第80話 意地悪38(言葉責め)
「ごちそうさまでした」
雨宮に食べさせてもらい、おかゆを食べきり、俺は挨拶をする。
「じゃあ、先輩、片付けてきますね」
雨宮は食べ終わって空になった食器を持って立ち上がる。
「ああ、悪いな」
雨宮の後ろ姿を見守りながら俺はそう礼を言った。
「いえいえ、先輩には昨日色々助けてもらいましたから。そのお礼です」
振り返りながら柔らかい微笑みを浮かべる。目を細め少しだけ大人っぽい凛とした雰囲気を一瞬だけ見せて、雨宮は台所へと消えていった。普段なら気にならない何気ない仕草に、不覚にもドキリと胸が鳴った。
台所から水音が聞こえてくる。おそらく洗い物をしてくれているのだろう。ご飯を作ってくれたり、洗い物をしてくれたりと雨宮の気遣いがありがたかった。水音が止み、雨宮が部屋に戻ってくる。そのまま俺の元へと来る。
「他に何かすることありますか」
「そうだな……」
まだ意地悪をしたい気がするが、特に何かを思いつかず考え込む。
「ないようならもう帰りますね。これ以上いても先輩が休めそうにないですし。先輩、身体をだいじにして下さい」
俺が思考に耽っていると、雨宮がそう言って去ろうと動き出した。
「ま、待てよ」
俺は気づくと、咄嗟に雨宮の手を掴んでいた。
「ひゃ、ひゃい!?な、何かして欲しいことありましたか?」
掴まれた雨宮はビクッと身体を硬直させて妙な声を上げた。
「い、いや……」
俺は自分の行動に戸惑う。特に何か目的があったわけではない。何かをしたいと思っていたわけでもない。ただ雨宮が去るのが嫌で思わず手を掴んでいた。
なぜ雨宮が去るのが嫌なんだ?分からない。だがこの喪失感はどういうことだ……。
雨宮がいなくなる、その結果に胸がぽっかり空いたような寂しさが突き抜けてくる。
いやいや、寂しいなんて俺らしくない。きっとまだ意地悪がやり足りないのだろう。その不満に違いない。そう結論付けて俺は口を開いた。
「俺が寝るまで側にいてくれないか?」
くくく、俺の側で無駄に時間を浪費させてやる!
俺が寝るためには静かにしなければならず、話すことができない。その状態で側にいるのはなかなか辛いに違いない。
「え!え!?い、いいですけど……」
俺の言葉に頰を桜色に染めながら頷く雨宮。顔を赤くしたまま俺の元へと戻り、側に座った。
「え、えっと、手を繋いだままですよ?」
座った雨宮は繋いだ手をちらっと見ながら、そう指摘してくる。
「繋いだままがいいんだが、ダメか?」
くくく、ただでさえ黙ったまま側にいなければならないのに片手は使えない。この状態でいるのは退屈に決まっている。さあ、雨宮、せいぜいつまらない時間を過ごすんだな!
「ダ、ダメじゃないです……」
俺の言葉にぼわぁっと顔を赤くすると、下を向いて黙ってしまった。
どうやら、早速静かになってくれたらしい。俯いて下がった髪の間から見える耳は茜色で目が引かれた。
「じゃあ、寝るから」
「は、はい……」
雨宮の手の感触を感じながら俺はベッドに横になる。昼間あまり寝付けなかったのが響いているみたいだ。
横になった途端にもの凄い睡魔が襲ってくる。しっとりと吸い付くような柔らかい肌の感触は、滑らかでマシュマロのようだ。ほんわりと人肌の優しい温かさが繋いだ手のひら伝わってくる。
食事を終えた満腹感と雨宮が側にいる安心感、多幸感に包まれ、俺はすぐに眠りに落ちていった。
意識が眠りの底から浮上し、俺は目を覚ます。まだ眠い目を開けると、部屋の天井が目に入る。
ぼやけた意識がだんだん覚醒してくると、手から温かい感触を感じ、雨宮に側にいるよう頼んだのを思い出した。
体をゆっくりと起こしながら手元を確認する。するとそこには、俺と手を繋いだまま眠る雨宮の姿があった。
さらさらのよく手入れされた艶のある髪は俺のベッドに広がっていて、雨宮は自分の手を繋いでいない方の腕を枕にするようにしている。雨宮の雪のように白く小さな顔がそんな腕の上にちょこんと乗っていた。
目は閉じ長い睫毛に目を引かれる。可愛らしい赤い唇は少しだけ口元が緩んで雨宮は幸せそう寝ていた。
すぅ、すぅと雨宮の寝息が微かに耳に届く。あまりに無防備であどけない姿に俺はまたしてもきゅっと胸が締め付けられる。甘く切ない痛みに俺は息を飲んで、雨宮を見守った。
眠る雨宮は儚く可憐で見ているだけで引き込まれていく。劣情を誘われるほどに愛らしい姿に、俺は思わず手を伸ばした。
俺の手が眠る雨宮の頰に触れる。フニッと餅のように柔らかく滑らかな感触が伝わってくる。
「……ん」
頰に触れたことに反応するように小さく籠るような声を漏らす雨宮。
「……っ」
雨宮の声に慌てて俺は触れた指先を離した。
一体、俺は何しているんだ。雨宮は友人だ。そういう目で見てはいけない。
俺は雨宮の寝姿によって駆り立てられた男の本能を抑える。幸いそれほど強い衝動でもなく、すぐに収まった。
さっきまで抱いていた情欲を誤魔化すように、俺は雨宮の頭に手を伸ばしてゆっくりと撫でる。何回か撫でたことで慣れた心地いい感触が、手のひらに伝わる。さらさらと指通りのいい感触は、何度味わっても気持ちいいものだ。
撫でるたびに雨宮は幸せそうに表情を緩ませるが、全く起きる気配はない。なんとも言えない甘く柔らかい気持ち包まれながら、俺は何度も何度も雨宮の頭を撫で続けた。
「……可愛いな」
胸がほんわりと温かくなると、俺は自然と普段は言わない思いを溢していた。寝ていて聞かれることはないという安心感が、俺の口の紐を緩めたのかもしれない。
「寝姿も可愛いなんて、本当に美少女ってのは得だよな……」
俺はしみじみと雨宮を観察しながら、これまで思ってきたことを話していく。
「髪はさらさらで何度触っても飽きないし、頰は柔らかくて触り心地は抜群だな……」
誰に言うわけでもなく、俺は独り言を呟く。雨宮の耳がだんだんと茜色に染まっていることに気づかないまま。
「手もやっぱり俺の手と違って小さいし、柔らかいし女の子の手って感じだし」
さらさらと頭を撫でながら、繋いている手を少しだけ握りしめるように力を込める。
「雨宮って本当に女の子なんだな」
今日一番の認識の変化を口に出す。今日雨宮に抱きしめられ過去の話をしたときから、俺は雨宮への思いが変化しつつあることを自覚していた。口に出して、俺は改めて雨宮が異性であることを強く認識した。
「まあ、一途に俺のことを想ってくれるのは悪くないな……」
最後の最後に、俺は自分でも気付いていなかった想いがぽろっと口から出た。これだけ可愛くて一途に邪心なく想って貰えるのはとても貴重でありがたいことだ。
そして何より嬉しいと思っている自分がいる。この気持ちが何なのかまだわからない。それでも大事にしよう、そう思いながら俺は雨宮の頭を撫で続けた。
「……おはようございます、先輩」
俺の独り言が終わると、雨宮は目覚めたらしくゆっくりと体を起こした。雨宮の頰が朱に染まっているのが少しだけ気になった。
「ああ、おはよう」
「も、もう平気ですか?」
雨宮は居心地が悪そうに、少し声を上擦らせながら尋ねてくる。ちらっとこっちを見てくるがすぐに目を逸らして、俺と目を合わせようとしない。
「ああ、ありがとう。今日見舞いに来てくれたことも含めて」
「い、いえ……。そ、それでは失礼しますね」
「お、おう、じゃあまた明日な」
雨宮は噛みながらもそれだけ言うと早足で帰っていった。
何だったんだ、あいつ?
雨宮の態度が引っ掛かったが、寝足りない時間を取り戻すように、俺は雨宮といた時間を思い出しながらまた眠りについた。
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