっとした仮眠ができるくらいの時間が与えられ、そこから我が家へは、路線を乗り換え、再び同じだけの仮眠の時間を与えられる。よくそんな時間をかけて通っていたと思う。

 そこへ、愛しの我が家への電車がやってきた。今日は、アルバイトもないから帰って昼まで寝よう。例え、仕事であったとしても、恐らくは休んでいたであろう。

 車内は物理的にも私を暖かく迎え、こんな時間だから、何の苦労もすること無く、席に座ることが出来た。疲れてしまった。懐かしい堅さの座席と、懐かしい揺れが私を揺らし始めた。


 今にして思えば。高校時代も今と同じ、大いなる不遇に満ちていた。

 発端は入学どころか、受験期から始まる。

 この頃の私は、まだ、神童の面影を残し、学年でも上から数えれば直ぐに見つけられる程度の成績であり、近くの高校は合格確実、少し難しい学校、例えば私の母校にも、簡単に合格できるであろうことを、教師達から保証されるものであった。私としては猫田さんと同じ学校で有ればどこでも良いのだが、教師達は少しでも難しい高校を受けて欲しいようであった。

 教師は、ことあるごとに私が受験する高校として、名前を聞けば誰もが尊敬するような高校をクラスメイトに伝えた。当然、私にそんな心づもりは無い。しかし、頭ごなしに否定するのも角が立つから、それとなく笑って言葉を流していたのだが、驚く無かれ、否定しないということは肯定と解釈され、教師は勝手に推薦入試の手続きをしていたのである。

 なにゆえ、こんなことになってしまっていたかと言えば、全ての裏に母の影があった。

 私と両親の間には基本的に会話がない。そのため、小学校当時から、私が医師を目指していると思っている母は、論理的逆算を持って、医学部進学実績のある学校に入れようと画策していたのである。教育者を生業とする母は、教師との秘密会合にて、いつの間にやら話を進め、推薦入試を決めるという、それはもう、反則ではないかという、外堀の埋め方を下のだ。今にして思えば、心中察するところもあり、内情の分からぬ私の成績、及び将来が恐ろしく、秘密会合を行ったのだろうが、私は母の手腕が恐ろしい。

 その不可思議と理不尽に気付いた時には、時、既に遅く、最早逃げれられないところまで来てしまっていた。私はこの事実を、どうにか納得しようと、勝手に推薦された学校へ行くことの良いところを考えた。

 推薦と言うことは、誰もが受験で目の下に隈を作りながら、座った目をする時期にも私は執筆することができる。進学校というからには、都市部のダウンタウン、もしくは海の見えるシーサイドにあるのではないか。最悪でも、都市部と住宅街の混じるミッドタウンくらいで、まさかヒルサイドやグリーンフィールド何てことはないだろう。そう考えると、少しだけワクワクしてきた。なお、だとしても、猫田さんと同じ学校に行けない悔しさの方が頭の大部分を占め、寝床で悶え苦しんだことは言うまでもない。

 良く見える部分も消し飛んだのは、その直ぐのことである。

 推薦入学でも、軽い面接や軽い試験があるということで、余裕と言われていたのに、「俺らも残業しているんだから」と、よく分からない理論で補修を受けさせられては、執筆時間を削られ、試験当日、ヒルサイドの山一つ分の相当する広大な敷地によって突きつけられる現実に、心底、絶望したのは言うまでもない。試験中、半分心の中で泣いて、もう半分は本当に泣いた。きっと、試験監督はおろか、同じ受験会場に当たった彼らも、その様相には奇異か驚嘆の目で見ていたに違いない。気の毒なことをした。新手の盤外戦術だと勘違いした監督と同士を、鬼の形相で追い返したことに関しては、その限りではないが。

 入学式が終わると、いつかの如く、自己紹介が始まった。随分、前に述べた通り、私は元来、人の前に立つことが苦手である。加えて、長期間、彼女に邁進したせいで、更に苦手をこじらせていたため、全く知らない人に囲まれる空間に、居心地の悪さを感じていた。だから、そこにいないはずの悪友が平然と自己紹介を始めて発した私の絶叫は、ほとんどの生徒が部屋から廊下を覗くほどであったらしい。どうやら、私は自己紹介の神に嫌われているらしかった。

 高校生活が始まって、その学年、最初に起きた事件、最速記録を大幅に更新するという、歴史上多大なる名誉を、私のような卑小な人間が授かってしまう原因を作った友原は、我が不名誉の事件後、すぐさまに、栄光を称えつつ、私の元に駆けつけた。

「猫田、別の学校でも、お前の物語、楽しみにしてるって」

 私の情報網では得られない情報を、全く嫌み無く伝える彼の言葉に、少しばかり消沈していた私の創作意欲が、再び、激しく燃え上がった。何も学校如きで、目指す道を変える必要など、無かったのである。この熱量にはシーサイドの海も蒸発することであろう。まあ、蒸発したのは私の成績であったが。

 そして、中学の反省を踏まえ、親に成績であったりを気取られぬよう、必死に隠し続けた結果が、アルバイト生活なのであった。今では完全に交流断絶の一人暮らしである。

 特に語ることもないとは言ったが、そんなことを思い出してしまったのは、懐かしい電車の乗り心地に揺られたからであろう。嫌なことを思い出したものだ。いや、全く、全ては友原のせいである。


 少しばかり、前述したとおり、グリーンフィールドとヒルサイドは似ているところが多い。それは駅の少なさ、主な交通手段にも通じるところがあった。電車を降りた私は、続いてバスでの移動を余儀なくされる。しかし、電車は動けど、バスはまもなくといったところで動いていなかった。ここまで来ると、体の痛みもずいぶん引いており、私の家は歩いて帰れないこともないのだが、やはり、違和感はぬぐい去れないから、人気のないロータリーでバスを待つことにした。

 いつの間にやら、空のグラデーションは藍色と濃紺から、白と浅葱色のものに変わっていて、鳥の声が朝を告げている。これはこれで美しいではないか。

 次第に私の後続にスーツ姿の人が並んでいく。段々と街が起きてきたようだ。しみじみとそんなことを考えながら、再びの寒さに手をポケットに入れて、白んでいく空に見とれていると、私の感傷は突如として壊された。強く背中を叩かれたのである。この近辺を利用する友人知人はいないはずだ。まず、友人がいないから当然である。疲労で体の姿勢保持能力などあって無いようなものであり、ポケットに手を入れていてことが災いした。私は木を倒すかのようにして、うつ伏せに地面に倒れ伏した。道路にこそ落ちなかったが、下手をすると殺人未遂ではないか。鈍る動作でゆっくりと体を起こし、背後を見ると、小柄で細身の男が、時季はずれのアロハシャツと、やはり時季はずれのやや短いズボンで暢気に片手をあげている。

「よう」

「友原! てめえ!」

 私は恐るべき速度で立ち上がり、彼の胸ぐらを掴んだ。

「おいおい、そう怒るなよ。皆さん、驚いてるじゃないか」

 私の暴挙にも気にかけること無い友原の言う通り、一瞬だけ後ろを見ると、スーツの皆様は朝から驚き、迷惑そうな表情を浮かべていた。しかしながら、皆様を驚かせたのは、私が彼に掴み掛かったからでは無く、唐突にアロハシャツが私を突き飛ばしたからであろう。またはその両方だろう。だからか、皆様、私を咎めることは無かった。関わり合いになどなりたくないのかもしれないが、何にしろ、私と友原は朝から皆様に迷惑をかけて、浮いた存在となっている。舌打ち混じりに友原を離した私は、不快な笑みを浮かべる彼を押しながらバス停を後にした。


 体にむち打ち、仕方ないから、自分と友原を自宅に歩かせながら、私は彼の目的を白状させようとした。これで我が恋を暴露する、もしくは暴露したなどと言おうものなら、私は彼に何かしらの報復措置を下さねばならない。時間通りに友原が来なかったのだから、自信を持って私は悪くないと言える。

「今更、何しに来た!」

「何しに来たとは失礼な。お前が来なかったから心配して来たんだ」

「何だと?」

 私の収まりかけていた怒りが、熱せられる。

「だから、待てど暮らせどお前は来ないし、連絡も付かないから、心配で来てやったんだ」

「そんな馬鹿な!」

 あまりに分かり切った嘘に、私の怒りがいくつかの過程を飛ばして沸騰した。さながら、熱々の溶岩を投げ入れたかのようである。

 いつ人が来るかも分からぬ恐怖。秋の夜がもたらす想像を絶する寒さ。そして、何よりも悪の権化である友原への怒り。その全てによって、がたがたと震えながら、時間も分からず植え込みに隠れ、気付いたら夜が明けており、教師に見つからないよう、痛む体でバスの無い道を歩き切った、短くも私にとっては史上最長の夜明けを、怒りの感情をふんだんに込めて、友原へとぶちまけることにした。

 初めこそ、目を丸くして聞いていた友原は、途中から、「まあまあ」だの、「落ち着け」だの、「朝から大声で皆様を起こすな」だの言ってのけたが、知ったことではない。すでに我々はバス停で世間から浮いた存在になっているのだ。いまさら気にしてなるものか。

「いい加減にしろ」

 ようやく夜が明け、物語中の私が駅へと歩き始めようとした時である。私の口の中に、なにやら棒状で軽い食感のものが突っ込まれ、話を物理的に遮られた。中心には穴が空いているようで崩れやすく、クリームと、とうもろこしの風味が、体に良く無いであろうが、とても芳醇な味わいを作りだしている。くわえている部分をかじり取って、正体を見れば、大方の予想通り、知らぬ人がいないであろう、低価格の棒状スナック菓子であった。味の豊富さに定評があり、小学校かその入学前に、よく駄菓子屋で悩んでいた記憶がある。

「懐かしいだろ。買いすぎた」

 友原も自らのズボンからチーズ味を取り出し食す。バッグの一つも持っていないようだが、よく見ると、彼のズボンには、増設したと思われるポケットがやたらに付いており、私が食べたものも、そこから取り出されたのであろう。

「美味い。流石、美味いって、自分に名前を付けて、ハードルをあげているだけあるよな」

 確かに美味い。前日より何も食べていなかったからか、長らく食べていなかったらか、あのころよりも、なお、美味い。瞬く間に、一本、胃に入っていった。

「まだまだ、あるぞ」

 そういって、彼は不思議なポケットから、更に数本のどれも美味いこと請け合いの棒を、私に渡してきた。奇しくも、食べてしまったスナックも含めた合計金額は、現代における、三文と同価値であった。やはり、早起きはしてみるものかもしれない。

 溶岩で直に熱せられた怒りも、棒状の美味い菓子を前にしては、すっかり形無しであった。

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