第二十話 ナユタの怒りと、目覚め
グラド留置場よりルーミスが移送を開始されようとしていた、同時刻のグラド郊外の密林。
黒いローブで身をすっぽりと覆った、一人の女性が身を潜めながら「そこ」へ近づいていた。
フードの端からは――リスと思しき動物の毛と足が見え隠れしている。
丸一日前、サタナエル副将セフィスに手痛い敗北を喫し――。仲間のルーミスの尊い犠牲によって逃走に成功していたナユタと、ランスロットの姿であった。
ナユタの左腕は、町で開業する寺院での法力治療によって回復していた。
ナユタは、焦っていた。
今現在、自分の逃亡のあとにルーミスが囚われて、目前にそびえるグラドの犯罪者留置場に運び込まれたことは町での聞き込みから調べがついている。
また、副将シャザーが名乗ったドニー・ガラハッドという偽名の男は、物流業者として実在していることも調べた。事前にナユタらが業者について調べている可能性を考え、シャザーが実在の人物の名を騙ったと考え、それが的中したのだ。
反撃に向け、着々と駒を進めるも、ナユタが何より心配だったのは――目の前の不吉な石壁の牢獄の向こうで、ルーミスが受けているであろう責め苦についてだった。
あの異常な性格をもつ極悪人二人に痛手を負わせ、最大にして本来の標的であるナユタを逃された上で牢獄に囚われたのだ。一体どのような非道な報復を向けられているか――想像に難くない。
「ルーミス……」
ナユタが呟く。できれば今すぐにでも留置場内に乗り込み、ルーミスを救出したい。
傍らのランスロットも悲痛に言葉を発する。
「可哀想に……ルーミス。だけれどナユタ、ここは堪えてくれよ……?
あの凶悪なサタナエル二人――シャザーとセフィスは、必ず君をおびき出すため、ルーミスをエサに何らかの罠と誘いを仕掛けてくるはずだ。その裏をかく準備を進めるのが今すべきことだからね」
「……わかってるさ。わかってるけど……。
ランスロット。あたしは今回のことで身にしみた。あいつは……ルーミスはあたしにとって本当に大切な存在だってことが」
「ナユタ……」
「たぶん、天涯孤独なあたしの身の上だからこんな気持になるって分かってるけど――。今あいつはあたしにとって本当に肉親と同じよ。そう、弟――なのかな。
ましてあいつが慎重な行動を忠告する中、自信満々で実行した作戦の失敗、敵の戦力を見誤まる失態を犯したのに、自分ひとりおめおめ生き残って犠牲にしてしまった。
もう、本当に身を引き裂かれそうな思いなんだ……」
ナユタは、両手で頭をかかえ、眉間に大きく皺をよせた。
ランスロットも付き合いは長いが、ここまで苦悩するナユタを見るのは――。「あのとき」、最大の恩人にして親代わりの存在であるアリストル大導師を失ったとき以来だ。
もともと才能に恵まれ自信に満ち、ドライで現実的であり、不幸な生い立ちながら負の感情など見せたことのない彼女だった。が、あのフレアの裏切りと――そしてレエテに同行し死闘の只中に飛び込むという二つの出来事によってサタナエルと関わるようになって変わった。
これまでに想像もしなかった強敵達と相対し自信が崩れ、また共に過ごした期間は短いが何度も死線をくぐり抜けてきた仲間に強い愛情を持ち、こうして脆さを見せるようになったのだ。
「ナユタ……気持ちはわかるけど、自分を責めないでくれ。
僕が思うに――」
「シッ――! 中から誰か出てくるよ!」
慰めの言葉をかけようとしたランスロットの声は、留置場の巨大な金属の扉が開いたことを見てとったナユタの制止で止まった。
錆と錆が擦れ合う不吉な金属音をたてるその重い扉は、完全に開かれ、中から現れたのは――。10人ほどの、重装鎧に身を固めた看守たち、そしてそれに護送される荷台を檻に改造された頑丈きわまりない馬車であった。
御者が馬に鞭打つと、馬車が進み始め――。檻の中が陽光に照らされて露わになった。
そこに居た、囚人の姿を見て、ランスロットは絶句し――。
ナユタは、大きく息を呑んで白い両手を口に当て、全身を大きく震わせながら浮かべた苦悶の表情の中で、目から涙を吹き出させる。
「ルー……ミス!! そんな……そんな!! ひどい! ひどすぎる! 何て、何てことなの……。
まだ……まだ子供、なのに……こんな、こんなひどいこと……許して……許して、ルーミス! う……ううううううう!!」
その檻の中で立ったまま腰布のみをまとった裸の状態で拘束されていたルーミスの姿は――見るに耐えないものだった。
全身の無数の切り傷、切り取られた乳首、全ての爪を剥がされたと思しき痛ましい状態。
何よりも衝撃だったのは、あるはずの場所から失われた右手、肘付近で石膏と包帯を巻かれたその状況だった。
左手は残されているが、利き腕である右手を失う障害を強いられた彼。
ナユタはしばらくの間、草むらに貌を伏せて泣き続けていた。
が、やがて上げたその貌には――冷たく乾いた双眸に憤怒をみなぎらせ、ランスロットも戦慄するような、殺気を放出させていた。
「奴ら――奴ら 、許さないよ……!! クソ野郎ども――こんなひどいこと――あたしのルーミスにしてくれやがって――。
ぶち殺す。あの変態野郎も、不感症の冷血女も――この報いを受けさせてやる。
あたしの刃で、必ずズタズタにしてやる――!!」
その手で大地をかきむしり、怨嗟を撒き散らし呪いの言葉を吐くナユタに、今にでも飛び出していくのではないかとランスロットはハラハラしたが、強力な自制心で辛うじて踏みとどまっているようだった。
が同時に――ランスロットが感じたもう一つのナユタの変化。
魔力が、驚異的に上昇している。
魔導士は、魔力の総量を普段は隠している。同じ魔導士であればそれを感じ取ることができ、解析されることは己に不利を及ぼすからだ。
が、今巨大な感情の発露とともに、ナユタの魔力は周囲数十m以上渡って放出されていた。
まだ技として改変を加えない純粋な魔力の状態のため、周囲の草や樹々を燃やす炎や高温を発したりはしないが、ランスロットが知るこれまでのナユタの魔力量ではない。
この変化は――前述の大導師殺害の際にも同様に見られた。
魔力は、それを持つ人間の精神と深く関わるため、変化や成長の現れ方はそれぞれ千差万別だ。
ナユタはこれまでの幾多の戦闘により確実に魔力を鍛えられていたが、それは潜在力として留まっていた。これが、今発露した激烈な怒り、によって表出したのだ。ナユタにとってのリミット解除のキーは、「怒り」だということを、このときランスロットは確信したのだった。
「……ナユタ。状況は悪いが、あのルーミスの表情、目……。全く光を失っていないし、むしろ何らかの確信を得ているように見える。
彼は戦意を喪失するどころか、あんなになってもまだ戦う気で……しかも留置場内で何らかの策を考えたか、それとも協力者が現れでもしたか――。何かをやってくれそうだ。
僕達も、すぐに行動を開始しよう」
ナユタは囚人護送車が行ったのを確かめると、すっと立ち上がった。
その表情はすでに冷静そのものであり、ある一点の方向を見据えていたのだった。
「ああ、そうだね……。あいつはまだ戦う気だ。あたしたちがこんな場所でぐずぐずしてる場合じゃない。
行き先は――バレンティンだ。すぐにあたしたちも移動し、後を追うよ、ランスロット」
「そうこなくちゃね……! お供いたしますよ。多分あっちではどこにでも忍び込める――僕の特性が必要になるだろうからね」
*
グラドの町から首都バレンティンに通ずる坂道に存在する、検問所。
多くのマナグラム巡礼者や物流業者が行き交う場所。近年出入りの制限が厳しくなり、手続きに時間がかかるため、渋滞し人でごった返している。
そこへ、一台の四頭立て馬車が近づく。
貴重品を配送する業者の証、「青」の幌を持つ荷台だ。
担当部族のゴグマゴグ族検閲官がこれを呼び止める。
「止まれ。登録名と積荷を伝えろ」
馬に鞭をくれていた、体格がいいが人の良さそうな男がこれに答える。
「ああ……私ゃあドニー・ガラハッドって者です。
積んでる荷は……絹織物、貴金属、希少物の葡萄酒と麦蒸留酒の酒樽。王族方に届ける貴重品になりやす」
そういってドニーが差し出した業務許可証を一瞥し、検閲官は手を振って進行を促した。
「了解した。もう行っていいぜ。道中荷の破損がないように気をつけてくれよ」
ドニーは怪訝な貌で検閲官に尋ねた。
「いいんですかい? いつもならまず積み荷の検閲があるんじゃないですかい?」
「そうなんだが、町長ネイザン様からの急なお達しだ。
ここ数ヶ月、反乱軍の侵入は発生していないゆえ、今日よりこの過剰な人数を捌くことを優先する。
物流業者については証明書があれば、荷の検閲までは不要、となあ。
まあ、仕事が楽になって俺らはありがたいがな」
「さいですか……。ほいじゃあ、失礼いたしますです」
ドニーはそう云うと、ちらりと荷台の方を見やりながら馬に鞭をくれ、馬車を走らせた。
再び発生する振動に眉を潜めながら――荷台の床下の隠し収納に横たわって身をひそめるナユタは、傍らのランスロットに云った。
「やれやれ……何だかよくわからないけど、拍子抜けするくらい簡単に通れちまったね。
こんなことなら、ドニーに払う金額をもう少し安くして、こんな最悪の乗り心地の場所じゃなく上の緩衝材の間でゆったり座っててもよかったねえ……」
「まあ、いいじゃないか。このあと坂を登ってバレンティンについたら何があるかわからないんだし。……とりあえず、車酔いでここに吐くのだけは勘弁してくれよ、ナユタ」
「そりゃこっちのセリフだよ。あんな街道のピッチの揺れでも気持ち悪がってのはあんたの方だろうに」
いつもの掛け合いに戻った二人が目指すのは――敵の根城、バレンティン。
そこにおいて如何にしてルーミスを救出しつつ、「剣帝」討伐に重要な情報を得るか、会話しつつもナユタの頭は回転を続けていたのだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます