第21話 あたし達は、ケンカしたことすら、ない。
そうこうしているうちに、そんなことを考えている暇もない程忙しくなってきた。
まずメジャーデビューを知らせるライヴがあった。逆か。その付近にあったライヴで、メジャーへ行くことを知らせた。
ステージからその言葉に力を込めて放ったら、観客の反応は上々だった。その時のライヴの模様は、小野まゆみがレポートして、雑誌「NEW ROCK」と「CLUSHSTONE」に乗せていた。
新しい出会いもあった。
PHONOは、国内のハードロック系にはそれまで消極的だった所だ。だが、どうやら最近の音楽の多様化には対応していかなくてはならない、と考えたらしい。そこであたし達PH7で「実験」を試みよう、と言うわけである。
あたし達にはいわゆる「所属事務所」というものがなかった。そしてこの契約後もない。PHONOが独立した一つのセクションを作ってみた、とのことだった。
それはHISAKAの提案だったらしい。「売れる」戦略を練るための。
「あんまりTEARあたりには言いたくないんだけどね」
そう前置きしてから、HISAKAはあたしに話した。夜だった。夜中だった。曲作り合宿のために、PHONOが用意してくれた合宿所に出かける前の夜だった。
顔も見えないような暗い部屋で、あたし達は息の触れ合うくらい近くで話していた。身体はとうの昔に触れていた。なのに彼女の話す言葉はそんな内容だった。
別に甘い言葉をとは言わない。TEARには言えない話をあたしにはするというのは、なかなか嬉しいものもある。だが、結局、彼女の頭はそこに飛んでいるのだ。
でもあたしはその話に付き合う。
「売れた方がいいんだよね」
「もちろん」
HISAKAは断言する。
「なるべくたくさんの人達に、あたし達を知ってもらわなくちゃね」
「あたし達を? あたし達の音楽を?」
「もちろん両方よ」
HISAKAは明快に答える。
「どっちかって聞かれたら?」
「やだMAVOちゃん」
くすくす、と笑って彼女はあたしを引き寄せた。
「どっちも大切じゃないの。そんなこと聞かないで」
そういう意味ではないのだ。だけど彼女には通じない。
それがひどくもどかしかった。
*
気分転換しなくちゃ。
そう思ってオキシドールへ行ったら、「本日の公演」は「休み」となっていた。ついていない時には全くついていないものだ、とため息をつく。そのまま引き返そうか、と思ったが、ふと思いついて階段を降りて行った。
案の定、「事務所」の灯はついていた。こんこん、とノックして入ると、タイセイと店長が居た。
「おやMAVOちゃん、久しぶり」
はじめに気付いたのはエノキ店長の方だった。
「お久しぶりです。今日、休みだったんですね」
「うん。おかげで今日は僕も暇」
とタイセイは自分自身を指してにこにこと笑いかける。
「暇ですか…」
「MAVOちゃんこそ、どお最近。ずいぶん忙しくなったんじゃないの?」
「忙しいと言えば忙しいけど…」
聞かないで下さいな、とあたしはお手上げのポーズを取った。本当に聞いて欲しくはなかったのだ。
レコーディングは詰まっているのだ。無論あたしにも役割があった。あたしはヴォーカリストである。そしてとある二曲に関しては、歌詞まで書かなくてはならなかった。
ところがその歌詞に、本当に煮詰まっている。
そしてそれが、作業を滞らせていた。それまでスムーズだった作業までが、伝染ったように、手が止まってしまっていた。
そして皆少しづつ苛立ってきていた。
「でも忙しいのは皆同じでしょう? …それよりタイセイさん、暇なんですよね」
「あ? ああ」
「だったら食事付き合って下さい。今日誰もいないんですよ。何かスケジュール合わなくて。一人で食べるのは美味しくないし…」
「え?」
彼はちらり、と父親兼店長の方を見る。いいよいいよ、と店長は手を振る。まあ実際仕事という仕事などしていないことなど知っている。知っているからそう言ったのだ。
タイセイの前にはギターのカタログがたくさん置いてあった。おそらく、その中から次のシーズンに新しく、店で貸し出し用に置く奴を選べ、というものだったのだから。
「じゃエノキ店長、ちょっとタイセイさん借りますね」
「ああいいよ。持って帰っても構わないからね」
「親父!」
彼は非難の声を上げた。
*
出かけたのはイタめしの店だった。
シーフードがこぼれ落ちそうなくらいのピザを、あたしは手掴みで頬張る。やっとさましたチーズは味が濃い。とろりと溶けだすそれが落ちないように苦労する。
「結構よく食べるねえ」
彼はあたしの食べ方を見ながらやや驚いた様に言った。
「タイセイさんが食べないんですよお。うちの連中は皆よく食べるもの」
「まあ、TEARとHISAKAはそうだよね。あの二人は一体何処にあれだけのものが入るんだろ?」
「不思議ですよねえ。昔はHISAKAもそうじゃなかったんだけど… ああ、FAVさんは結構少ないかも。何かTEARと二人で何処か行っても、結局1:2くらいに二人分を分けて食べるくらいになっちゃうんだもの」
「へえ」
そういうPH7の内輪の話を聞くのは、彼も初めてだったらしい。不思議そうな表情をしている。
あたしも、そう部外者にそういう話をすることはそうそうなかった。
「FAVとTEARは、よく一緒に食事とか行くの?」
「一緒に住んでるから、まあ当然なんじゃないですかね…」
そこまで言ってあたしはつまづく。
「あの二人は仲がいいから」
「結構すごい口ききあってるけど?」
「だから、そういうことができるくらい仲いいんですよ、全く」
ケンカできる程仲がいい。ふとあたしは我が身を振り返る。あたしとHISAKAはケンカしたことなどあったろうか?
「でも君達も仲はいいんでしょ?」
「まあ、そうですね」
小さいカップに入った濃いコーヒーを呑むことであたしはそれ以上の質問を避けた。
記憶をたどる。あたし達は、ケンカしたことすら、ない。
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