第三話 伝説の存在、そして紅き魔導士の野心
ディべト山地底湖――水深は不明だが、開口部から山の中心に向かって広がるその広大な空間は、高さおよそ20~30m、幅200m、奥行きは2kmほどになろうかという洞穴状をなしていた。
レナウス瀑布の開口部や、天井の亀裂から差し込む光のおかげでどうにか視界を確保できてはいたが、奥に向かって連れ立ち歩む2人と1匹の行く先は漆黒の闇だ。その空間に突如としてぼうっと赤い炎が現れ、足元を煌々と照らす。
「いちおう、照明があったほうがいいだろ……?」
ナユタが、魔導によって出現させた炎だった。
「あと、レエテ、あんたその格好をひとまずどうにかしなよ」
もともとコロシアムに現れた時から、身をやつす旅ゆえかぼろぼろに裂けた衣服しか身にまとっていなかったレエテ。
その後のコロシアムにおける死闘、そしてさきほどの絶大な落下時のダメージを経て、彼女の衣服はほぼ失われてしまっていた。
現在は端切れの布がわずかに体を覆う程度になり――その膨らんだ大きな乳房、下腹部までもをあられもなく晒しほぼ全裸の状態となっていたのだ。
自分も身体に自信がない方ではないが、レエテの引き締まった体つき、あまりに大きく形の良い、歩くたびにたわわに揺れる乳房には、女の身でも思わず目がいってしまう。
男が見れば、その比ではない注目と、劣情を喚起するだろう。
羞恥心というものがあるのかないのか――脱出口に向かうのは良いが、まさかこんな裸の状態で外に出ようとしていたのか……?
ナユタは、湖で洗いまだ湿った白いカーディガンを脱ぎ、腰の帯を解いてレエテに手渡した。
「とりあえず着なよ。あんたが変な趣味の持ち主でもない限り、男どもに体を見られたいとは思ってないだろ?」
「ありがとう。ひとまず借りておく」
レエテは衣服を受け取り、まずカーディガンを羽織った。
裾の角を乳房の前で結び、隠す。が、先端は隠れたもののあまりの大きさゆえ全ては隠しきれず、褐色の一部分はさらされる状態になった。
次に腰帯の先端を、かろうじて原型をとどめたベルトに結びつけて股をくぐらせ、反対側も結び付けて即席のパンツを形成した。
これも、下腹部は隠せたものの腰の脇や臀部の一部が露出する状態となった。
「まあ、それなら何とかいいだろ……。
ところで話は変わるけど、あんたの出自……『サタナエル』について詳しく聞かせてくれないか?」
直球の質問を、やにわにぶつけるナユタを、ランスロットがハッとして見やる。
レエテの表情が、たちまち曇った。
「なぜ、それを詳しく聞きたいんだい?」
「あたしは、魔導盛んなノスティラス皇国の出身でね……。小さいころから魔導を学び、頭角を現してきた。そして世界に名をはせる大導師、アリストル・クロムウェルの弟子の一人となった」
ナユタの云うその名には聞き覚えがあるのか、レエテに若干の反応があった。
それに気づいたのか気づかなかったのか分からないが、秘めたる思いを話すナユタの声が、熱をおびた。
「導師は5年前、さる理由によりこの世を去ったけど、あたしは世界へ魔導を普及させるというその遺志を継いだ。それもあるけど……あたしはこの魔導という技術を愛し、その力で世界の頂点に立つという野心を抱いてる。
力をつけ、魔導の研鑽はもちろん、倒すべき他流、武器闘法や法力のことも知る必要がある。手っ取り早くいえば、強敵との実戦を重ねる必要がある。
そしてサタナエルが、その近道と踏んだ。だから聞きたいのよ」
レエテの表情は、曇ったまま、彼女は無言を貫いていた。
「あたしの知っている範囲を話そうか? 『サタナエル』とは、世界のおもに王侯貴族・軍人たちのあいだで何百年にもわたって語り継がれる、伝説上の暗殺者集団だ」
ナユタが両手を後ろ組みしながらレエテの前に廻りこみ、その貌を覗き込むようにして続ける。
「世界の誰にも知られていない秘境に本拠を持ち、ごく一部に限られる王や皇帝などの元首などからの依頼をうけ、暗殺者を派遣する。
市井にまぎれる暗殺者達はいずれも通常の人間をはるかにしのぐ力、技術をもつ。依頼の遂行はもちろん世界に混乱をもたらすと判断される危険因子も自ら排除し――世界のパワーバランスを維持する。
そしてそれら暗殺者を束ねる、彼らをも超越した存在、悪魔の化身――それが『サタナエル一族』だ」
レエテが鋭い目つきでナユタを牽制する。
「世間でもただのよくあるお伽話の扱いだったし、あたしは根っからそんなもの実在すると思ってなかったけど――。
その名を名乗り、しかも伝説を裏付けるかのような恐るべき身体能力、自己回復能力――人智をこえた力をもつ存在が目の前にいる。信じるしかない」
ナユタの両眼が爛々と輝く。
「この程度の知識しかないあたしでも、あんたがああやって門外不出だったサタナエルの力を公共の場で世に曝け出し、名乗ったうえで自分の存在を誇示すれば、サタナエルはそれを抹殺しようと躍起になって暗殺者を仕向けてくるだろうことは想像できる。
さらにサタナエルと通じているであろう世界の国々からの刺客、もね。
だからこそあたしは、その中に身を投じるべく、この先あんたについていくことにしたのさ」
「そこまで分かっているなら話は早いね。悪いことはいわない、私についてくるなんてバカなことはやめて、別の魔導の研鑽の道を探してほしい」
冷たい口調で、はっきりと言葉を継ぐように、レエテは云った。
「これは私の問題なんだ。
あなたは自分でも云ったとおり、お伽話の範囲でしか『あいつら』のことを知らない。申し訳ないけれどこれから先私の周りで起こること、往こうとしてる道は、そんな遊びや空想の世界をはるかに超えた、地獄の道だ」
遊び、と一蹴され侮辱をうけた形のナユタだが、レエテのこの反応は予想できていた。彼女は黙ってレエテの言を聞いていた。
「他人を誰一人巻き込むわけにはいかない。さっきはあなたを助けたけれど、それは一時的なことだ。
ここを脱出して外に出たら、それ以降私についてこないでほしい」
「そういうとは思ってたけどね……。あたしがハイ、そうですねと黙って聞くタマだと思われてるとしたら、ずいぶん舐められたものね。
悪いけどあんたもまだ、あたしのことはほんの表面しか知らないだろ? 引けない事情てものがあるんだ。あんたの足にかじりついてでも、ついて行かせて貰うよ」
2人の女はぴたりと足を止め、暫しにらみ合った。
ナユタの、チュニック一枚になって不安定な肩に止まるランスロットは、目を白黒させて視線をさまよわせた。
やがて、目を閉じて大きくため息をつき、レエテが再び歩き出した。
ナユタもそれに続いて歩き始める。
(ついてくる、ことは認めたわけじゃないけど……、あたしの知るサタナエルの情報と、今回あいつが目論んでることの仮説が一応事実だってことは暗に認めたね。いいさ、大きな収穫だよ)
ナユタはひとりごち、笑いを浮かべた。
やがて、前方に白い太陽の光が一条、差し込んでいるのが見えた。
どうやら、レエテが案内する脱出口が近づいたようだ。
しばらくその方向へ歩くと、光は地上から2メートルほどの高さに渡ってできた亀裂から漏れ入っていた。亀裂は、大柄な男性では難しいが――女性なら難なく通れるほどの大きさと見えた。
そこを通り抜けようと、全員がさらに亀裂に近づいていったそのとき。
「はっ……? き、ゃっ……!!」
なにやら素っ頓狂な金きり声の悲鳴が響きわたった。
「え……!? 何、何なの?」
ナユタが目と口を開けて、その声の主を凝視した。
およそこの場では誰もあげるはずのない、可憐な少女があげるような甲高い悲鳴をあげ身を翻して脱出口から飛び退ったのは――何とレエテであった。
力が抜けたように地面にへたりこみ、体は震え、その貌はおよそ彼女からは想像できない恐怖に蒼ざめた表情に変化していた。
「レエテ……? まさか、とは思うけど、あいつが怖い、ていうか嫌いなのかい?」
驚愕して脱出口を指で指し示す。
そこには、長さ1mほどの白い体色をした、一匹のヘビがのたくりながらこちらを見やり舌を出していた。
ナユタの言葉にも答える余裕は一切なく、へたりこみながらじりじりと後ろにあとずさるレエテの姿が、それが事実だと雄弁に物語っていた。
やがて、白いヘビは彼女に目をつけたのか、するりと地面におりたかと思うと次にしゅるる……とレエテの方向へ移動してくる。
「やだ! ……こないで、こないで!!」
少女のようにうろたえ、目を潤ませ叫ぶレエテ。
ヘビはその懇願をききいれたのか――彼女の直前でするりと向きを変え、地底湖の奥に消えていった。
「あっはっはっはっはっは!!! こりゃあ面白いや! 人間ばなれした怪物と思ってたけど、すいぶん可愛いとこあるじゃないか! ヘビが怖いだなんてね。戦女神も形無しだ。さしずめあいつがコロシアム最強の蛇神様、てところかね、あははは!」
腹をかかえて笑うナユタの肩で、ランスロットも笑い涙を流していた。
「ははは、ホントだよ! 君にビビッて生きた心地がしなかったさっきの時間を返してほしいよ。だいぶ君に親近感わいたよ!」
レエテは、まだ両手をつき腰のぬけた状態で地面に体を横たえながら、褐色の肌でもはっきりわかるほど顔全体を耳たぶまで赤く染めた。
そして笑い転げるナユタ達をにらみつけると恥ずかしさを誤魔化すように、素早く立ち上がり過剰に体についた土ほこりをはらい落とした。
「と、とにかく……、ここが脱出口だ。出た先はコルヌー森林地帯のはず。ここでこれからお互いの向かう先を確認し、別れよう」
「ハイハイ、分かりましたよ、また白いあいつがいつ戻ってくるともわからないしねえ」
ナユタとランスロットはニヤニヤしながら、やたらと出口に急ぐレエテの後を追った。
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