第70話 意地悪34(頭撫で2)

「せ、先輩、そろそろ…」


 雨宮の声にハッと我に帰る。


 危ない。雨宮のセリフのせいで思わず固まってしまっていた。こいつが妙なセリフを吐いたせいだ。まったく困ったやつだ。


 まだ治らない心臓の音を自分で感じながら、少しだけ腕の中にいる雨宮を睨む。雨宮はまだ羞恥のせいか顔が赤い。まあいい、とっととこいつをベッドに戻すとしよう。


 雨宮を落とさないようにゆっくりと動き出す。それにしてもこいつ軽いな。ちゃんと食べてるのか?


 想像以上に雨宮は軽く、簡単に抱き上げることが出来てしまった。こんなに軽いとは思わなかった。これほど軽いと雨宮の身体を少しだけ心配してしまう。慎重に雨宮を運び、ベッドまであと一歩と思った時だった。


「あっ……」


「きゃ、きゃあ!」


 雨宮を抱いていたことで足元が見えず、床につまづいてしまった。バランスを崩した俺は咄嗟に目を閉じて、雨宮と一緒にベッドに倒れ込む。


「くそ、雨宮、大丈夫か?」


「せ、先輩……!?」


 目を開けると、ベッドに仰向けに倒れている雨宮の姿が俺の体の下にあった。仰向けの雨宮の上に覆いかぶさるように俺は腕をついていた。


「っ……」


 俺の顔と雨宮の顔がくっつきそうなほど近い距離。雨宮の呼吸する音さえ聞こえてきそうだ。眼下の雨宮は、真っ赤になったまま固まっている。頰は桜色に染まり、潤んだ瞳でこっちを見上げていた。


 吸い込まれるような瞳から俺は目を逸らせず、じっと見つめてしまう。


 ドクン、ドクン


 自分の心臓の音が嫌に大きく耳に響く。自然と俺は無意識に雨宮に顔を近づけていく。


「せ、先輩!?」


「……わ、悪い」

 

 雨宮の驚いたような高い声に我を取り戻す。慌てて身体を起こし、咄嗟に雨宮から離れた。


 今、俺は何をしようとした!?雨宮に顔を近づけて……。馬鹿か俺は!?嫌いな奴にあんなこと……。


 いや、今のは一時の気の迷いだ。雨宮が見た目があまりに可愛いから、男の本能が騙されただけだ。誰に言うわけでもなく俺はつらつらと言い訳を並べる。


 本当に今日の俺はおかしい……。


 やたらと雨宮のことが気になるし、雨宮と話しているとたまにドキドキする。自分で自分の気持ちが分からない。もういい、ここにいても俺の気持ちが乱されるだけだ。雨宮も元気そうだしとっとと帰るとしよう。


「雨宮も元気そうだし、もう帰るわ。身体お大事にな」


 半ば逃げるように雨宮の家から帰ろうと歩き出した。


「ま、待ってください!」


 歩き出した瞬間袖を引かれ、引き止められる。


「なんだ?」


「もう帰っちゃうんですか?」


 少し悲しげに目を伏せ、上目遣いにこちらを見てくる。眉をヘニャリと下げて、口元を窄ませ、どこか不満げだ。


「帰るぞ。それとも何か用事があったのか?」


 もう雨宮の部屋に留まる意味がない。ここにいると俺が俺じゃなくなるみたいで心が落ち着かないしな。


「何もないですけど……」


「けど?」


「もう少しだけ一緒にいたいです……」


 雨宮は顔を真っ赤にして消え入りそうなほど小さな声でそう零した。


「……っ」


 思わず息を飲む。なんなんだ、その顔は。やめてくれ、見ていると俺の胸が苦しい。心臓がうるさい。あまりに可愛すぎる雨宮の姿に俺は心が乱された。


 そんな姿で言われてしまえば、断れるはずがなかった。


「じゃ、じゃあ、頭を撫でてやるから。それが終わったら帰る。それでいいか?」


「は、はい……!」


 俺の返事にパァっと顔を輝かせる雨宮。声を弾ませて返事してくる姿はなぜか俺の中に印象を残した。


 くそ、何度も俺の心をかき乱しやがって。なんなんだ、本当に今日の俺は意味がわからない。こんな時は意地悪をするに限る。幸い雨宮から許可は下りたからな。


 雨宮の髪をボサボサにしてくれるわ!


 意地悪を考えると少しだけいつもの気持ちに戻れた。


「じゃあ、触るからな?」


「は、はい……」


 俺が声をかけると雨宮はぎゅっと目を閉じ、身体を縮こまらせる。そんな様子の雨宮を横目に、雨宮の髪に触れる。これまで何度も触れたが、相変わらず最高の触り心地だ。


 しっとりと吸い付くような髪。よく手入れされ撫でるたびにキラキラ煌めく髪は見ていて飽きない。さらさらと引っかかることなく指の間をすり抜ける感覚は、独特で心地いい。


 撫でても撫でても飽きることなく、気持ちよさゆえに撫でるのをいつまでも続けたくなる。


 毎度のことながら撫でれば撫でるほど雨宮の顔は真っ赤に染まっていく。目を細め口元を緩めている様子からも撫でられるのは気持ちいいらしい。


「やっぱり先輩に撫でてもらうのは気持ちいいです……」


 蕩けるような甘える声で雨宮が呟く。急に呟いたその言葉にドキリと胸が高鳴る。


「そ、そうかよ」


「疑っているんですか?本当に気持ちいいんですよ?先輩の撫で方は優しいですし、好きな人に触って貰えるのはそれだけでドキドキするんです」


 気持ちを吐露する雨宮は、あどけなさを残しながらも色気があり、相反する二つの雰囲気が俺の心を打つ。


「っ……」


 まただ。またドキドキと心臓がうるさい。一体なんなんだ。くそ、俺の心を乱す雨宮なんてもっと髪がボサボサになるがいい!


 かき乱された心をごまかすように雨宮の髪を雑に撫でる。


「ちょ、ちょっと、先輩!?そんな雑に撫でないでください!女の子の髪なんですからもっと大切にしないとダメです!」


 急にボサボサにされた雨宮は、口を尖らし文句を言ってくるが知るものか。何度も俺の心をかき乱してくるお前が悪い。


「うるさい、俺のことをドキドキさせてくるお前が悪い」


 俺は雨宮を少し睨みつけるしそう言い残して、すぐに逃げるように帰宅した。


「え?先輩!?ドキドキしてたんですか!?」


 急いで雨宮の部屋を出た俺は、顔を真っ赤にしてそう叫ぶ雨宮に気付くことはなかった。






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