三日目

 一晩頭を悩ませた結果、急に仕事が入ったと嘘をついて帰ることにした。

 昨夜は奇妙な夢を見た。一人で薄暗い和室の真ん中に座っている夢だ。入れ代わり立ち代わり、年齢も性別もばらばらの人物が部屋を訪れる。ほとんどが面識のない者ばかりだ。たまに親しい者や、顔見知りもいたが、それらはごく少数だった。目覚めてから、自分が見た夢に愕然とした。今の状況に、自分の精神が少なからぬ影響を受けている証拠である。


 これ以上この気持ち悪い屋敷にいることに耐え切れなくなった。速やかに自宅に帰り、この屋敷での出来事を綺麗さっぱり忘れて、何事もなかったように日常生活に戻りたい。

 しかし結果的に、この願いは叶わなかった。


 葬式の期間中に家の敷居を跨ぎ、葬式への参加を表明してしまった者は、途中で離脱してはいけない決まりになっているのだという。守らないと、ぬらりひょんが約束破りの人間に憑りついてしまい、災厄をもたらすのだそうだ。また、葬儀自体も失敗となり、本家にも恐ろしい罰則が科せられるらしい。

 私は、何を馬鹿なと鼻で笑い半ば強引に立ち去ろうとした。すると、本家の人間たちがもの凄い剣幕で立ちふさがり、挙句の果てに私はとある一室に軟禁されてしまった。ますますもって異常である。やはり、違法な行為が行われていて、通報されることを恐れているのだろうか。私はここを出してくれるなら、昨日のことは綺麗さっぱり忘れてなかったことにすると伝えたのだが、見張りについた青年は何かに怯えたように、それはできないと繰り返すだけであった。

 その日は儀式に立ち会うことはなかったので、何が行われていたのかは不明だ。立ち会わなくても、家の中にいればいいのだそうだ。儀式に出なくてもいいという決まりには都合のよさを感じたが、私にとっては僅かな幸運でもあった。


 見張りの青年と、部屋の扉越しに少し話をした。

 屋敷に集められているのは、親戚ということになっているが、普段は全国各地に散らばっていて、集まることはほとんどないらしい。昨日の出来事について、どう感じるのかを聞いてみると、それぞれの家に何らかの普通と違った事情や伝統のようなものがあるので、初めて儀式を見た者でも、そういうものとして受け入れてしまえるのだと教えられた。むしろ、あなたのように育てられた人はこの場において珍しい、と。


 日の沈むころに、軟禁されていた部屋の中が急に静かになった。たまに外から聞こえていた小鳥や猫の鳴き声もしない。木枯らしも窓をうるさく揺するのをやめた。家鳴りもなりを潜めた。時計の秒針さえ音を出さなかった。唐突に、完全で不快な静寂が訪れた。

 不自然な静けさに気がついた数秒後、とても大きく不気味な唸り声が聞こえてきた。私は本能的に両手で耳を塞ぎ、部屋の隅で小さく体を丸めた。壁に体を押し付けて、小さく小さく丸まって震えた。それでも声は指の間をすり抜けて頭の中にまで侵入してきて、あの老人から発せられたのだろうことを私は確信した。あの痩躯からは全く想像できないほどの大きな音だった。まるで化け猫が拷問を受けているような、人を嫌な気持ちにさせる苦痛の叫びが屋敷中に響き渡っていた。長く伸びるその声は、一度途切れ、再び始まった。


 早く終われと一万回ほど唱えたところで、ようやく自然な音のある世界が戻ってきた。私は荒く息をつき、うずくまったまま吐き気をこらえた。

 カラスが、嗄れ声で二度鳴いた。

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