第十九話 激痛と喪失、老獪なる曲者

 「大鮫の顎」から脱出し、身体が麻痺したキャティシアとムウルを抱えたまま密林を全力で走るレエテ。


 おそらく5kmほど走ったと思われる場所で、骨折した痛みもあり一度停止する。

 そしてキャティシアとムウルの身体を地にそっと横たえる。


 二人は麻痺毒のもたらす苦しみと不快感に貌をゆがめ、満足に動かせぬ身体を痙攣させるが、キャティシアがようやく少しだけ動くようになった両手で、法力による治療を開始する。

 左手を自分の心臓に、右手を手の届く範囲にあるムウルの背中に。


 光球が身体の一部を優しく包み、血液中や内臓からの異物を取り除く作用が急速に進む。

 これにより、まず麻痺していた喉と舌と唇が動くようになったキャティシアが、横たわりながらレエテに向かって声をかける。


「レエ……テさん! 脚……は大丈……夫ですか!?」


 そのレエテは――彼女らから3mほど離れた場所で、両膝を地に着き、前のめりになって両肘を着き、貌を伏せて――泣いていた。

 肩を震わせ、大粒の涙を滴らせて嗚咽を漏らしていた。


「レエテさん…………あなた、は……」


 キャティシアは、察した。

 信頼しきっていたシエイエスに裏切られたこと、それにより過去の彼の行動や言葉を信じられなくなったこと、しかしながら結果的に任務と主君よりもレエテを選んだことで、少なくともシエイエスに彼女への情があったこと。そして返す裏切りの報復として――おそらく彼はあの場で殺害されたか、少なくとも処刑は免れない身となったであろうこと。

 あまりに突然の状況下において、同時に襲ったこれらの事実が一気にレエテを混乱させ、苛んでいる、と。

 しかも――おそらくは最後の事実――シエイエスの死、という事実が最も彼女にとって耐え難いのだということ。


「……シエイエス……シエイエス……」


「レエテさん……私みたいな子供が云うのは生意気かもしれませんけど……聞いてください」


 キャティシアは法力の手を緩めないまま、毅然とした口調と表情で云った。


「あの人……シエイエス・フォルズは、今まであなたを、私達を助け導いてくれました。

私のお爺ちゃんの仇もとってくれたし……ナユタさんの命も助け、途方にくれる私達に知恵を授け、とても頼りになり思いやりもある人でした」


「……」


「だけれど今まで私達を騙していて……特にこの国ではいいように操ってナユタさん達を引き離し、ひどい罠にかけ、裏切り、死の危険にさらした。これは事実です。

私は、あの人がやった、このことを許したくはありません」


「…………」


「最終的に、私達を助けてくれましたし、過去してくれたこと、云ってくれたことにも本心や真実のことがあったのかもしれなかったとは思います。

けれど、冷たい云い方なのは承知ですが……あの人の死を悲しんでここで立ち止まったり――ましてや、生きてるかもしれないからと、助けに戻るなんていうことは一切するべきじゃありません。

もしあなたがそのつもりなら、私は全力であなたを止めます」


「キャティシア……」


「あなたは、ええと、そ、その……あの人のことを……す、『すごく特別な人』、に感じてたんですよ、ね……きっと」

 

 少し貌を赤らめるキャティシア。レエテは呟くように答える。


「……わからない、けれど……そうなのかも知れない、とは思う……」


「その気持ちだけは尊重したいですけれど……。

因果応報、ていう言葉がありますよね。あの人は悪い行いによって、残念ながら死という報いを受けるんだと思います。そして良い行いに対しては――、私達とあなたが彼の決死の行動で拾った命をつないで、目的を果たすこと。それによって報われるんだと思います」


「キャティシア……あなた……」


「ほとんど、借金苦で私のお父さんお母さんが自殺したときの、お爺ちゃんの言葉の受け売りですけどね。結果的にお爺ちゃんも同じことになっちゃいましたけど……。

ちょうどそのとき、あの人も云ってたそうじゃないですか。私たちは、いかなる犠牲があろうとも立ち止まらず振り返らず、進むべきだ、てね」


 レエテは、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、キャティシアに歩みよりかがみ込んだ。


「……どう、もう座れる? ムウルも、大丈夫?」


 レエテは優しい言葉をかけ、彼女らが頷くと、その二つの身体をそれぞれ片手で軽々持ち上げ、付近の岩にそっと座らせた。

 レエテのその貌は、もう泣いていなかった。微笑みつつも決然とした表情をたたえ、目には光が宿っていた。

 そして視線を合わせ、キャティシアに語りかける。


「ありがとう、キャティシア。

あなたの、云うとおりだわ。ここで立ち止まったり判断を誤ることは、間違っている。

まず何より、あなた達を危険から護らなきゃならない。

あなたは、それに気づかせてくれた。私も、今は感情を振り払い、目的に向かって進む」


「レエテさん……」


 レエテは頷くと、ムウルの方を向いた。


「ムウル。『大鮫の顎』から大分あさっての方向に走ってきてしまったけれど……。たぶん、北東に5kmくらいだと思う。ここから『不死鳥の尾』までの案内はお願いできるかしら?」


 ムウルはキャティシアの手を背中に当てられ治療を継続しているも、まだ若干咳き込みながら答えた。


「……ウ、ゲホッ……だ、大丈夫、だよ……。今の位置はまわりの風景でわかってる。

海岸に出て……『不死鳥の尾』までいくのは問題ないし、むしろ近づいているとおもうよ」


「わかったわ。それじゃあよろしくお願いね。私達を――連れて行って。

“義賊”ホルストースのもとに」



 *


「う…………うう」


 自分の苦痛に満ちたうめき声で目覚めた、少年。


 ぼんやりした視界に徐々に現れたのは――。薄暗い、10m四方ほどの石壁の一室。

 通気口はあるが窓はない。壁にかけられた松明の火と、テーブルの上の燭台のロウソクの火で視界を保っている。


 テーブルの上でロウソクに照らされた器具――キリ、ペンチ、鋸、ハンマーなど、人に苦痛を与えるための血に染まった拷問器具を目にし、少年の身体がビクッと震えた。

 そして恐る恐る、立てた拷問台に拘束された状態の自分の右手を見た。

 その先には――手首から先の、「手がなかった」。治療がなされ、包帯を巻きたてられた先端は、肘先10cmあまりで終わっていた。


「う、あああ……ああああ」


 少年が恐怖に貌を下げると――裸にされた自分の身体には無数の生傷が残り、乳首はえぐり取られ、足の爪は剥がされていた。

 それらを見ると同時に――先刻の吐き気のする忌まわしい強烈な記憶が蘇った。


 自分、“背教者”ルーミス・サリナスは――ナユタ・フェレーインを逃がすため、サタナエル“副将”セフィス・マクヴライドに決死の拘束をかけた。ナユタが逃げ終えると同時に血破孔打ちは制限時間を迎え、自分は激怒したセフィスに殴られ昏倒した。


 そして気がつくとこの拷問部屋におり――。目の前には今の自分と同じく右手を失い包帯を巻き立てた“副将”シャザー・ガーグリフィスが悪魔のごとき邪悪な形相で待ち構えていた。

 そして思い返すことを拒否したくなるような凄絶な拷問を加えられ――想像を絶する絶え間なき苦痛にあらんかぎりの叫びを上げ続けた。最後には最大の報復として右手を切り引きちぎられ――地獄としか思えぬ狂気の激痛にそのまま気を失っていたのだった。


 シャザーもルーミスも、肉、骨、神経をズタズタにされた上、早期に法力の処置に至らなかったその右手は――。接合することも、ましてやサタナエル一族でもないかぎり生えることもなく、一生失われたこのままだ。

 シャザーは去り際に、自分は鉤爪付きの義手をすでに手配していると云っていた。

 ルーミスも、何らかの手段を考えねばならない。法力を流し込む戦法の“背教者”にとって、手を失うことは大きな痛手で、このままではレエテのため、仲間のために十分闘えない。

 ……それも、あくまでここを生きて出られて自由になってから心配すべきことだが。


 そんなことを考えていると、目の前にあるドアが開き、一人の人物が入室してきた。


 シャザーか、と思ったが違う。初老の、身なりの良い一人の男性だった。


 プレートをはめ込まれた無骨さはあるものの、おそらく高価で、瀟洒な宮廷衣服。

 身長は185cmほどと高く、その盛り上がった肩や胸、筋力を感じさせる太い腕からすると、この国の高位の部族であり、高官であろう。

 側頭部を残して頭部は見事に禿げ上がっている。それに見合った極めて男性的な精悍な造りの貌は年相応のシワが刻まれ、口髭と顎髭を蓄えている。

 だがこの男の最大の特徴は、非情に皮肉に満ちた、悪く云えば世と人を見下す、というより一歩引いて見ているようである、見るものの心をざわつかせるその目つきだった。


「いよぉ……餓鬼んちょ……。たしか、“背教者”ルーミス・サリナス、て名前だったなあ。

レエテ・サタナエルの仲間、であり、世界の支配者、サタナエルに戦いを挑む命知らずの一人……。

おめえ、仲間の女を救うために犠牲になったそうじゃねえか。そしてそんなひでえ拷問を餓鬼の分際で見事に耐え、一応聞かれたろうが仲間のことについちゃあただの一言も漏らさなかった、と。

惚れるねえ……俺ぁそういうの、大好きだぜ。昔の俺たちにも引けを取らねえ男っぷりだ」


 男は、ルーミスの手前の椅子に足を組んで胸をそびやかした。


「オマエ……おそらく……ネイザン・ゴグマゴグ……だな?」


 歯から押し出す声でのルーミスの指摘に、男は大声で笑いだした。

 

「はっはっは!! 全く大したもんだ、そこまでお見通しか。

そーお、俺はネイザン・ゴグマゴグだよ。グラド町長にして検閲管理官、のな。

同時に副宰相でもあり――国王ソルレオン・インレスピータのやつとは40年来の戦友親友でもある」


「一国の貴族にしては……随分と……荒っぽいもんだな」


「おうよ。俺らはほんの20年前あの鉱脈が出るまで、自然とともに生き、獣と怪物を狩り、戦いに身を捧げる誇り高い戦士だった。おめえらが蛮族と蔑む、なあ。だからバレンティンじゃおまえらが想像するようなお上品な貴族は一人もいやしねえ。

まあともかく、俺らドミナトス=レガーリアは歴史の浅い、未だ手探りの国だ。今の政策もすべて皆によかれと思ってやってることだが、最良だとも、絶対だとも思っちゃいねえ。

サタナエルについても、そうだ。ひとまず国の体裁を保つために止む無くあいつらを利用し、従ったりしてるが、あるいはそれは間違いで――。あいつらが居ない方がむしろ事態はスッキリするかも、とか考えることもある」


「……」

 

 ルーミスはネイザンの言葉を注意深く聞いていた。一見理屈のあった、自分たちが中立の立場でもあるかのような言葉を並べるが、この腹で何を考えているか分からない男のこと。決して下手な言質をとられてはならない。


「だから俺達は、実はちょっとお前らレエテ・サタナエル一派に期待してるんだよ。

ただ勘違いしねえでほしいのは、肩入れしようって訳じゃねえってことだ。だからここでおめえを助けて解放もしない。自力であいつらを退治できたそのときは、俺達は非を認め、サタナエルと手を切るよう努力するだろう」


「……」


「まあ全面的に助けないまでも、指一本くらいは貸してやろうたあ思う。

ここはな、グラドの犯罪者留置場。シャザーとセフィスとかいうサタナエルが、お前を運び込んでここを使わせろというから貸した。多分あいつらは、逃げた仲間をおびき出すのに使ったあと、ここでおめえを殺すつもりだ。

――が、俺はあいつらに、ソガール・ザークがお前に会いたいと云ってるとか適当にごまかして、バレンティンの牢に移送してやる。あいつらと違うギルドのソガールが居るバレンティンにいきゃあ生き延びる確率が少しは上がるんだろ?

ついでにおめえの仲間の、俺好みの色っぽい女魔導士ちゃんも、バレンティンへの検問を通り『やすい』ように少しだけはからってやる」


「オ……マエ……。あの酒場での騒動を、どこかで見ていたのか……。

取り計らいのこと……了解した。が、まだ礼は、云わないぞ……」


「はっはっはっ!!! 今ぁそれでいい!!! まあ健闘を祈る。せいぜい頑張んな、小僧!!」


 豪快に笑いながらドアの向こうに消えるネイザンの姿を、痛みに必死に耐えながら見送るルーミスだった――。

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