第十七話 ある再会、そして絶望

 夜が明け暁を経て、目覚める密林とともに活動を開始した一行。


 まずは昨日の設備で朝餉あさげを摂ったあと、設営されたタープやテントなどを畳み、サックにくくりつけて出立の準備をする。

 荷物の量は少なくはないが、十代の若さとバイタリティをもつムウルとキャティシア、一流の軍人上がりのシエイエス、いうまでもなくサタナエル一族の肉体をもつレエテという面々がそろった一行にとっては軽いとさえいえる重量だ。


 彼らは目下のところ順調に北へ、北へと進行していた。

 ガルゴ山を過ぎればここはドミナトス地域。

 レガーリア地域と異なり大半の部族が国王側であり、正規軍の目も行き届いている。それら勢力に見咎められて面倒なことになったり、場合によっては――。彼らに雇われる身である、「剣帝」ソガール・ザーク率いる“ソード”ギルドの暗殺者と事を構える可能性は十二分にある。


 先日の死闘を止めた“法力ヒリング”ギルド副将、エイワス・ハーシュハウゼンが云ったとおり、彼の主である将鬼ゼノン・イシュティナイザーは現時点でレエテを生かし、自らの別の目的に利用しようとしている。

 この状態で“ソード”ギルドがレエテを殺しにかかれば、サタナエルの「戒律」とやらに照らし、ソガールはゼノンともどもサタナエルから始末されてしまう、との事だった。

 しかし、もし国王ソルレオンが正式にサタナエルにレエテ殺害を依頼すれば話は変わってくる。

 この場合おそらく外部の依頼が優先され――ソガールにとってレエテを殺す障害はなくなるのではないか、というのがシエイエスの見立てだった。


 最大限の警戒はしつつ、ムウルが想定したコースを辿り、「不死鳥の尾」への距離を詰めていく一行。

 徐々に海に近づいてきており、おそらくあと半日もあれば目的地に到着するであろうというムウルの予想にしたがい、決して足を早め過ぎることなく進む。


 現在一行の最後尾を殿しんがりとして歩くレエテは、その前を歩くシエイエスの姿を時折盗み見ていた。

 決して集中力を欠いているわけではない。警戒は十分すぎる程だったが、大丈夫な程度には――彼の横顔や後ろ姿を見ずにはいられなかった。

 これはここ数日来より、彼女に現れた傾向だった。自分では気がついていないだろうが、目尻が下がり微笑みさえ浮かべるそのときの貌は、大きな親愛の情を表現していた。

 しかしレエテは――自分で何かは分からないその強い感情を、無意識に抑えようとしていた。

 意識しないところで、ビューネイに対する未だ残る罪悪感がそのように仕向けているのだった。酒が止まらなくなることも、罪悪感から逃れる無意識の動きとして、同じ理由に端を発しているといえた。


 ただここ数日、以前よりよく見るようになったことで、シエイエスの変化に気づくのも早い。

 今日の彼は、明らかにいつもより調子が悪いように見えた。

 元々お喋りなたちではないが、いつもにも増して口数が少ない。肌の血色が悪い。唇が白い。眉間にはシワが刻まれ、眼下には隈が形成されている。


 レエテは我慢できずに声をかけた。


「シエイエス……大丈夫? どこか具合が悪いの?

とても顔色が悪いわ。それにその目……全然眠れていないでしょう。急ぐ必要がないなら、少し休んでいかない?」


 シエイエスは低く呟くような声で、返事をした。


「いや……。大丈夫だ……。気にするな、俺のことは。

少し、考え事をしすぎて眠れなかっただけだ……」


 若干ふらつきながらも、手でレエテを制し、歩き続けるシエイエス。

 レエテは心配に貌を歪めながらも、それ以上は何も云わず進む。


 先頭を歩くムウルとキャティシアは、並んで歩いて会話していた。


「ムウル。この後は密林を抜けるだけなの? 危険な場所とかはないの?」


「ああ、それだけで特にヤバイところはないよ。

もう少し歩くとたぶん、『大鮫の顎』っていう、高い崖のある広場にでるはずだ。

でも、ある部族の祭りの場として知られてるだけで、とくに何てことはないよ」


 その場所の名を聞いたシエイエスが――。

 一瞬表情を凍りつかせ、歩みを止めた。

 が、すぐにそれまで通りに歩き出す。

 それを見ていたレエテが、怪訝な表情とともに心配のあまり何かを云いかけるが、思い直して押し黙る。


 やがて歩みを進める密林の100mほど先に、大きく光が差す、樹々の途切れた広場があるのが目に入ってきた。

 かすかにしか見えないが、向かって右側は切り立った崖になっているようだ。

 ムウルの云う、「大鮫の顎」であろう。


 それが視界に入った時――。


 シエイエスが、完全に歩みを、止めた。

 そして、低いながらも鋭く、一行に対し言葉を発する。


「……止まれ……! 止まるんだ、みんな……!」

 

 その声に、驚いて振り返りながら歩みを止めるムウルとキャティシア。

 そして、後ろを歩いていたレエテも歩みを止める。


「ど、どうしたの……!? シエイエス?」


 レエテが尋ねる。

 シエイエスの様子は――。やや、異常ですらあった。

 険しく釣り上がった両眼はやや血走り、その肩は小刻みに震え、両拳は力のかぎりに握りしめられている。

 そして一度、ギュッと目をつぶり、開くと、押し出すような低く潰れた声で云ったのだった。


「レエテ……俺は……俺は……」


 そのシエイエスの様子に、何かを云おうとするレエテ。

 シエイエスは、またも彼女を手で制して言葉を続ける。


「俺にはやはり……無理だ……。レエテ、お前を、そんなことには……。

レエテ……! 今、すぐに……逃げろ! 来た道を、全力で!! ムウルとキャティシアを連れて、今すぐに逃げるんだ!!」


 凄まじい形相だった。レエテは何事か訳が分からず、一瞬云い淀み、動きが止まった。

 その、次の瞬間――! 彼女の鋭敏なる感覚が――。周囲に複数の殺気を捉えた!

 しかし、手遅れだった。一瞬だが警戒を解いてしまったレエテには、「それ」に反応するにはコンマ1秒タイミングが遅かった。


 襲いかかったのは、数本の鋼矢だった!

 それは10本にも及んでいた。その狙撃先は――ムウル、キャティシア、そしてレエテ、の三人だった。「シエイエスを除いた」。


「うわっ!!」

「きゃああああ!!」

「ぐっ……!」


 三人の身体には10本のうちのいずれかの矢が刺さった。ムウルは脚、キャティシアは腕、レエテは右肩に。

 傷はさほど深くはない。命を狙った狙撃ではないようだ。

 しかし――彼女らにはすぐに身体の異常が現れた。

 大地が左右に振られるような、強烈な目眩。そして吐き気。手足の力が抜け、立っていることすらできない。――即効性の麻痺毒が矢尻に大量に塗られていたのだ。

 レエテら三人は、為す術なく地に膝をついた。


 そこへシエイエスが近づき、漆黒の鞭を取り出し右手に構える。


「レエテ……本当にすまない……許してくれ……!」


 云うが早いか、その鞭が風切音を発し――。

 レエテの両腕の上から、何重にも巻き付き、その上半身の自由を奪う。

 鞭に仕込まれた微細な刃が肉を裂き、血をしたたらせる。


「ぐああっ……そんな……何を……何をするの? シエイエス……。

ねえ、答えて!? どういうことなの? 教えてよお!!」


 事態を理解できない疑念と、密かに想いを募らせていた相手からのあまりに非道なる仕打ちに、これまでにない悲痛な貌を見せるレエテ。


 シエイエスは――何も答えなかった。

 先程と同じく鬼のような凄絶な表情のまま、その場に立ち尽くし言葉もなく、ただ両の拳を握りしめるのみだ。


 そこへ――。

 徐々に近づく、金属の鎧と武具がかきならす金属の不協和音。

 そして地に伝わる振動。馬のいななく声。馬車の車輪がきしむ音。

 先程レエテらを狙撃した弓兵が樹上から地に降り立ち、それに遅れて数百の足軽、騎兵からなる軍勢が、こちらに近づいてきていたのだ。

 その鎧、旗頭の紋章には、レエテは見覚えがあった。約一ヶ月前、敵として目にした、それ。

 

 やがて、その軍勢に護られた一頭の馬車が、「大鮫の顎」に停止した。

 その扉が開き、姿を現したのは――。一人の貴族風の男、だった。


 背丈は180cmほど。60kgに満たないであろう痩身を、青を基調とした軍装、首にはスカーフを巻き、肩から同じく青のコートを羽織っている。

 腰には120cmほどのレイピアを鞘に収める。

 額から長めに分けて首までで刈った洒落た髪型の、鮮やかな金髪。

 そして最もこの男を象徴する――。異常に口角の上がった柔和、よりは厭らしさを含む笑みと、ほとんど閉じられているかのように薄く開く両眼。


 この男を見たレエテの。目が見開かれた。

 約3ヶ月前の強烈な記憶が、まざまざと蘇ってくるのを感じていた。

 男は、やや興奮を抑えきれぬといった様子で、元々高めのトーンの声をさらに少々上ずらせて云った。


「……レエテ・サタナエル……。

まことに、久しいことであるな。余を、覚えていてくれておるであろうな?

お主にとっては、此度の戦いの始まりといえる場所――。ダリム公国コロシアムにおいて、一人の英雄、一頭のドラゴンを屠りし後、サタナエルに対する大いなる宣戦布告に見事に利用した相手――。

エストガレス王国ファルブルク公爵――ダレン=ジョスパンである」


 レエテは――忘れようはずもなかった。

 彼女があのダリム公国コロシアムの騒動を実行に移す動機となったのは、この男――ダレン=ジョスパン・ファルブルク・エストガレスが主賓として招かれることを事前の情報で掴んでいたからだ。

 観客も、主催者もぐうの音も出ない実力と結果を突きつける。高名な武人であり智に優れた策略家であり、変人としても知られるこの男を挑発すれば、必ず自分に興味を持ち、駆け引きに利用できると踏んだ。そしてそれが的中した――。この男の云うとおり、始まりを作った立役者である相手を、忘れることなどない。


「この刻を、どれほど待ったことか――。

あの出会い以来、余はお主を手に入れるため――あらゆる策を練り、手を打ち、自らもこうして遠路遥々足を運ぶに至ったのだ。

ご苦労であったな……。エストガレス王国諜報部所属、シエイエス・フォルズ少佐。

ドゥーマでのレエテ・サタナエル捕捉以来、魔導生物を使者に、欠かさずその足取りの情報を余に報告し――。このドミナトス=レガーリアにおいては余からの司令に対して忠実に誘導を施し、こうして策略どおりの場所に導き捕らえてくれた。

ラ=ファイエットの強い勧めもあり、お主に此度の任務を託せたことはまことに僥倖というほかない。

今後は、望むままの昇進と、いかなる報奨も約束するであろう」


 シエイエスを見やりながらの、ダレン=ジョスパンの口をつくこの事実を聞き――。

 レエテの両目が見開かれ――大粒の涙がとめどなく流れ落ちた。

 肩は大きく上下し、全身が震える。呼吸が浅く、息苦しい。

 貌をゆっくり、何度も何度も横に振り――。張り裂けそうな悲痛な声で、彼女はシエイエスに向けて語りかけ、叫んだ。


「シエイエス……お願い……嘘だと……嘘だと、云って……。悪い、冗談なんでしょう……?

私達を……私を、騙していたの……? 出会ってから、今まで、ずっと……?

仲間になって……その知恵で何度も何度も私達を助けてくれたことも……。ナユタの命を救ってくれたことも……。

あなたの、とても悲しい過去も、サタナエルへの復讐の気持ちも……。

私を心配して、あんなに親身に一生懸命になってくれたことも……全部、全部任務のための芝居で……嘘だったの……?

ねえ……黙っていないで、何とか云って!! 答えて、シエイエス!! シエイエス――!!!」

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