第10話 一陣のつむじ風を起こしてわははははは、と乾いた笑い声を立てて去っていくような感触の曲
あー疲れた、とぼやきながら、割れかけた黒いティアドロップ型のピックをぴ、とゴミ箱に投げるとFAVはHISAKAの横の席にさっさと座った。
テーブルの真ん中には、輸入菓子らしい真っ赤な箱があった。おそらくこれはミーティング後用に買われたのだろう、と想像された。パッケージには英語がごまんと書かれているし、箱の横にはわざとらしく貼られた白い後付けの日本語説明がある。
「それじゃ今後の予定ね」
HISAKAはスケジュール表のコピーを皆に渡す。おやまあ、とP子さんは見た途端声を立てた。
「ずいぶん一杯詰まってますねえ」
「今ちょうど、波がいい調子だからね、ここで一気にどん、と」
「ライヴがたくさんってのはいいねえ。でリーダーどの、この勢いのとりあえずの目標は?」
TEARは頬杖をついて、HISAKAをにやりと見る。
「メジャーに行くのはもちろんだけど」
HISAKAはさらりと言う。まるで昔から決まっていたことのようにあっさりと。
「どうせ行くならまわりを騒がせてから出たいわ」
「そうだね。行くならその位できなくてはね」
「あらFAVさんはメジャー展開はそう好きではなかったんじゃなかった? あんまり好きなことできなくなるって」
そう言えばそうだったはずだ。
「気が変わった。ま、あたしは派手にできるならそれもよし、と思うしさ」
「ふーん」
ちら、とHISAKAはTEARの方を見る。TEARは顔色一つ変えず、マリコさんからお茶を受け取って既にずず、とすすっている。本日はジャスミン茶らしく、香りが辺りに漂っていた。
誰が開けたのか、輸入菓子もそのパッケージを開いていた。ブロック型のたまご色の、クッキーにしてはざっくりしていて、甘みもやや薄い。
「何ですかこりゃ」
とP子さんが訊ねた。
「ショートブレッドですけど」
「へー… 聞いたことねえなあ」
「よくアフタヌーン・ティなんかに出されるんですけど」
そういう優雅なお茶の席はTEARには全く縁がなかった。
「うん結構好きですよ、こうゆうのも」
「あたしゃちょいと粉っぽい。お茶が欲しいぞ」
「ばばあだなあ…」
ぱこ、とFAVはTEARの頭を叩いた。
「それにしても全国ですか。なかなかハードな日々になりそうですねえ」
P子さんは言うが、それは皆の共通した意見でもあった。うんうんと皆でうなづきあう。
「まあロックの古典にもその言葉はあることだし、いーんじゃないかしら? ハード・デイズ・ナイト」
にっこりとリーダー殿はのたもうた。
「それって何か違うと思う…」
そしてあたしはこっそりつぶやく。
*
確かにこの春から夏が勝負時だったのだ。
冬から初春にかけてレコーディングしたインディーズ盤のアルバムは、苦労もずいぶんしたが、納得のいく仕上がりになった。
あたしにとってはなかなかハードな体験だった。
練習、ライヴ、レコーディング… 必要なことはいろいろある。だが、どんな場であれ、あたしは歌うということに関しては、今まで一度として苦労を苦労と感じたことはない。
無論このレコーディングでも、HISAKAの厳しいジャッジメントにはひどく苦労した。初めての録音ということもあって、何度も何度も同じことを繰り返させられた。だがそれでも、歌の上の苦労など、言葉を組み合わせる苦労に比べれば大したことではない。
そもそもPH7はそれほど曲数の多いバンドではない。この年末にも、立て続けのライヴのために、慌てて曲を作ったくらいである。そしてアルバムとなれば、「ある曲」を寄せ集めただけでは駄目なのだ。ある程度の統一性は欲しい。
そんな訳で、結局全員が真冬に冷や汗をかく羽目になった。
「でも詞は書きたくねーなあ」
とその時TEARはリーダーに申し出た。それだけで済めばいいが、その後TEARが言った言葉といったら。
「やっぱり歌うひとが書いた方がいいんじゃねーかな?」
「歌うひとって… あたし?」
そこに居たあたしは自分を指さし、露骨に顔を歪めていたに違いない。
「そ。前にも一度書いてもらっただろ?ほら、あたしが入って間もない時さあ」
とTEARは実に当然の真理を、と言いたげな顔でうなづいた。
「あん時は!よしてよTEAR、結局あん時も、いまいちだったじゃない、出来。よしてよ、そういうことを言うのは」
「別に悪い考えじゃあないとは思うけど?」
「HISAKAまで」
あたしは本気で困った。
「別にいいのよ。大したことじゃあないわ。MAVOちゃんはそう言うけれど、前の曲だってそう悪いものじゃなかったわ… ああ、FAVさんは書くわよね?」
ちら、とHISAKAはFAVの方を見る。
「ああ? まあ別に、あたしゃコトバと音は一緒に浮かぶから」
だろーな、とその場に居た誰もが思った。
FAVの曲は、全般的に明るい調子のものが多かった。
HISAKAの曲が余韻を残すしっとり型が多いのに対して、FAVの曲は、「余韻なんかくそくらえ!」とでも言わんが如く、一陣のつむじ風を起こしてわははははは、と乾いた笑い声を立てて去っていくような感触がある。
そしてそこに、コトバ遊びのような詞が乗っかる。
呆れる程早口言葉みたいなものから、一見ただの明るいコトバに見えて、実は中枢神経に刺さる棘が一本入っているとか、本当に意味のないコトバの組み合わせとか。
コミカルでシニカルで、リリカル。
最後の一つはよしてくれ、と曲の作者はふてくされたが、その三つの単語か大はまりということに関しては、FAV以外の全員一致をみている。
だがTEARはそうではなかった。基本的に、彼女は曲は曲としてしか浮かばないらしい。
まあそれはHISAKAもそうなのだが、曲を書く自分と詞を書く自分は別人なので、両立するのだ、と言う。
HISAKAは引き出しがたくさんあるからな、とTEARはよく笑いながら言う。
だけど自分には曲という引き出ししかないから、と。今のところは、と付け足して。
「だってねMAVOちゃん、別に完璧なものを作れなんて言わないし、あなたの好きなものでいいのよ」
「HISAKAはそう言うけどね…」
「とーにーかーくー、リーダーより命令。とにかく結果どうあれ、この曲の詞はあんたが書きなさい!」
「命令?」
「そ。命令」
いーわよ、とぼそっとあたしはその時つぶやいた。
*
だが結局できあがった詞は、そう悪いものではない、とTEARは評していた。
まあ「好き」とまではいかなかったらしい。
「あのさあ、ものすごく、コトバ的に出来はいいと思うよ。文字数も合ってる。まあ響きも悪くない。一応言いたいことを言っているように聞こえるし」
聞こえる。
つまりはそれが問題なのだと言う。「聞こえる」程度でしかない。
その言葉が妙に宙を舞っているようにTEARには思えたらしい。
「UNDER THE SUN」と名付けられたその曲は、結局TEARの疑問を置き去りにしたまま、レコーディングされた。
ちなみにその曲はあたしには「おひさま」呼ばわりされていた。
だが仕方ないと、思う。あたし自身に、書きたいことなど無いのだ。
いや、無くはない。
だが、それを書くには、彼女の曲は人の良いものすぎた。
書くべきものは、あるのだ。書かなくてはならないことは。
だがそれは、その曲の上ではなかった。
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