第八話 死闘

 ドラゴンが一歩歩みを進めた瞬間、地響きが鳴り、振動に大地が震えるのをマルクは感じていた。

 

 すでに彼は散り散りになっていた生き残りの罪人数十人ほどに声をかけ、30mほど離れた場所に移動していた。

 さきほど彼らの行く手を阻んだ火の壁もすでに鎮火したうえ、銀髪の女の云ったとおり兵士どもは彼らを追ってくることなくコロシアムの外へ退去してしまっていた。

 

 今彼らのほかコロシアムに残っているのはラディーンを含む夥しい死体と、ビーストテイマー2人、そして相対する一人の人間と一匹のドラゴンのみだ。


 銀髪の女は、一歩踏み出したドラゴンが発する圧力など、まるで存在しないかのようなリラックスした表情で、先ほどラディーンに対していたときと同じように一切構えることなく――自然体で立っているのみだった。


 すると、鞭を持ったビーストテイマーがドラゴンに近づき、尾と胴体の付け根めがけてやおら強力な一撃を放った。

 この箇所は――ドラゴンが生理的に最も嫌悪する敏感な場所であった。

 すぐにドラゴンはビクッと急激に上体を持ち上げ、強烈な叫び声を上げた。


「オオオオオオオオォォォォォォーーーーー!!!!!」


 空気の裂けるような大音量に、その場のほぼ全員が耳をふさぐ。


 そして次の瞬間、山のような巨体が、動いた!


 ドゴォ!! という強烈な衝突音とともに、10m先にいたはずの銀髪の女が、一直線に後方へ吹き飛ばされていく。

 そして遥か後方にある、コロシアムの鉄板をはりめぐらせた内壁に激突した。

 

「何て速さ……! あいつ、身体に何か細工されているわ。ドラゴンの動きじゃない」


 ナユタがつぶやく。

 ドラゴンは、ほぼ一歩で銀髪の女まで跳躍し、その長い首を使いハンマーのようにごつごつとした頭部を横合いに、彼女の身体全体にたたきつけたのだ。


 体が巨大な分視認しやすいが、実質的な速力はラディーンを軽く凌駕しているのが見て取れた。

 そして5トンにもなる重量物がそれだけの速力で加えた攻撃の衝撃力は――推して知るべしだ。


 銀髪の女は一度ぐったりと地面に座りこんだ。

 その隙を逃さず――ドラゴンが第二撃を加えんと迫る。今度はその巨大な口を開け、女の身体を噛み砕かんとする。

 素早く、女は半身に立ち上がり左に大きく飛びすさった。

 

 かわされたドラゴンの牙が空を切り、勢い余ってコロシアム内壁に激突する。

 鉄板の継ぎ目が外れてひん曲がり、その向こうの石壁を崩した。

 近くに座る観客から悲鳴があがる。


 攻撃を避けた銀髪の女は、驚くべきことに大砲に匹敵するあの衝撃をまともに体に受けたにも関わらず――身体の数箇所にアザや裂傷はあるものの、まったくの軽傷であるとみえた。

 そして、コロシアムの内壁に沿って、ある方向へ向かって勢いよく走り始めた。


 体勢を戻したドラゴンは、銀髪の女を地響きを鳴らしつつ追う。

 そしてその姿を射程圏内にとらえるや否や、口を大きく開け背中を膨らませた。

 

「来るよ! ブレスだ」


 ナユタの言とほぼ同時に、ドラゴンの大きく開けた口の奥から、猛烈な勢いで黒い霧状の物質が扇状に大量に吐き出された。


 銀髪の女はそれをまた大きく左に跳びすさりかわした。

 ――その放出されてかわされたブレスが進む先に、ビーストテイマーの1人、鎮静剤の矢と弓を持った男がいた。


「ぎゃあぁぁぁ~~~~~!!!!」


 ドラゴンのブレスをまともに浴びた男は、甲冑もろとも、血の混ざった飴細工のように体を溶解させていく!



 *

 

「あやつ!!! 狙ったのか!!! 公爵閣下、どうするのです!!! これでもはやあのドラゴンめを抑えるすべはなくなりましたぞ! あの女を殺せたところで被害はさけれられん! 大損害だ――」


 わめき声をあげるダリム公の言が、ぴたりと止まった。

 その喉には、背後から彼の前に伸びた手に握られたレイピアの鋭く冷たい切っ先が押し当てられている。

 

「いい加減、耳障りだ、黙れ。アルフォンソ・ダリム・エストガレス。

婿養子の身であれエストガレスの姓を名乗るならば、王国の威信を少しは信頼せよ。

あやつを収める手段はなくなったかもしれぬが、保険はなくなっておらん。中でもこのダレン=ジョスパン・ファルブルク・エストガレスという最大の保険がな」


 ダレン=ジョスパンが云う。


 間近で見ていた公国近衛兵は我が目を疑った。


 ボックス席最前列でコロシアムを見下ろしていたダレン=ジョスパンと、玉座付近にいたダリム公の直線距離はおよそ8mほど。


 にも関わらず彼の眼が捉えたのは、ダリム公がわめきだすと同時に姿が消えたダレン=ジョスパン、そして全く、寸分なく同時にダリム公の背後にレイピアを構えて現れたダレン=ジョスパンだった。  

 若干の空気がゆらめく感じを伴って。

 それは、先刻ラディーンが見せた脅威の早業と比較しても天地以上に異なる、異次元の事象であった。


 この大陸に魔導数あれど、それらはあくまで物理法則の域を出ない、内なる魔力を使用する人間のわざだ。


 人間の瞬間移動を可能にする魔導などこの世には存在しない。


 それができるとしたら、神か、もしくは悪魔か……としか云えぬ。本当にこの男は現世うつしよの人なのか。近衛兵も――ダリム公も、蒼白となり押し黙った。


「それにまだ勝負もついておらん。しばしゆるりと余にこの戦い観覧させよ」


 そういうとダレン=ジョスパンは、レイピアを収めて元の最前列に戻った。

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