第七話 現われたる真の敵
「何が!! 何が起きたぁぁ!! ラディーンがまるで、虫けらのように! あの女、あの女は一体何者だぁ!!」
貌を真っ赤に染めたダリム公が怒鳴り散らす。
無理もない。鳴り物入りで開催した一大催事が台無し、各国要人の前で赤恥をかかされ、最大の金づるであった子飼いの英雄剣士を一瞬で失ったのだ。
「さっきから何をグズグズしておる!! すぐに警備の兵全てを向かわせ、あの女と奴らを皆殺しにせぬか!!」
「待て……!」
その短いが鋭い制止の声に、その場の全員がハッと身動きを止めた。
同時に、ダリム公は驚愕の目を声の主に向けた。
その主――ダレン=ジョスパンには異変が起きていた。
彼の最大の特徴である、そのほぼ閉じていた両眼が初めて――これ以上は不可能なほどに見開かれていたのだ。
その光を反射せぬダークブルーの瞳は小さく、ほぼ白目である三白眼であり、見るものを恐怖に陥れる邪悪さを感じさせた。
しかしその眼の意味するところの感情はどうやら怒り、ではなく、むしろ逆の歓喜、愉悦に満ち満ちており――。口角は引きゆがんで不自然なほどに上がり、ニタリと笑みを形成し、それが見る者をさらなる怖気をふるう嫌悪感にさらさせた。
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「兵を送ることはまかりならぬ。
お主らには何が起きたか分からぬだろうが、あの女、ラディーンの斬撃を易々とかわして近づき背後を取り、まだ速度と威力がピークだった斬撃を右手一本で強制的に止めたうえで左の『結晶手』で首を落としたのだ。一瞬だ。
そのような芸当をたやすく成し遂げる怪物相手に、公国の兵なぞをどれだけ差し向けたところで何もできず全滅、時間のムダだ。
ここは、ひとつ余に任せよ」
云うが早いか、ダレン=ジョスパンの右手がコロシアムに向けて見えるよう高々と上げられた。
それを見た、闘技場周辺に待機していたエストガレス王国の彼の近衛兵たち数人が一斉に動き、罪人たちが入場してきたのと反対側の門を開けた。
そして中から鉄枠と木で組まれた、10m四方もの巨大すぎる箱が姿を現し、4本もの極太の鎖で大勢の兵に引かれてコロシアムに引出された。
「あれは、殿下が『試し切り』をしたいと仰せられていた……?」
ダリム公の問いかけに、顎を上げて振り向いた彼は軽くうなずいて見せた。
「そうだ。余が居城にて手塩にかけて育て上げたものだ。
まあ見ているが良い、本来最後にラディーンの奴めに試そうと思っていた代物だが、より素晴らしい実験台が現れたのだ。どのような結果となるか至極楽しみだ」
*
「あんた……ありがとう、ラディーンの奴を倒してくれて。その……右手は大丈夫、なのかい?」
「まだ礼は早い、マルク」
その怪物じみた強さに恐れをなし、おどおどと話しかけるマルクに、銀髪の女は初めて言葉を返した。彼の予想に反してこれまでと違い優しく、そして吐息混じりの艶のある声だった。
「あの箱の中身を、片付けてからだ」
云いながら、銀髪の女は箱に向かって近づいていく。
「私があれに相対している間、たぶん兵たちは私達に向かってこない。その間に、あなたは皆を連れてできるだけ離れててほしい」
ある程度まで箱が引出されると、兵達は四方に分かれ、側面を一斉に引いた。
その中から姿を現したものを目にし、ボックス席からも、観客席からも、エストガレス以外の公国兵達からも、罪人たちからも、マルクからも――悲鳴があがった。
それは、体長10m――体高3mはあろうかという巨体であった。
全身は黒味がかかった灰色、びっしりと鱗に覆われ、2本の巨木のような足で巨体が支えられている。
背後には長い尾が伸び、反対の前方には、巨大なトカゲのような長い首。
おそらく体重は5トンは下るまい。
頭部には爛々と光る紅い目と、耳側の角の付近まで裂けた口の中に生える無数の牙。
この場の中で実際に目にしたものはまず居ないであろう伝説的希少種の怪物――「ドラゴン」であった。
*
「で、殿下ぁ!!! 何という危険なモノを持ち込まれたのですか! これでは観客やわれわれにも危害がおよびますぞ!!!」
その禿げ上がった頭をかかえ動揺著しく叫ぶダリム公に、今度は振り返りもせずダレン=ジョスパンは答えた。
「心配いらぬ。薬を用いた上、2名のビーストテイマーに強力に制御させておる。
加えて、見よ。翼はもいだ上、再生不可能なように魔導処理を施してある。
ブレスもこちらへは吐かぬし、ここまで上がってくることも不可能だ。
まあ最低限処置はしたがあくまで、もともと桁外れの身体能力を、『ある』方法によって飛躍的に高めた余の実験要素、これを戦いの場で確認するため必要だからであって安全確保のためではないのだが。
……あえてこのコロシアムに連れて来たことについては、余の多少の自己顕示欲は否定せぬがな」
正気ではない、という表情で嫌悪の視線を送るダリム公の存在など意に介せず、ダレン=ジョスパンはコロシアム上のほぼ中央に立った銀髪の女を凝視していた。
銀髪の女と、ドラゴンとの距離はおよそ10m。
ドラゴンの脇に、2名のビーストテイマーが控えていた。
2人とも筋骨隆々の男で、1名は長大な棘付き鞭をもち、もう1名は先端に薬品を塗ったと思しき矢を弓に番えている。
*
「ナユタ……とんでもないモノが出てきけど、僕だんだん面白くなってきたよ。あのドラゴンがダレン=ジョスパンの隠し玉、てわけだね。
最後に出そうとああいう準備をしてたってことは、ラディーンをあいつのかませ犬にするつもりだった、と。さっきの戦いに勝ってたとしてもどのみち奴の命はなかった、てことになるねー。
まあ気の毒とも思わないけど、かつての戦友だろうと人の命なんて虫ケラほどにも思ってない公爵閣下の真っ黒な外道ぶりは流石だねえ。
それでナユタはドラゴンとやり合ったことって……あるの?」
調子を取り戻し、いつもどおり饒舌になり始めたランスロットを見てフッと笑みをこぼしたナユタは、その質問に答えた。
「やり合ったことはないけど、戦いを見たことならあるわ。あんたがまだ生まれる前にね。
厄介なやつよ。まあ飛ぶことはできなくされてるみたいだからその点はいいけど、何より脅威なのはそのパワーね。
岩を砕き、巨木を易々倒すのを見たわ。当然その鋭い牙や噛み砕く力も武器になる。
最大の武器は吐き出すブレスなわけだけど、種類はあいつの体色から見て、おそらく酸だと思う。
動きは鈍くさいけど、それが問題にならない強敵よ」
「あのビーストテイマーの、鞭のほうはいいとして弓を
「あれは必要なものよ。
たぶん元々薬である程度おとなしくさせてると思うけど、万が一制御しきれなくなった場合の保険と戦闘の終了のためにあの弓の先にある薬で鎮静させるのよ」
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