第四話 真の強者たち

 コルヌー大森林は――ディべト山の裾野に広がる広大な広葉樹林である。


 西部の肥沃な大地の養分を存分に吸収した大樹が果てしなく茂り、緑の豊かな風景の中、何十条もの朝の木漏れ陽が天より差し込む。


 鳥達のさえずりが響きわたり、鹿などの草食動物が多く闊歩する。

 この大陸を覆いつくす人間達の、戦乱を始めとした災厄とは次元を異にする、平和そのものの世界。


 ここへ足を踏み入れるにはあまりにも異質というしかない異邦人、「血の戦女神」レエテ・サタナエル、女魔道士ナユタ・フェレーイン、その下僕の魔導リス・ランスロットは、地底湖を抜けたところで夕刻となったこのコルヌー大森林で一夜を明かした。

 

 その存在を知らせることとなる火も使えなかったため、空腹を抱えてはいるものの、一夜の間外敵に襲われることも気配を感じることもなく、交代で休息は十分に取れた。


 そしてそのまま――連れ立って南へ針路をとり、歩みを進めているところだった。


「どうして、あれだけ云ったのについてくるんだい?」


 レエテが、首を振ってナユタに云う。


「どうしてもこうしてもないさ。

デルエムのコロシアムを出た瞬間からあたしの志はたった一つ、あんたにどこまでもついて行くことだけよ。あんたが南沿岸の『法王庁』に向かうつもりならば、あたし達の行き先も即ちそこ以外にないのさ」

 

「今すぐにでも、あなたの故郷であるノスティラス皇国を目指して真反対である北に向かって歩き出し、私から離れてほしいのだけれど」


「謹んで、お断りさせてもらうよ。

第一、昨日あんたに滝つぼに落とされたおかげで、巾着も、中に入った路銀も、何とか売り物になりそうだったアクセサリーもダガーも、全部湖の藻屑になっちまった。ここであたしらだけ残して何とかしろって言われてもねえ」


「何とだってできるだろう。ここはもうダリム公国の治外地。私から離れさえすれば、あなたは自由の身だし、火を使うのをためらう必要はない。

狩りでもなんでもすれば、食料問題も金銭問題も全部解決じゃないか」


「あのねえ……、か弱い乙女に向かってよく云うね。

ここから人里まで何kmあると思ってんの? あんたの馬鹿力じゃないんだから、鹿だの猪だのを抱えて歩けるわけないだろ? 

とにかく何を云ったところでムダよ。あんたから離れるつもりはこれっぽっちも、『ない』から」


 ここでいったんレエテは黙った。

 ――云い負けたわけではない。そもそも、いまさらナユタを引き離したところで、もう手遅れであった。


 地底湖を脱出して日没を迎えてしまった時点で手遅れ――いや、その原因となった、ダリム公国でのナユタの乱入劇の時点ですでに手遅れだったといえる。

 ここでナユタはレエテとともにレナウス瀑布に墜ちる羽目になり、その様子は多数のならず者たちに目撃されているのだ。


 もはや――「あいつら」にとって、ナユタは放っておいて良い存在ではなくなっている。

 協力者とはいえないまでも、少なくともレエテの行き先を知っている可能性が高いこと、さらに一緒にいる間にどんな情報をレエテから得たか知れないこと。

 これらの理由から、レエテから離れ単独になったとしても「あいつら」に囚われ――苛烈な拷問・陵辱を受けての凄惨な死の運命が待つことだろう。

 脱出以来考えた末の答えだった。


 先ほどの警告は――地底湖でナユタが見せた、世界最強の魔道士などという野心の向こうにある、何かは分からないがおそらく深い哀しみと、怒りを伴った真の理由の存在をみたゆえのものだった。

 やはり巻き込みたくない、という思いが口をついて出たのだ。


「それにしても、ほんとに心和む場所だねえ。僕にとって故郷のようなものだからだろうけど。あの、ちょうど良い大木に登って、これでもかと木の実を頬ばったりなんかしたら、どんなに幸せだろうねえ……」


ランスロットが、うっとりと目を閉じながら云う。


「それは……リスにしか分からない感覚だけれど……、心が和む、てのには概ね同意だね。いままでの状況があんまりに血生臭すぎたので、てのもあるかもしれないけど。空気もおいしいし歩いてて気持ちが良いよねえ」


 ナユタも、伸びをしながら深呼吸して、木漏れ陽を仰ぎみたあと、前方にいるレエテに視線を戻した。すると。


「レエテ? いったいどうしたのさ?」


 レエテは、5mほど前方でぴたりと歩みを止めていた。


 その表情は――さきほどとは別人のように蒼ざめ、緊迫していた。

 コロシアムで敵と相対したときでも、ここまでの表情は見せていない。

 腰を落とし、すっと右手を出してナユタを制止する。


「静かに……。私の直ぐ傍まで来るんだ。そして、背中合わせに私の後ろを警戒してくれないか」

 

 声を落としつつも鋭い声を発するレエテに、ナユタは、何が起きつつあるかをすぐに、理解した。


「居る……のかい? あんたの云う、『あいつら』、が」


 同じく小声でレエテと背中合わせに腰を落とし、魔導発動の備えをするナユタ。

 肩のランスロットも、目を丸くしながらも、周囲に厚い酸素の層をつくりはじめる。


 ナユタがさらに言葉を次ごうとした、その刹那!


「危ない!!!」

  

 レエテは叫び、後ろ手にナユタを突き飛ばす――

 と同時に、ナユタの首があったまさにその位置を、巨大な回転する金属の塊が水平に薙いだ!


 ヒュルルルルル…….と空気を切る音を立てながら、大木のはるか上の枝に向かって、その金属塊は回転しつつ飛行していく。


 と――それを見送る間なく、レエテは前方に巨大な殺気を感じ、大きく後方に跳び退った。

 そこを――真上から恐ろしく長い剣が、振り下ろされた!

 空を切った長剣は、大地に達すると、そのままスパッ――という音を立て、岩盤を切り裂いた。


 直撃すれば即死必至の連撃をかろうじてかわしたレエテとナユタの前に、2人の人物が姿を出現させていた。


 ひとりは――巨木のはるか上の枝に立ち、これ以上ない無邪気な笑顔で、彼女らを見下ろしていた。


 高速で回転する金属の円盤のように見えたのは、この――「少女」が,身に着けた刃物の塊のような鎧ごと体を丸め、回転し切り刻もうとしていたものだった。


 年の頃は16,7歳か――ブロンドの長いストレートヘアーを真中で分け、長く濃い睫と蒼い瞳の可愛らしい顔立ち、八重歯を少し出したいたずらっぽい表情。

 禍々しく凶器の塊のようなその白銀の重装鎧をのぞけば、突然自分達の命を奪おうと襲い掛かった刺客には、とうてい見えない無邪気な容姿、だった。


「きゃはははははは!!! やぁるじゃないー! あたしたちの気配をあの距離から感じ取り、連れと自分の命をみごと守れるなんてね。

結構、今の攻撃、自信あったんだけどねー? さぁすがは『一族』のはしくれ、てところかなー? ねえー? ジオット副将ー?」 


 名を呼ばれたその相手は、レエテを一刀両断しようとしたその長剣を中段に戻し、構えなおしていた。


 剣士として理想的な、肉体といえた。身長は185cmほどで一切のムダのない引き締まった肉体、身長に比してリーチはかなり長い。足も長く、すり足に移行できる構えをとると、寸分の隙も見出せない。


 かなり老けては見えるが年齢は30代前半、といったところだろうか? 隈の目立つ垂れ下がった目と眉に大きな鼻、分厚く不恰好な唇の周りを覆う濃い口髭、伸び放題のバサバサの髪――と、風采のあがらない、有体にいえばかなり醜い男だった。


 が、その発する剣気、というより剣圧、周囲にめぐらされた刃の塊のような巨大すぎる殺気は、この男が常人の及びつかないはるか高みにいる怪物であることを物語っていた。


「やかましい、レーヴァテイン。“短剣ダガー”ギルドよりお前を借り受けたのは、その索敵能力と、森林の戦闘に特化した性能を見込んでのことだが……舐めた無駄口をたたくなら、“将鬼”のもとへ突き返すぞ」


「やー……それは勘弁してくださいよ。副将からダメ出されて帰ったら、本当にただじゃすまないんで。むしろ死んだほうがマシなぐらいなんで。すみませんー」


 少女――レーヴァテインが貌をひきつらせるのを横目に、その男――ジオットはレエテに向けて言葉を放った。


「さて、レエテ・サタナエル。我々が何者か、名乗る必要もなく理解はしているだろうが、申し伝えておこう。

俺はサタナエルの“ソード”ギルドの副将が一人、トム・ジオット。

あやつは、“短剣ダガー”所属のレーヴァテイン・エイブリエルだ。

『一族』の一員として道を踏み外した貴様に、そしてその事情を知ったそちらの魔道士の女に、地獄への引導を渡しにきた」

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