第74話 神崎の過去

 俺の両親は昔から仲が良くなかった。父親も母親も良家の息子、娘で2人の出会いはお見合いだったという。父親も母親もどちらも仕事一筋の人間で、私生活を顧みない人たちだった。


 そんな彼らは幸いにして次男、次女で家の跡取りでなかったため、ひたすら仕事に打ち込んでいた。だが、一向に結婚しようとしない彼らに、彼らの家族は焦ったらしく2人をお見合いで出会わせた。


 その結果、家族の強引な引き合わせで両親は結婚することになった。もちろんその結婚に2人の意思は関係なく、良家の伝統として独り身というのは許されなかったのだ。


 そんな作られた関係で2人の仲が進むはずもなく、夫婦としては最悪の関係だった。2人は結婚したが、夫婦として特に何もすることなく、仕事を続けていた。


 だがまたしても2人の家族達は、2人に強いることをし始めた。


 子供だ。


 当時、父親の家の長男の家族に子供がおらず、今後の跡取りを不安に思った父親の家が両親に圧力をかけてきたのだ。こうして生まれたのが俺だ。


 生まれた当初は、もちろん跡取りになる可能性が高かったこともあり、父親の家の人達からとても可愛がられた。朧げながら3歳ごろの記憶でそう覚えている。


 そして俺の周りの環境が一変したのは、4歳の時だった。父親の家の長男に息子が生まれた。それは待望の本来の跡取りであり、父親の家の者達は全員そっちに構いきりになった。


 ここで初めて俺は、自分がただ跡取りとしてしか見られていなかったことを自覚した。彼らにとって俺は、もう要らない人であることを理解した。こんなにも、人というのはすぐ態度を変えるのかと幼い心ながらに思ったものだ。


 あの時の絶望感は今でも俺の心に深く根ざしいている。忘れられないほど深く深く。


 当時、俺はそれでもいいと思い込もうとした。父親の家の者に捨てられても、父親、母親に可愛がってもらえればそれでいいと考えることにしていた。だがそれすらも、幻想であった。


 跡取りとして用済みとなった俺に、両親は興味を失っていた。2人にとっても俺は、家からの指図で作った望まない子であり、父親の家の者が関わってきていたから面倒を見ていたに過ぎなかった。


 父親の家が両親2人に関わってこなくなると、また2人は仕事一筋となり、俺は2人から見向きもされることなく、寂しく1人で過ごすようになった。


 幸か不幸か、両親の年収は人並み以上にあり裕福で、2人はお手伝いさんを雇い、俺はその人に面倒を見られて育ってきた。


 そんな俺は7歳になる。両親に見向きもされず、お手伝いさん以外に誰とも関われなかった俺にとって、学校というのは特別な場所だった。


 友人が何人も出来て、彼らは俺に優しくしてくれたし、毎日遊んで楽しい生活を送っていた。彼らと過ごした時間は、幸せに包まれたかけがいのないものだった。


 こうして友人と関わるようになって当時気づいたことは、自分の周りの環境はあまりに特殊で、一般人のそれとはかけ離れていることだった。両親に愛され、可愛がられ、母親が作った弁当を持ってきて食べる、そんな当たり前が俺にはないことに気付かされた。要らない子供である俺は、両親に愛されず煩わしいとさえ思われていたのだ。


 辛く悲しく寂しくて、俺は何度も何度も部屋で涙を流していたのを今でも覚えている。


 そんな辛い幼少時代であったが、友人達がいたおかげで悲しくも楽しいひと時であった。


 だがまだ絶望はこれで終わらなかった。


 小学6年生の時になると、遊ぶメンバーは大体固定され、俺は仲良い友人と6人でいつも遊んでいた。男4人女2人のグループだった。


 女の子2人の内の1人である唯は、俺にとって初恋とも呼べる人で、淡い恋心を俺は抱えていた。


 いつも俺たちのグループは放課後教室で話していたのだが、ある日俺は早めに帰らなければいけなかったため、グループを抜けて帰ろうとした。教室を出て廊下を歩き、校舎の玄関に着いたところで忘れ物に気が付いた俺は、忘れ物を取りに教室へ戻った。


 すると中からこんな会話が聞こえてきた。


「そういえばさ、裕也って唯のこと好きならしいぜ」


「あー、それ、聞いたー。どうなの、唯?」


「あんなに分かりやすい態度を取られてたら流石の私でも気付くわ。でも無理無理。別に裕也自身に興味ないし〜」


 まったく関心を示していないような冷たい声。


「うわ、最低だな、唯〜。そんなんじゃ裕也が泣いちゃうぞ?」


 嘲笑する友人達。


「そんなこと言ったって、裕也って話しててつまんないんだもん。親が近づいておいてって言うから仲良くしてるだけだし〜。みんなだって同じ様なものでしょ?」


「まあな、裕也の家って裕福だし、あの神崎家だぜ?仲良くしておいて損はないって俺も親に言われた」


「それな、俺も俺も」


 想像を絶する会話を繰り広げる彼らの声に、俺は教室の扉の前で呆然と立ち尽くした。


 そこからの記憶はあやふやだ。絶望に打ちひしがれ、頭の中は真っ白に染まり、人を信用出来なくなってしまった。


 親族、両親に愛されず見向きもされず、ただの跡継ぎとしか認識されない。心の拠り所であった友人には、ただ肩書きだけで仲良くしてもらっていただけ。淡い恋心すら粉々に打ち砕かれた。


 人が内心で自分のことをどう考えているかなんて、今見えている部分からはまったく当てにならない、それを痛感させられた。


 人が怖くなった。


 あんなに笑顔で接してきて、心ではあんなおぞましい感情を抱えている。そんな人の醜い姿が本質の様で、近づきたくなくなった。


 笑顔の裏に何を抱えているのか見えなくて、逃げたくなった。それから俺は人を避けるようになった。


 恋愛も友情も全部仮初の偽の関係にしか思えず、そんな関係を結びたくない。打算のない関係なんてものは存在しないのだと知った。


 俺のことを俺として見てくれる人はいないのだと、改めて実感した。それでも俺には良家の息子という肩書きはついて回り、人は近寄ってくる。俺はそれが嫌で逃げるように、誰も知らない街で一人暮らしを始めたのだ。




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