第三話 エストガレスの「狂公」
今まさに剣闘大会が開幕せんとするコロシアム内部。そこに客席や闘技場の設営の仕上げを行う多数の兵士の様子を見やる、2つの人影があった。
その場所は、コロシアムをぐるりと一周する観客席よりも、さらに10m以上高い場所に造られたボックス席だ。周囲には荘厳な、ダリム公家の紋章にもなっている巨大な金の竜があしらわれている。
ボックス席内には20あまりの席が用意されていたが、まだ到着しているのはたったの2名なのであった。
そのうち1人はボックス席の淵に両手を後ろ組みして立ち、コロシアム内の作業の進度を見渡している。
筋肉をまといがっしりとしつつもやや脂肪のついた恰幅よい体、頭は見事に禿げ上がりそれと対称的に見事なブロンドの口髭顎髭が蓄えられている男だ。年の頃50代といったところで、その表情は齢相応以上の威厳に満ちていた。
「ずいぶんとお早いお着きですな……殿下。今回の剣闘大会に対する有り余るご期待の表れと受け取ってよろしいでしょうかな?」
頭を横に向けかつ横目で後ろを見やりつつ、その男――ダリム公は口を開いた。その視線は――上座のダリム公自身の玉座よりも、さらに上座である左側にあつらえた最上級の玉座に腰掛ける若い男に向けられていた。
年齢は20代、と見え、ブロンドの柔らかな髪を首のあたりまで緩やかに刈り、前髪だけが長く左目上で分けられた洒落た髪型だ。
180cmほどあるかと見える身長の割には、細く引き締まり過ぎた体で、体重は60kgにも満たないであろう。
最上級と見える仕立ての瀟洒な、青を基調とした中位礼服の上から、肩と胸にのみ金属の防護プレートを装着している。
しかしこの男を見た人々がまず注目し、そして忘れえないであろう最大の特徴は「目」であった。
顔立ちそのものは端正であるが目を引くほどではない。表情も柔和で、口角が常に上がっており人に嫌な気分は抱かせない。全体として、特徴的といえるほど異彩を放ってはいない。
しかしその目に関してだけは――。細く長いその目はほとんど閉じているように見えて、極めて薄く開き、長い睫も相まって目の表情を全く読み取ることができない。不安感を人に抱かせずにはいられない、爬虫類のような言葉にできぬ不気味さを有していたのだった。
「余の期待の度合いについて、今さら聞いても詮無いことであろう」
男としては高音の部類だが、不思議と人の耳に強烈に届く力強さを持った声でその男――ダレン=ジョスパンは答えた。
「この剣闘を開催してくれたことには感謝しておる。その趣旨もさることながら、此度めったにない『試し切り』の機会を得たことは、余にとってこの上ない喜びなのでな」
「あの、今朝の船便で運び込まれた箱の中身、のことですかな……?
何にせよ臣も、宗主国から賓客をお招きすることはこの剣闘開始以来の悲願であり、それが叶って喜ばしい限りです。
どうぞ存分にご覧になっていただきたい。あらゆる趣向をこらした剣闘を通じ、繁栄の絶頂にある我がダリム公国の実力を目の当たりにされることでしょう!
……度重なる戦費で疲弊しておられるエストガレス王国では見られない娯楽、その研鑽の極みを」
最初うやうやしく言葉を発したダリム公の台詞が徐々に挑発的なものを孕んだ。
表情も何とも厭らしいものに変化し、内なる過信、さらには野心と思しきものまでちらつかせた。
大国とされてきたエストガレス王国の斜陽につけこみ、分家の衛星国の国主の身でありながら、正当王位継承権者への足元を見た発言だ。
だがそれに対しダレン=ジョスパンの表情は全く変化せず、一言も言葉を発することもなかった。
そのとき――1匹の巨大なスズメ蜂がボックス席開口部から侵入してきた。
「くっ、設営兵どもめ、巣の点検をしておけと云ったのに。公爵殿下、そちらへ行きます、お逃げください」
スズメ蜂の進路を避けながら、ダリム公が云う。
ダレン=ジョスパンの方に羽音を立てながら向かってくるスズメ蜂を前にしても、彼は微動だにしない。
むしろそのまま眠り出しかねないほどのリラックスした様子で肘掛に頬杖をつき、蜂のほうではなくダリム公に顔を向けたままだ。
そして1mほどに近づいてきた蜂に――突如異変が起きた。
一瞬空気がユラッと動いたような気配と同時に、縦に真っ二つに裂かれ、なす術なく床に墜ちたのだ。
ダレン=ジョスパンには「一切」の動き――腰のレイピアを抜刀した様子も、魔導を使用した形跡もないというのに。
蒼ざめた表情で立ち尽くすダリム公に、ダレン=ジョスパンは静かに云った。
「そう、その持ちうる長所、強みを極限まで高め、繁栄を謳歌するに至る。
国の正しい方向、到達すべき道をお主は実践しているよ、ダリム公。……ただし蜂一匹斃せぬ弱小軍事力を、我がエストガレス王国の強大な力によって庇護されての条件つき、ではあるが」
ダリム公は歯噛みしつつ拳を握り締めた。
「まあ、固い話はここまでと致そう。
知ってのとおり余も『狂公』などと呼ばれ王国では鼻つまみ者の身。正直な所あんな国がどうなろうと知ったことではない、とすら常々思うておるしな。
お主とは通ずる所もあると感じている。此度は純粋に観客として、心行くまでこの剣闘を楽しませて貰おうではないか」
上がった口角をより上げて不気味な笑顔をつくりつつ、ダレン=ジョスパンは肩をすくめて云った。
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