第二十一話 不死鳥の尾
レエテを捕らえるためのエストガレス王国公爵ダレン=ジョスパンの卑劣な罠と、そこへ手引きしたシエイエスの裏切りと、直後の叛心。
結果として難を逃れ、本来の目的地への旅路を続けることとなったレエテ、キャティシア、ムウルの三名。
一旦密林で野営を張り一夜を過ごし、明けた早朝。
先を急ぎ、さらに数km密林を進んでいた。そこで――彼女らの鼻に漂ってくる、ある匂い。
「これは――潮の香り、ね」
レエテが呟いた。彼女にとっては、人生において非常に重要な記憶と結びついた、香りだ。
あの家族虐殺後の「本拠」アトモフィス・クレーター脱出劇において、決死の覚悟で飛び込んだ“
そう思いながら歩みを進めると、それはすぐに現れた。
そこには、一面に広がる大海原が、あった。
白い砂で埋め尽くされた海岸線、その向こうに――深く青く澄み渡り、遥か彼方で壮大な稜線を描く水平線。
レエテも、ここまで見事な海の風景を見たのは、脱出直後に振り返った大海洋の水平線以来だ。
その隣で、キャティシアが嘆息しながら賛美の言葉を発する。
「きれい――!! こんなにきれいなの、海って!! すごい、あれが……波なんだ! 面白ーい! ここまで来て本当によかった!
レエテさん私、実をいうと海を見るの初めてなんです。ずっと山そだちで――
すいません、ちょっとだけ入ってきてもいいですか――?」
そう云いつつ、レエテの返事を聞く前にキャティシアは荷物を置いてブーツを脱ぎ、砂浜に走り出していた。
微笑みながらため息をつくレエテの横で、ムウルが笑った。
「ハハハッ、なんだいキャティシア姉ちゃん。それならそうと、何回かバルバリシアの村に来たときいってくれればよかったのに。
おれたちの村からは海まで5kmくらいだし、おれは自慢じゃないが漁にかけちゃ一流なんだ。
素潜りのやり方も、魚やウツボやタコの捕り方だって教えてやれたのに」
そう云いながら、彼自身も衝動を抑えきれなくなったのか、海へ走り出していった。
レエテはそれを見送り――そのまま視線を大海原へ移した。
この世界――オファニムには3つの大陸があるという。
レムゴール大陸、イスケルパ大陸、そしてこのハルメニア大陸。
3つの大陸を隔てる大海洋は極めて広大、かつ海岸の穏やかさからは想像もできない大怪物達――サーペントやクラーケンなどが生息し、船舶での行き来は極めて困難であるといわれる。
別の大陸を目指し旅立った者は数知れないが、生還した記録は僅かに数例。
他に十数例の別大陸からの渡航者を数えるのみであり、他大陸の情報は極めて乏しい上、各証言者の供述が食い違ったりして完全な実情はつかめていない。
この大陸ではハルメニア大陸が最大の大陸とされるが、渡航者の証言では、レムゴール大陸が最大であるとの言もある。
過去に「本拠」の家で、クリストファー・フォルズの残した書物から得た知識を思い出しながら、久しぶりの海岸に歩を進めるレエテであった。
*
ひとしきりの水遊びに満足したキャティシアとムウルを従え、海岸沿いに北に進路をとる一行。
障害物はないながらも、足が沈み取られる砂浜に、全員が歩く疲労を感じ始めたそのときだった。
「ほら、見えてきたよ――。おれも見るのは初めてだけど、あれが――『不死鳥の尾』だ」
先頭を歩いていたムウルが、そう云って西の密林側を指差した先を見たレエテとキャティシアの視界に――その光景は飛び込んできた。
それは、海岸から大陸側を見たときに、密林の先1kmほどの場所南北に連なる、小さな山々だった。
一つ一つの標高は300mにも満たないと思われるが、それらが重なった形状が――描いていた。「不死鳥」の形を。
大きな冠を天に掲げた頭部、広げ羽ばたこうとする翼、そして――大きく豊かな、湾曲する「尾」。まさに大自然が描いた奇跡だった。
その尾の部分が、丘陵をなし、ところどころに洞穴を形成し――。その一つ一つから小さな煙を吹き出させているのが見える。おそらくは、炊事によって出されたもの。人間が生活している証左だ。ムウルが指差しているのはまさにそこだった。
レエテとキャティシアは目を合わせて頷き、迷うことなくその「不死鳥の尾」の方向に向けて再び生い茂る密林へと歩みを進めていった。
*
すでに、相手の監視の範囲内だ。捕捉されている可能性は限りなく高い。
かつてシエイエスが云ったように、可能性は高まったとはいえ、未だ今回の面会相手が味方であるという保証はどこにもない。
すでにレエテは結晶手を両手に出現させ、キャティシアは弓に矢をつがえた状態。ムウルも腰の円月刀を抜き放っている。
最大限の警戒状態で、「不死鳥の尾」への距離を詰めていく一行。
密林を500mほどは進んだと思われるが、未だ相手からのコンタクト、もしくは――攻撃は、ない。
この中で最も実戦経験が浅いと思われるムウルの手は、汗でぐっしょりになっていた。
さらに100mほど進んだところで――。
レエテの足が、止まった。
「レエテさん……居るんですか……?」
小声で尋ねるキャティシアを手で制し、レエテは目を閉じ呼吸を止める「聴覚感知」の構えだ。
当然、同時に殺気、をも感じ取るつもりだ。
そして――やにわにその両眼が、開いた!
「来る!!! 一旦伏せろ!!!」
レエテの鋭い一声に反応し、キャティシアとムウルの二人が地に屈んだその時!
前方から恐るべきスピードと鋭度の踏み込みで放たれる一撃が、レエテを襲う!
キィィィン――!! と、周囲に共鳴する金属音を立てながらその一撃を見事両手の結晶手で防ぐレエテ。
そこで結晶手と接しているのは――巨大な、槍の刀身、だった。
60cmにも達すると思われる、槍の刀身としては巨大な菱形をなす重厚な金属の表面には、まばゆい見事な装飾がなされ、その中心には妖しい光を時折放つ黒い宝玉がはめ込まれている。
まさしく、数日前に目撃した「太陽を貫く槍」、ドラギグニャッツオに相違なく――。
もちろんその品の所有者であり、レエテに打ちかかった張本人は――。
195cmを超える巨躯、それでいてしなやかな身体を黒と橙の鎧で覆い、漆黒の長髪をなびかせてその端正な優男の面持ちの中に鋭い眼光をギラつかせる――“義賊”ホルストースに相違なかった!
「よぉお――! レエテ・サタナエル。俺の根城、『不死鳥の尾』へようこそ――!
ご来訪、心から歓迎するぜ――!」
以前聞いたのと変わらない、飄々とした口調と台詞。しかしそれに反し、槍に込められた力が――並み大抵の重さでないことに、レエテは驚愕していた。
下手をすれば――ムウルを庇って受けたソガール・ザークの黒き大剣の圧力に、匹敵する。
レエテはそれを押し返すべく力を込めつつも、言葉を返す。
「こちらこそ……! ご丁寧なお迎え感謝するが――! こういう荒っぽいのがあなた達のやり方なのか? どういうことか――説明はしてもらえるのか――!?」
「説明は――後だ。まずはこの俺を力ずくで倒してみせろ。云っとくが――お前一人の力で、だ。
後ろに居る弓が得意なお嬢ちゃんや、バルバリシア族の餓鬼にはよく云っとくんだ」
ホルストースのその言葉を聞いて、キャティシアが立ち上がり弓を構える。
「そんな手に乗るわけないでしょう!!! やっぱりあんた敵だったのね!! 前に云ったとおり今からその額に私の矢を――」
「キャティシア!!! ムウルも!!! 聞いて!! 手を出さないで!!
ここは私一人で、やるわ!!!」
「レエテさん!!」
キャティシアの声とともに、レエテは力を一気に開放し、ホルストースの100kgに届くであろう巨体を、2m半に達する剛槍もろとも数m先へ弾き返した!
「おぉおおお~~!!! 凄え!! やっぱやるねえ、さすがは『血の戦女神』、さすがはサタナエル一族!!
滾ってきたぜ! この勝負、俺が必ず勝つ!!!」
その気合の声とともに、ホルストースの第二撃がレエテに向けて繰り出されたのだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます