第十八話 絶望の先にあるもの

 突如として裏切りの行為に転じ、レエテ、キャティシア、ムウルを誘導の上ダレン=ジョスパンの罠の只中に放り込み、彼女らを捕らえたシエイエス。


 これに対しショックを隠しきれない面々。

 特に、レエテに与えた衝撃は甚大であった。


 しかし、彼女の問いかけにも、シエイエスは一切答えようとしない。

 それを見たダレン=ジョスパンが人間性を感じさせぬその独特の笑みのまま、口を開く。


「レエテ。聞いたとおり、シエイエス・フォルズはエストガレス軍を退役などしておらぬ。

歴とした現役将校であり、諜報部でも随一の能力を誇る一流の軍人である。

大将軍シャルロウ・ラ=ファイエットと余の与えた指令に従い、ドゥーマでお主に接触、仲間に加わりお主を捕らえるという大いなる目的を果たすために終始動いておった。

そのために仲間を欺き、お主を騙し――言葉巧みにお主の信頼を得て、その意に従うよう仕向けたのだ」


「そんな……そんな、嘘……」


 レエテは涙を滴らせ、呆然とするばかりだ。


「それほど、衝撃であったか。シエイエスはお主にとって一分の疑う余地もない、余程の信頼の対象であり、一方ならぬ親愛の情を抱いておった、と。

それは、この男がいかに優秀な間者であったかの証明であるがな。

その様子ではもしかすると――、一人の男としても一方ならぬ情を抱いておった、ということもありえそうだな?」


 それを聞いたレエテの肩がビクンッと震え、一瞬目が見開かれた。

 ダレン=ジョスパンは構わずに続ける。


「生憎だが、レエテ……。お主は、これよりこのダレン=ジョスパンのものとなるのだ。

余の大いなる、歴史に残るほどの偉業を達するための道具として……その身柄を、身体を、血を……存分に利用させてもらう。

これより、お主の身柄はひと足早く――。エストガレスに戻り、我が居城、ファルブルク城に移送される。

余はオファ二ミスとともに、形式的にとはいえバレンティンに赴かねばならぬ。

我が居城で――主人の帰りを首を長くして待つがよい」


 レエテは貌を下げたまま――。

 低く呟くように、言葉を押し出した。


「……お願い……私を捕らえ、連れていくのは構わないけれど、そのかわり――連れの二人は見逃して……ほしい……お願いだ……」


 無念の表情ながら、キャティシアとムウルを救おうとする、レエテ。

 しかしながら――その必死の思いは目の前の、人間の血が通わぬかのような魔物の前では僅かな効果すら発揮しなかった。


「それは、まかりならぬな。

これだけの重大な現場を目撃した証人。いかなる理由があろうとも、生かしておくなどという選択肢は、余には最初から微塵もない。

そちらの小娘と小僧は、即時斬首のうえ、その死体は証拠も残らぬよう灰にすると決定しておる」


 その非情、いや外道なる死の宣告に――。

 麻痺毒により今や言葉を発することもできなくなったキャティシアとムウルは、口をパクパクさせながら青ざめ、刮目する。


「やめろ……やめろ……人でなし、外道……! キャティシアとムウルに、触るな……!

殺させなど……絶対に、しない……。指一本でも、触ったら……この私の手で、お前を細切れに切り刻む……!!」


 射るような憤怒の眼光をダレン=ジョスパンに向けながら、途切れ途切れの言葉を発する、レエテ。

 しかし言葉とは裏腹に、その身体は指一本動かすことはできなかった。


「ほう、あのラディーン・ファーン・グロープハルトの様に、か?

だが残念だったな。今のお主なら、たとえ奴の止まって見えるように遅いブレードでも首を落とすに十分であろう。

もう観念せよ。軍師として付いていた“紅髪の女魔導士”も、シエイエスの弟“背教者”も、今は遥かなバレンティンだ。余がそのように指令を与えたゆえな。

あの忌まわしいヘンリ=ドルマンめも、干渉する理由なき異国ではおいそれと手は出せぬ。

もう、お主を救う手は、どこからも、一切、やっては来ぬ。

お主は、また一人に、戻ったのだ。そしてその存在は再び、このハルメニア大陸より消えるのだ」


 ダレン=ジョスパンの、非情なる宣告。

 憤怒の表情は向けつつも――その両眼は、すでに極限の絶望に、濁っていた。


「ふふ……ようやく、理解できたようだな、レエテ。

さて、シエイエス。お主、長旅と激務で大分疲れたであろう。

もう下がって良いぞ。余がやってきた北西の方角に、オファ二ミスを待たせておる、我がエストガレス軍の野営地がある。

寝所に加え、湯浴みの設備も備えておる。そこでゆっくりと、休むが良い」


 ダレン=ジョスパンの労いの言葉に、悲痛の表情のまま頭を垂れる、シエイエス。

 

「有り難き……幸せ……。

お言葉に甘え、これにて私は下がらせて頂きまする」


 シエイエスは、ゆっくりとした歩みで、ダレン=ジョスパンの左脇を通り抜ける。

 ダレン=ジョスパンは大変な上機嫌で、レエテに向き直り、再び言葉をかける。


「レエテ……ファルブルク城では、色々と話してもらうぞ。サタナエルの秘密について、な……。

その後は――。人類の至宝ともいえる、その肉体の謎を存分に調べさせてもらう――」


 そこまで、ダレン=ジョスパンが言葉を発したとき――。


 シエイエスの姿は、彼の後方約5~6mほどにあり、完全に背中を向けていた。

 当然、すでに今はシエイエスの存在など、ダレン=ジョスパンの意識からとうに消えていた。


 その状況下で――ダレン=ジョスパンの背中越しに、レエテは見た。

 シエイエスの身体が一瞬にして、「崩れ」――。

 首が180度回転しこちらを真っ直ぐに向き――。

 あらぬ方向に曲がった両腕が、袖を突き破って驚異的な速度で伸び――。

 背中に当たる場所から、もう一本の「腕」が出現し、同じく伸びていき――。

 合計3本の腕が、5m以上の長さに瞬時に伸長したのだ!


 本来の腕であった2本が、ダレン=ジョスパンの両腕を鷲掴みにし――。

 背中から発生したもう一つの「腕」が、彼の細い首を掴み、締め上げた!


「なっ……何だと……? 一体、何を!?

シエイエス・フォルズ、お主――血迷ったか!」


 シエイエスは一旦、首を本来の位置に近い場所に戻し、周囲のどよめく数百の兵士に向かって、声を張り上げた。


「動くな!!!! 

貴様らが僅かでも動けば、今自由を奪った公爵殿下の首をねじ切り、お命を頂戴する!!!

全員、武器を置け!! 今すぐにだ!!!!」


 逡巡したものの、兵士たちに為す術はない。

 彼らは、次々に剣、ランス、弓といった武器を地に置き、動きを止める。

 

 ダレン=ジョスパンは抵抗を試みるが――。

 特殊部隊員として極限の鍛錬を経たシエイエスの筋力は、一旦捕らわれてしまったらダレン=ジョスパンの細腕の力では到底振り払えるものではなかった。

 己の首にかかる腕ならぬ腕から伸びた手もしかり。ねじ切るといった言葉に嘘偽りは、ない。

 笑顔が消えたその貌に、怒りを染み出させながら、ダレン=ジョスパンは声を振り絞った。


「このダレン=ジョスパンともあろうものが……一世一代の、不覚。

常ならば捕らわれることなどまずあり得ぬ、この余を捕らえた者は――この世でお主が名誉の二人目、だ。シエイエス。

それで、一体この状況をどうしようというのだ?」


 シエイエスは――ダレン=ジョスパンから視線を逸らし、レエテの目を真っ直ぐに見て、叫んだ。


「レエテ!!!

さっきお前に巻きつけた鞭に埋め込まれた刃には――。俺の血が塗りつけてある!!

体内で合成した、麻痺毒に対する解毒剤を含んだ俺の血が!!

もうそろそろ、効いてきているはずだ!!!」


 レエテはハッと自分の身体の状態を確かめた――。云われてみると、先ほどと比べて明らかに、身体が軽い。感覚も戻ってきている。


「シエイエス……あなた……あなた……は」


「逃げろ!!! 力の限り!!!

キャティシアとムウルを抱えて、『大鮫の顎』の崖から飛び降りて逃げろ!!

お前にならできるはずだ!!!」


「でも……でも……。

ここで私が逃げたら、あなたは――」


「何を迷っている!!! 薄汚れた裏切り者のことなど気にしてる場合じゃない!!

生きるんだ!!! 生きて――生きて必ず斃してくれ、ソガールを! ロブ=ハルスを! サタナエルを!!!」


 その叫びに――想いを振り払うように地を蹴り、動作を開始するレエテ。


 その跳躍スピードにより一瞬にしてキャティシアとムウルの居所に辿り着き、キャティシアを右肩に、ムウルを左脇に抱えて、その剛力で軽々と持ち上げる。


 そして全力の疾走で、100m先の崖まで到達し――。

 迷うことなく、30mはあるであろう崖下に、一気に飛び降りる!


 そして、落下し、3人分の衝撃力を一気に受けたレエテの両脚が、流石にミシリッ、と厭な音を立てる。


「……!!!」


 電撃のような激痛が走ったものの、大腿骨にヒビが入った程度で済んだと見たレエテは、そのまま可能な限りの全力で密林へと消えていく。


 

「ぐっ……レエテ……待て、待つのだ!!

おのれ……シエイエス・フォルズ、お主、このようなことをして只で済むと思うな……!

千載一遇の好機をここまで見事に消し去ってくれおって……。ラ=ファイエットからの恩も、目をかけてやった余からの恩も踏みにじりおって……!

相応の報いを、受けさせてやる……覚悟せよ!」


 このポーカーフェイスを通すダレン=ジョスパンという男が、これまでに見せたことのない感情をむき出しにした貌となり、軋ませた歯の間から呪いの言葉を発していたのだった。


「殿下……殿下は極めて、危険に過ぎる御仁。

このハルメニア大陸に、居てはならぬ存在。

今この場で私、シエイエスが地獄への引導を渡して差し上げる」


 そう云って、シエイエスが首を掴む第三の腕に一気に力を込めようとしたその瞬間!


 付近の樹上から一つの影が飛び出した。

 その影は、真っ直ぐに突き出した右手を、シエイエスの頭部にある血破孔に当てて――白き力、法力を流し込んだのだ!


「“鎮静セーデイション”!!」


「ぐっ……!!!」


 白い稲妻がスパークするかのような閃光とともに――。シエイエスの貌から生気が抜け、目が閉じ――。

 身体が地に崩れ落ち、異形に変形したその身体が、元に戻っていく。


 同時に戒めの手が離れたダレン=ジョスパンも、自由の身となった。


 首をさすりながら身体を振るダレン=ジョスパンの前には、膝をつき、その短い金髪を深々と垂れる筋骨隆々の肉体を持つ“背教者”――。

 彼の危機を救った張本人、サタナエル“法力ヒリング”ギルド副将、エイワス・ハーシュハウゼンの姿があった。


「公爵殿下……危のうございましたな。

レエテ・サタナエルを捕らえるはずが――。飼い犬に手を噛まれる事態に相成ったとお見受けいたしましたが?」


「ああ……そのようだな。危ないところの援護、大儀であった、エイワス。

あともう少しで、『お主らサタナエルにレエテを引き渡し取引ができるところであったが』……残念であった」


「左様で……。それは誠に残念至極でございました。

ところで……オファ二ミス王女殿下の姿がお見えでないように見受けられますが?

王女が同行されるゆえ、このエイワスに『大鮫の顎』への同行をお許しにならなかったはずでは?

さらに云えば、シエイエスこの男が間者であったこともお教え頂けておりませんでしたな?」


「予定が変わったのだ。また、我が作戦ゆえお主に全てを話す義務もない。

お主の方こそ、なぜここへ来たのだ?」


「それは、この男シエイエスの大声と、兵士が武器を置く音が聞こえましたものでただ事ではない、と。私100m先からでも聞こえる聴覚を持っておりますゆえ」


「それは、初耳だな。

なんにせよ、作戦は振り出しに戻った。今後は、この男シエイエスをどうにか利用し目的を遂げるしか無い。

また声をかけるゆえ、それまでは沙汰を待て」


「承知いたしました、公爵殿下」


 そういって、再び樹上へ跳躍し、またたく間に姿を消していく、副将エイワス。


 ダレン=ジョスパンは眉間にしわを寄せ、その姿を見送ったのだった。


(あやつ……おそらくだが、気づいたな。『余の本当の目的に』。

もはや、機を見て始末するしかないな。ゼノンやサタナエルにそれが漏れる、その前に――)

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