第25話 誰が自分が殺される現場を思い出したいとなんて思うの。

 自分の心臓が、爆発しそうに激しく打っているのが判る。

 頭の中には幾つも幾つも火花が散っている。正気を保つのが難しい。いつもなら勝手に弾けてしまっているはずだ。そうでもなったら、いつもなら、勝手に暴走した頭は逃げ出しているはずだ。

 何故自分はこうして相手をにらみ付けていられるのだろう。逃げないのだろう。どうして。


「MAVOあんたは、あんたを殺そうとした奴に宣戦布告していい頃じゃないのか?」

「宣戦布告?」

「あんたに何があって、どうしてそんなモノがそんなトコについたか、なんて、あたしは知る気しねえ。だけどあんたがそれで歌えない、なんてのは困るんだよ!」


 息を呑み込んだ。ひく、と身体の何処かがケイレンした。


「あたしはあんたのギタリストだ。あんたはあたしのヴォーカリストだ。あんたが歌えなくてはあたしはどうすればいいって言うんだ」


 あたしは急速に動悸が治まっていくのを感じた。ああそういう意味か。確かにそうだ。彼女の言うことは正しい。


「あんたにはそう歌う権利があるんだ」


 そこで権利と義務的な発言をしてしまうのがFAVだ、とふと感じてあたしはくす、と笑った。


「何がおかしいよ」

「だってFAVさんらしいと思って」

「ばーか」


 そして離して、とあたしは言った。

 気が抜けたら、まだ冷めきってない身体のことを思い出してしまった。このまま腕を掴まれたままでは困る。掴まれた所がうずき始めるのは時間の問題だった。

 だがFAVは離さなかった。あたしはもう一度、離して、とつぶやいた。

 聞こえなかったのだろうか?

 離すどころではなかった。掴んでいた手を、腕から肩の方へ這わした。何をするつもり、とあたしは内心恐怖する。

 だがFAVの方もまた、何か妙だった。自分か何をしようとしているのだろうか、と言いたげな、困惑した表情になっていた。


「FAVさん離して」


 あたしは、声に集中した。


「FAV!」


 弾かれたようにFAVは手を離した。感電した時の様だった。それまであたしを掴んでいた手を、別の片方の手で握りしめ、じっと見つめる。何が起こったのか判らない、と言いたげな顔になっていた。

 その一方で、あたしの身体の中のざわめきは、次第に大きくなってきていた。


「FAVさん…」

「だからそんな目で見るな…」


 喉から絞り出すような声だった。そんな彼女の声をあたしは聞いたことがなかった。こんなに、苦しそうに、何かをこらえているような―――

 何かが彼女の頬できらり、と光ったのが目の端に飛び込んできた。

 汗だ。信じられないが、彼女の顔に、次第に汗の滴がだらだらと流れ出していた。

 彼女もそれに気付いて、自分の頬に手を当て、濡れた手に驚いている。大きな目を余計に大きく広げて、自分の見たものが信じられない、というように。どんな暑いライトの下でも汗一つ流したことのない彼女が。

 く、とうめきとも何とも判らない声が耳に入ったと思ったら、彼女はドアを開けた。音を立てて閉めた。駆け出す音が聞こえた。


「FAVさん!」


 呼ぶ声に返事はない。

 次第に、頭の中で不定形の虫がうごめいているような感じがしていた。そして、それは頭だけではなく、身体にも飛び火したようだった。

 喉の乾きはまだ続いている。ここには誰もいない。

 ぺたんと床の上に座り込む。手を伸ばす。近くのカウチにしがみついて、歯を食いしばる。

 身体中にわさわさと、ひどく小さな、だけど確実にうごめているものがある。時々思い出したように、不特定の所々にぴっと刺激が走る。

 何処とも知れないくすぐったさに、どうすることもできない。行方の知れないかゆみのようなものだ。とりあえず何処かをひっかいてみたところで、結局、何にもならない。


 せめて痛みを。


 空いた方の手で、カウチに捕まる腕に爪を立てる。感じやすい肌に、みるみるうちに赤い線となって走りだす。

 鎮まってお願いだから。自分に懇願する。泣きたくなってくる。誰か助けて。誰でもいい。あたしをどうにかして。何とでもして。思いきり揺さぶって。


 沈黙。ここには誰もいない。


 せめて他のことを考えよう。努力が始まる。もちろん煮詰まっている時に下手に難しいことを考えてもろくな結論など出ないことはあたしとて知ってはいる。

 だがあえてそうせずにはいられない。

 FAVの言葉を頭の中にリピートさせる。聞きたくなかった言葉。


 MAVOあんたは、自分に蓋をしてるからな。


 そうよ蓋をしてるわ。どうしてそれがいけないの。見たくない見たくない。だってそうじゃない。誰が自分が殺される現場を思い出したいとなんて思うの。忘れることだって大事じゃない。忘れたいのに。あの瞬間。落ちていく。でも。


 怒りは正当な相手に返すべきだ。


 正当な相手?


 あんたにはその権利がある。


 どんな権利があるっていうの? 相手は大きいわ。少なくとも今のあたしに何ができるというの。あたしに何ができるというの。怒りはあるわ。当然よ。怒らずに済む程お人好しでも善人でもないわ。だけど怒ってばかりでは苦しすぎるじゃない!


 でも。


 怒りは正当な相手に返すべきだ。


 「あのひと」に、返せというの? 「あのひと」に。

 要らないはずのあたしを生んで、要らない扱いをして、とうとう捨てたあのひとに!

 あたしをいないものとしておいて、いないもののままこの世界から消そうとしたひとに!

 あの家族思いの気の弱いひとを使い捨てにしたあのひとに!


 何ができるっていうのよ。自嘲気味に笑う。


 HISAKAは言ったわ。あたしの存在自体があのひとのウィークポイントだ、と。だから表に出よう、と。あのひとに全く関係ないところでの味方をつけて…

 だけど。

 こんな奴に味方なんかつくの? あたしのようなとんでもない馬鹿な奴に。

 ずっと何にも気付かず目を塞いで人の好意を甘んじて受けて好意をねだって猫のように甘えて。自分の都合だけで人の好意を利用してそれでいて足りないなんてもだえてるろくまでもない奴に。

 そんな馬鹿に味方なんてできる訳ないじゃない!


 だけど。


「あんたにはそう歌う権利があるんだ」


 …


 ―――ああそうだね。あたしには歌う権利があるんだ。


 FAVは「義務」なんて言わなかった。「権利」って言ったんだ。「歌わなくてはならない」じゃあなくて、「歌ってもいいんだ」って。


 では何を歌おう?

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