第20話 「食わせものだな、あんたは」
「ああ。本当、良かった」
それは本心だった。
契約が決まった後のミーティングは、なかなかに感動的なものだった。
居間に、メンバーとスタッフその1のマナミから、その5まで集まり、その3のまーがれっととその4のチエが最近組んだという新しいバンドのメンバー二人、それにLUCKYSTARのメンツ四人、それに、最近よく取材に来るフリーの音楽ライター小野まゆみが何故かたむろしていたのを拾って中に入れた。
タイセイにも連絡したら、喜んでやってきた。結果として彼は、あたしとエナとマナミと一緒に台所担当に半分なりかかっていたが。
注文した寿司とピザとアルコールとジュースが、居間のいたるところに置かれていた。
あたしは家中にあった皿とコップと割り箸を用意して、エナと一緒にテーブルの上に置きまくった。足りなさそうなところは、コンビニで紙コップを買ってきた。そのあたりはマナミの知識を借りた。意外と何とかなるものである。
そして、その場においては、何よりも、誰よりもTEARは喜んでいた。FAVは平然と壁に寄りかかって呑んでいた。
あたしはFAVの横に腰を下ろした。珍しく彼女は一人で呑んでいた。
TEARはHISAKAと浮かれながら、そのことをどう告げようか、と声高に話し合っている。小野まゆみはなかなかいい情報源だったので、次第に彼女も話の中に入れているようだった。
P子さんはLUCKYSTARのメンバーと結構楽しそうに呑んでいた。
「FAVさん嬉しくないの?」
「嬉しいよ、…まあな。だけどな、別に全員があれのように酔っぱらわなくともいいだろ?」
と彼女は自分の相棒を親指で示していた。確かにTEARは呆れるほど酔っていた。アルコールは入っていなかったが。
「あの馬鹿は、酔う時は、一滴のアルコールでも酔うし、酔わないと決めた時は、どれだけ呑んでも酔わないんだと。全くまあ、化け物だね」
おや、とあたしは思った。こういう風に話すFAVをあたしは始めて見た。
「よく知ってるね」
「あれが自分で言ったんだよ、以前」
そう言いながらFAVは手酌でビールを口にしていた。あたしも欲しい、と言ったら、FAVはコップを持っておいで、と言った。台所へ引き返すと、
「呑めるん?」
「強くはないけどね。それに後かたづけもしなくちゃいけないし」
「すっかり主婦だな。あんたら、役割分担ができあがってねえ?」
「さあ。そんなことは知らない。HISAKAはそういうことできないし、あたしはできる。だってHISAKAはお皿とかコップとかすぐ落とすもの。危なっかしくて見ていられないわ。でもあたしは彼女のするような会社との交渉は苦手だわ。だからできることをお互いしている。それだけじゃあない?」
「…」
黙り込んでしまったFAVにあたしはどうしたの、と訊ねた。
「MAVOあんた、結構理路整然とした奴なんだな」
「ああ、そう?」
「そうだよ。すぐ頭の回路ぶち切れる危ない奴とも思ってたけどさ。子供子供した」
「子供だよ」
相変わらず、苦い炭酸はあまり好きという訳じゃない。
「子供じゃなくっちゃ、音楽で食っていこうなんて考えないよ」
「それもそうだな」
くくく、とFAVは笑った。
「ところでFAVさん、TEAR相変わらずそっちに住んでるの?」
ぶっ、と彼女は吹きだした。慌ててあたしはティッシュの箱を掴んで渡した。
「何をいきなり…」
「いや、TEARが引っ越したという噂も聞かないから」
「じゃあ引っ越してないんだろ」
ひどく言いにくそうに、それだけをぼそっと彼女は言う。…もしかして、照れているのだろうか。
「え? 聞こえなかった、FAVさん?」
「だから、引っ越してないんだよ! …あーあ、アルコール回ってきたじゃないか!」
髪に隠れて顔はよく見えない。だが、プラチナブロンドの合間から見える耳が真っ赤になっていた。
「聞いていい?」
「何を」
「FAVさんってTEARのこと、好きなんだよね?」
「…あのなあ… どうしてそうダイレクトに質問するんだよ…」
とうとう彼女は立てたひざに顔を埋めてしまった。そういう時彼女のふわふわした猫毛は、非常にいいヴェールになるのだ。全然表情が判らない。
「だって聞きたかったんだもの。TEARはいつもあたしに言うもの。FAVさんの何処が良くて何が綺麗でどーのこうのって」
「あの馬鹿…」
「だから一度、聞きたかったの」
くすくす、とあたしは無邪気そうに笑う。
「食わせものだな、あんたは」
「あらそう?」
「そうだよ。絶対そうだ、って答を予想した上で訊いてるじゃないか」
「じゃあFAVさん、それは、あたしの想像通りの答でいいってこと?」
くすくすくす。
「あたしこそ聞きたいよ。あんたはHISAKAのこと好きなのか?」
「うん」
それは事実だったので、あたしはうなづいた。
「MAVOあんた、えらくあっさり言うね。気恥ずかしいとは思ったことねえの?」
「思ったところで仕方ないでしょ。そりゃTEARさんみたいに全くの開けっぴろげで言う訳じゃないけど」
「HISAKAは?」
「え?」
「あんたにそう言ったことはあるのか?」
「聞いたことはあるけど」
FAVはゆっくりと顔を上げる。まだ頬に赤みが残っている。
「本当に?」
「聞いたことはね」
あたしは彼女の前の缶を取り上げる。
「あ、空になってるね、もっと持ってこよう」
立ち上がって、あたしは逃げた。その話題から。
聞いたことはある。いくらでも、ある。だけど、判らない。本当に彼女がそう思っているかどうかなんて。
でも一つだけ知っている。例え好きというのが本当でも、それは決して、一番じゃない。
TEARが好き好き大好きとわめくそれは、誰が聞いても、「一番」に対するものと判る。その言葉の端々から、そんな彼女の思いがあふれてこぼれ落ちているのだ。あたしにすら判る。FAVさんに判らないはずがない。
そしてFAVはその逆で、全く言わないんだろう。でも判る。どうしてなのか判らないけれど、TEARのことがもの凄く好きだというのだけは、どうしようもなく判る。こぼれ落ちている。あふれている。
だけどHISAKAは。
全然あたしには、それが見えないのだ。隠している訳ではないのだろう。だけど。
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