第五話 剣鬼

 コルヌー大森林の、大木茂るおよそ中央部にて、闘いの幕は切って落とされようとしていた――。


 鳥達がいっせいにざわめき、我先にと羽ばたく。その場の全ての生物が本能で、巻き込まれれば命を失うであろう災厄が今まさにこの場所で起きるであろうことを知ったのだ。


 先ほど突き飛ばされ、レエテから5mほど離れた距離にいたナユタは、彼女の貌を見た。

 その表情の緊張感はピークに達し、額からは脂汗が流れているのが見て取れた。

 それは明らかに、2人の刺客が発した「副将」という言葉を耳にしてから、と見えた。


 と、次の瞬間!

 ジオットの姿がブンッと振れ、爆発的な速度で前方へ踏み出した!


 キィィィィィン!! 鋭く重い金属音。

 ジオットの剣先が、――いつの間にか結晶化していた両の手を合わせた面で防御したものの――レエテの体を捉えた。

 大型弩弓のごとき威力の突きは、レエテの体を軽く後方へ吹っ飛ばす!


「レーヴァテイン! 俺は『一族』を殺る! お前は女魔導士の方を殺れ!」


 ジオットの鋭い指令が飛ぶ。レーヴァテインは、この上なく不満そうに口を尖らせた。


「えー? あたしだって、折角『一族』とヤレるってゆう機会、楽しみだったんだけどー。

まーしょーがない、仕事だしね。年増な上どうみても役者不足の雑魚だからー、サクッと終わらせれば済むことだしっっ」

 

 無邪気な口調で云いたい放題に愚弄して来る、この暗殺者の少女を上目使いに睨みながら、ナユタが返す。


「云ってくれるじゃない、この小娘。

サタナエルの“短剣ダガー”だか何だか知らないけど、戦闘において知識と経験の差、てものはあんたが思ってるより重いもんよ。

――そのことよーく教育してやるから、さっさとかかってきな」


 云う間にも、彼女の周囲に紅い炎のリングが形成されていく。



「ハッッ――!!」


 気合とともに、今度は横なぎに放たれるジオットの強力な長剣の一閃を、後方宙返りでレエテはかわす。


「どうした、レエテ・サタナエル! 戸惑うか? 

貴様、『本拠』を離れ、闘いを離れ、何ヶ月だ?

残念だが、時が経てば、体が忘れる。このスピード、このパワー、このリズムを!」


 着地するやいなや、間隙なく繰り出される再度の突き!

 

 同時に鮮やかな血が噴き上がる。結晶化した左手で攻撃を受けきれず、そこから滑り抜かれた剣先で左肩を大きく切り裂かれたのだ。

 その表情を、傷を負った苦痛というよりは、寸分さえもの余裕のなさと、敗北の可能性を意識した苦悶にゆがめるレエテ。


 目の前の剣士の攻撃の全てが、常人、いや世で言う達人の域をもはるかに超越していた。スピードはレエテも及ばぬ鋭さ、そして何よりもその紙一枚の誤差もない、正確無比に冴えわたる剣技。


 今はかろうじて急所を免れたが、ほんの一瞬でも意識を逸らせば首が胴から離れるか、心臓を正確に貫通される。そう、相手は知っているのだ。

 レエテの人間離れした生命力・自己回復力と同時に、どのようにすれば殺し尽くすことができるか、という方法についてを。

 久しく目の前に現れなかった、自分を殺しうる相手、の存在にレエテは戦慄していた。


「そうだね……、確かに鈍っている。それなのにこれだけ早く、副将がじきじきにお出ましとは」


「フン、それに関してはサタナエルの実情に関する、貴様の無知ゆえだろうな。致し方あるまいが。

各主要都市には、我らの何らかのギルドの副将クラス以上が一人は常駐しているのだ。

ダリム公国デルエムには俺がいて、昨日貴様がコロシアムで起こした騒動を見聞きした配下の情報から、方々に追手を差し向けていた。

そして『一族』相手では俺も出ざるを得ん、ということだ。

このトム・ジオットが最初の遭遇者という点は、貴様の運の尽き、とはいえようがな」


「……」


「しかし、『サタナエルをこの世から消し去る』、だと? 

正気の沙汰とは思えん。『一族』の一人とはいえど、組織の者全てを本気で相手取るつもりか?」


「本気だよ……。副将に遭ったのも、逆に考えれば好機。お前を倒せば、『あの化け物』だって引きずり出せるかもしれない!!」


 叫ぶと同時に、レエテが動いた。

 瞬時に地を這うような低い姿勢をとったかと思うと、そのまま弾丸のようにジオットに向けて飛び出す。

 その直前で急停止し、下半身から切り裂こうと、右手を振り上げる!


「それが、狂気の沙汰だ、と云うのだ!」


 大地からせり上げる強力無比な一撃を、ジオットはこともなげに長剣で防ぎ、後方へ飛び退る。


 数mの距離をとり、レエテは脳を総動員させていた。


(落ち着け……、勝機はあるはずだ。パワーでは私のほうが大きく上回っているはず。

スピードで劣る上、両手の“結晶手”しかない私はリーチで到底及ばない。動きで追いつくことは考えず、何かの方法であいつの動きを止め、ガードも突き抜ける一撃を加えるしかない)


「もう来んのか? ならばこちらから行くぞ!!」


 ジオットの構えが、変わった。腰を落としたまま上半身を大きく、後ろにのけぞらせる。長剣を地に突き刺さらんばかりにまで振りかぶり、その姿は反り返った弓のようになった。


「ハッッ――!!」


 途端――周囲数十mの範囲で、空気が裂ける、悲鳴のような轟音が響き渡った!

 ジオットの上半身がバネのように高速回転し、その身長同様2m弱の長剣のリーチと合わせ――半径5m以上の範囲を破壊――岩はバターのように切り裂かれ、大木はその幹を両断され、加えて音速を超えた切っ先が、衝撃波をさらなる広範囲に撒き散らす。


 轟音を立て、幹を断たれた大木が2本、周囲の木を巻き込みながら倒れ掛かる。


 レエテはこれを右に飛んでかわし、そこにあった大木を蹴たててジオットに向けて一直線に飛ぶ。

 

「見えているぞ!」


 叫びとともに、対空への必殺の突きで応じるジオット。


 これに対し――レエテは空中で驚くべき動作をした。

 結晶化した両の手を長剣の軌道上に距離を離して重ね合わせるような構えをとり――前に伸ばしたほうの左手の“結晶手”を解除した!

 

 そしてそのまま、左手を自ら長剣に――貫通させたのだ。


「ぐぅぅぅぅぅっっ……!」


 痛みに貌を引きゆがめつつも、そのままずぶずぶと左手を長剣に貫通させ続ける。

 柄に近づくにつれ徐々に剣幅を増す長剣が、レエテの手のみならず手首も切り裂き、動脈を両断し大量の鮮血を噴き上げる。


 そしてまだ結晶化している右手で、剣先を受け止めようとしたその時。


「甘い!」


 ジオットが一瞬の力をこめ、長剣を振り下ろす。

 

 途端、レエテの左腕が肘まで両断された。

 飛び退ったレエテ。その左手は、腕が肘まで真っ二つにされ、2本に分かれてぶらさがった。


「左手を自ら長剣に突き刺し右“結晶手”で剣先を防ぎ、左腕の筋力で剣と俺の動きを止める。上がる鮮血で視界を遮りつつ、蹴り足で俺の頭部を撃ちぬく――。

なるほど、悪くない手だ。しかし――、力は線ではない、点だ。貴様がいくら筋力で上回ろうと、力点を突いた俺の振りを力ずくで止めることなどできん」


 完全に裂けた左腕と左肩から、またもや滝のような出血。

 不死身にすら見える生命力ではあるが――、さすがに短時間での度重なる多量出血によるダメージか、レエテの貌から、唇から見る見る血の気が引いていく。

 

 絶体絶命の窮地に、レエテの双眸が絶望に濁った。

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