第十六話 次第に募る、ある想い

 一行が辿り着いたのは、幅4mほどの清流の側にある、開けた芝生の地だった。

 周囲にほどよく樹々が点在し、設営にも適し、清流から水も得られて身体も洗える、ごく野営に向いた場所だ。


 シエイエスとムウルはさっそく設営に乗り出し、キャティシアは狩猟に出かけ、レエテは汚れきった身体と衣服を洗うべく川の下流に向かった。


 やがて陽も沈んだ頃、一行は全員が揃っていた。

 焚き火を囲み、夕餉(ゆうげ)の最中だ。


 今日は、このあたりで豊富に生息する鹿のローストと、この国の密林の水域でしか捕れないパーチという巨大魚の煮付けだ。

 パーチに関しては、知識豊富なムウルが調理を担当した。何でも、この魚はドーラ・ホルス配下の水神ルーマヌス・エルが、人間たちの食料として生み出し川に流したものだという。ドミナトス・レガーリア中の川や湖沼に豊富に生息しているのは、水そのものに宿る精霊ウンディーネ達が大切に育てているからなのだとも。したがって、この魚を調理する際は、聖句を唱え祈りを捧げて神と精霊に感謝を捧げる。

 通常巨大になればなるほど川魚は不味いものだが、清流の恵みかパーチの肉は泥臭さが全くない上、淡白な中にも独特の旨味がある。これが岩塩と、マダルという密林の樹の実で精製したスパイスの刺激や香りと程よくあった煮付けには、異郷の三名も絶賛するしかなかった。



 やがて、食事も終わり焚き火の周囲で休む一行は、自然の流れか子供と大人の組に別れて歓談する様相になっていた。


 敷物の上に並んで座る、キャティシアとムウル。

 ムウルは煮たマダルの実をかじりながら、キャティシアに昼間のレエテのヒュドラ退治について興奮気味に話していた。


「おれ、本当に感動したよ!! 伝説でヒュドラは本当に恐ろしいやつで――ガルゴ山で待っているときも、おれずっと震えてて小便ちびりそうだったんだ。なのにレエテ姉ちゃんはそいつを武器ももたずに自分の腕で殺し、涼しい貌でヒュドラの尻尾を持って出てきた。

太陽の下に血まみれでシュッと立ってる様子がカッコよくてカッコよくて……。身体を真っ二つにされても死なない不死身だし、おれ……本当にレエテ姉ちゃんは人間じゃなくて神様じゃあないかと思い始めてるんだ!」


 キャティシアは彼の様子を面白そうに眺めながら、相槌をうった。

 ここにはいないが本来の一行で最年少で、13歳のムウルより一歳上なだけのルーミスは、大人同然に理知的で落ち着いた人物ゆえ、16歳ながらキャティシアが一番年下のようなものだった。

 が、目の前の純朴な少年が相手となると、さすがに年上の、姉のような態度となる。


「ふふふ、そうねえ。正直、そんなふうに感じるときもあるわ。レエテさんは不死身なだけじゃあなく強くて勇ましくて、それでいてとても優しくて思いやりがあって……私もすっごく尊敬している。

“血の戦女神”って世間で呼ばれてるみたいだけど、本当に女神さまみたいよね。

そういえば、さっきあなたが云ってた、女神マルゼ・ファロンっていうのは、シュメール・マーナの神様よね。どんな神様なの?」


「ああ、マルゼ・ファロンは、主神ドーラ・ホルスの妹なんだ。神様の中でいちばんの美人なんだけど、戦いの神で、兜をかぶり鎧をきて、アレクトっていう光の長剣をもって戦う。

暗黒神テオドル・ゴランの勢力との戦いでも、ドーラ・ホルスの次にたくさんの闇の神や魔物たちをたおしたり封印したっていわれてる」


「まあ、そうなのね。それは確かに、レエテさんにぴったりのイメージよね」


「そういえば……これから行こうとしてる『不死鳥の尾』って場所……そこにちょうどマルゼ・ファロンのマナグラム、つまり祠があるんだ」


「そうなの? それは偶然ね」


「ちなみにマルゼ・ファロンはね、ドミナトス=レガーリアの反乱軍のシンボルなんだ。

ドーラ・ホルスのマナグラムや宝物は、全て奪われてバレンティンに移っちまったから、ドーラ・ホルスは囚われの身っていっていい。

これを解放するシンボルとして、いちばんふさわしいのが妹で二番目に強い神様っていわれてるマルゼ・ファロンだから、ていうのが理由だって聞いたなあ」


 キャティシアはこれを聞いて若干不機嫌な貌で押し黙った。この話が事実ならば、『不死鳥の尾』を自らの根城にすると思しき“義賊”ホルストースはドミナトス=レガーリア反乱軍の重要な人物ということになり、味方である可能性が高まる。

 尊敬するレエテの裸を卑怯にも盗み見たホルストースは、いまだキャティシアにとって許しがたい人物であり、面白い気分ではなかったからだ。



 二人の会話を、焚き火の反対側で岩に腰掛けながら聞いていた、レエテとシエイエスの二人。

 どちらも、小樽から杯に注いだ赤ワインを手にしている。国境で新たに仕入れていた、名所エストガレス中原リンニイス地方醸造の、中の上クラスの品だ。

 シエイエスが、鬱状態に陥ってしまったレエテを少しでも元気付けようと、買い付けた品。一行の組分け後、たまたま酒を飲むメンバーがこちらにしかいないこともあり、彼が背負って運んできていた。

  

「ああ云っているが、どうだ、レエテ? 改めて女神様と呼ばれる気分は」


 シエイエスは傍らのレエテを見やった。彼女はかなりの量を飲み、程よく酔いが回っているようだ。

 ハルメニア大陸において、成人は一般に17歳。多くの者はこの年齢で酒を飲み始める。

 レエテは外界に出て21という年齢で初めて口にした赤ワインの味と、アルコールのもたらす快楽にすっかり魅入られてしまい、その後周囲から勧められるととても喜んだ。

 ただまだ自制がきかず、とくに今もそうだが、同じタイミングで好物になったチーズを肴に飲むととてもペースが早い。

 シエイエスが見て相当な酒豪にあたるレエテでも、これだけ水のように飲んではすぐに酔っ払う。気分良く酔いつぶれて眠ってしまうのが常だったが、これが彼女をリラックスさせストレスを取り除いているのを見て取り、敢えて止めることはなかった。

 

「うふふふ……気持ちは嬉しいけれど、私そんな大層なものじゃない……普通の人のように怒るし、苛立つし、間違ったことを沢山する……。ただの人間でしかない……」


 両の目をトロンと潤ませ、赤い貌で答えるレエテ。


「そうかもしれないな。そうやってワインを飲む手を止められず、いつも酔いつぶれてしまうような只の飲兵衛だしな」


 微笑みながら自分もワインをあおり、皮肉るシエイエス。


「まあ、ひどいことを云うわね、シエイエス…………うふふ。

だけれど、女神マルゼ・ファロンの話は……興味深いわ」


 レエテの言葉に、シエイエスは同意した。


「ああ、『不死鳥の尾』の場所にある祠で祀られている女神が、ドミナトス=レガーリアの反乱軍のシンボルだという事実。ホルストースという男の話の信憑性も、その情報の重要度も増したということだな」


 しかし――レエテの真意はそこにはなかったようだ。彼女の表情は曇っていた。


「そうね……そのことも……あるけれど、暗黒神の勢力を駆逐した、英雄……だという話。

私……『本拠』のあの忌まわしい虐殺と脱出のあと……、復讐のことだけを考えて放浪し――。

方方で得た情報をもとにダリム公国コロシアムでの騒動を思いつき……、実行した」


 レエテが口にした内容の重さとともに、シエイエスの表情が変わり、彼女の言葉にじっと耳を傾ける姿勢となった。


「あの騒動で……劇的に状況が変わってから今まで――私は多くの闘いを生き抜き、多くのサタナエルの外道たちを……斃し殺してきた。きっと、それはこの先もずっと……。

復讐の心だけは……変わっていないけれど、その間私の心のどこか片隅では……自分のことをその女神マルゼ・ファロンのような……、悪に立ち向かう英雄になぞらえて……自惚れた気持ちがあったように……感じるの」


「……」


「けれど、この前変わり果てたビューネイと再会してから色々思った中で……感じたの。

英雄なんて笑わせる……、自分はたまたま復讐相手が悪であっただけの……たまたま生まれ合わせでそうなっただけの、殺人者なんだってことを」


 シエイエスは気色ばんで、杯を放り、レエテの両肩を掴んだ。


「何てことを云うんだ……。

レエテ、断じてそんなことはない。お前がそんな罪深い悪であるはずがない。俺たち仲間がこうしてお前を慕っているのが何よりの証拠だろう? 

まだ自責の想いを引きずっているのか? 今までも云ってきただろう。家族にふりかかった災いは、お前のせいなどでは――」


「……ちがうの、シエイエス。確かにその自責おもいは消えたわけではないけれど……気持ちの整理はある程度……ついてる。

私が云うのは……絶対的に私自身が善で、やつらサタナエルが悪というわけではない、それはたまたまだ……っていうこと」

 

「……それは……」


「もしサタナエルが……今とは逆に、一族の男子を虐げ、女子を尊ぶ組織だったら……?

私はきっと……何不自由ない恵まれた環境の中で……鍛錬し高い水準の教育を受け――『本拠』内で原始の生活を強いられる男子を蔑み虐げ――そして……その中のコミュニティを作る家族の一つを――壊し皆殺しにしようとしていたかもしれない……」


「……レエテ、よせ……」


「たまたま……不幸な環境に生まれついた方が正義になるだけだったら……単に人を殺すという行為にそんなに違いはない。私がやっていることが只の人殺しでないとどうして……」


「レエテ!」


 自分の両肩を揺さぶり、強い調子で叱責するシエイエスの声で、レエテは我に返った。


「……シエイエス……」


「もうやめろ。

お前のその考えは一つの仮説を前提にして一見筋が通り、正しいように見える。

だが――間違っている。断じてそのようなことは、無い」


「……」


「人の始まりは、この世に生を受けた時だ。

その後は生まれ持った心と力、そして否応無しに用意された周囲の環境とをもって、生まれ落ちてからたどる人生。これらで形成されたものがその人間の、すべてだ。

『もし』『たら』『れば』――。そんな風に始まり以前を仮定の話で解釈することが許されるなら、どこまででも自分を極悪人にできる。

俺だって、ハドリアン大司教あたりの血をひいた極悪人になれるな」


 口元に微笑を浮かべ、目元を緩ませてシエイエスは続ける。


「お前は――今のお前が全てだ。

もう迷うんじゃない。サタナエルは絶対的な悪であり、奴らがお前にした仕打ちはどのような倫理観に照らしても決して許されるものじゃない。そしてお前自身は気高く、強い意志をもち、誰にもできないことを成し遂げて来――それでいて人を思いやる誰より優しい心をもっている素晴らしい女性だ。

俺達は、俺はそんなお前を命がけで助けたいと思い、大切に思っている。それがお前が正しいことの証明だ」

 

「……シエイエス……ありがとう」


 レエテは安心感から、うつむき涙ぐんだ。気持ちは、整理がついた。

 シエイエスは、自分のわだかまりやモヤモヤをぶつけても、いつも豊富な知識・経験から何らかの答えをくれるし、またしっかりと聞いて気持ちを解消してくれる。

 そしてこれだけ自分を案じ、理解してくれることがたまらなく嬉しかった。もちろん、皆が同じように自分を案じ理解してくれていることは分かっている。例えば一番大切な親友であるナユタが同じように話を聞き、同じことを云ってくれても、当然嬉しかっただろう。


 しかし――。

 シエイエスについては、明らかにレエテの中で何かが違っていた。

 彼の一つ一つの言葉を、聞いていたい。自分の言葉も聞いてほしい。お互い分かり合いたい。

 一緒にいると心が踊り暖かくなり、いつも側に居たいし、居てほしい。

 日頃ふとした瞬間に、気がつくとシエイエスのことを考えている。

 ゆっくり彼と語り合える晩酌の時間が、いつのまにか一番楽しみな時間になっている。

 自分でもうまく表現できないが、大切な存在と感じ、それは日に日に大きさを増していっているのだった……。

 

「分かってくれて、良かった。

だがお前がそんな風に自分を客観的に見られるのも、決して悪いことじゃない。

きっと、この闘いが全て終わり、お前が何かをしなければと考えたときに大きな役に立つと……」


 シエイエスが語り終えるのを待たず――。

 レエテの頭はシエイエスの肩にもたれかかり、そのままずるずると彼の太腿まで落ちた。その鼻からは安らかな寝息が聞こえている。

 身体はぽかぽかと熱い。完全に眠ってしまったようだ。


「しっかり酔っていたじゃないか。仕方ないな……」


 シエイエスはそう云って近くのベッドロールに彼女の身体を横たえるため、両脇に手を入れようとするが――。

 今日はレエテが自分の方を向いて膝に寝たため、その美しい寝顔と豊かな胸がとてもよく見える。

 シエイエスは一度だけゴクリ、と生唾を飲む。

 自分の中で首をもたげた邪な欲望を振り払うように、一度ギュッと両目を閉じ、精神を集中する。


「“解毒デキシケイション”」


 その変異魔導により、血液中を流れる異物――現在の場合はアルコール――が瞬時に分解され、多少回っていた酔いが一気に醒めた。

 落ち着きを取り戻したシエイエスは、そっとベッドロールに彼女を横たえて毛布を身体にかけ――。自らは見張りのために密林の方へと歩いていったのだった。

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