第一章 邂逅 そして 闘いへ
第一話 死のコロシアム
それは、巨大な馬車であった。
六頭立ての馬に引かれ、長さ5メートルに届く荷車が連結された馬車だ。
ハルメニア大陸を横断する、長きディベト街道を逸れた――人気の少ない田畑の間に続く道。
その中を、石畳を踏む巨大な車輪が軋むごとに発される不吉な騒音とともに、しずしずと歩んでいく。
すでに陽は高く上り、乾季にあたるこの地域をじりじりと照らし、うっすらと蜃気楼のかかる風景の中――。何処かへと向かっているようだ。
馬車の様式そのものは物資の輸送にも使用されるありふれた造りで、大きさも巨大ではあるが異様なほどではない。
にも関わらず、行きかう人々がこの馬車に向ける視線は特別な感情……「侮蔑」あるいは「憐憫」、もしくは「好奇」で満たされていた。
その理由は――荷車の「荷」にあった。
荷車には鉄製の巨大な檻が組まれていた。屋根や幌はなく、じりじりと直射日光の照りつける車内には数人の男達が向かい合わせに腰掛けている。
彼らの両手には黒い枷が嵌められ、つながる太い鎖は床に鉄鋲によって打ち付けられている。
その表情は一様に、絶望とそして恐怖に満ち満ちていた。これから待ち受ける運命に対して。
彼らは囚人であり、この馬車は囚人護送車なのだ。
表情からすればそれも死刑囚――これよりまさに刑場に向かう最中、という状況が見て取れる。
荷車の最後部に腰掛ける、若い男がいた。
短く刈った黒い髪に無精髭、頬はこけ、青い目は落ち窪んでいる。決して頑健とは云いがたい中背の体格、それなりに整った服といった特徴から、中流の商家か、貴族の使用人といった身分の男なのであろう。
手はおこりにかかったように震え、落ち着きなく周囲を見渡している。
その彼の目が、馬車の向かう目的地を捉えた。
それは刑場ではなかったが、巨大な石造りの塀をそなえた要塞のようであり、塀の外にも上にも無数の甲冑を着た兵を備えた――――監獄だ。
監獄の前で、御者の鞭の鋭い音とともに停止した馬車の上で、男は監獄の黒い扉を凝視した。
重い鉄の扉が軋みながら開くと、中から甲冑姿の刑吏十人ほどに先導され、囚人が姿を現した。
8人、居た。刑吏達の怒号とともに檻の扉が開けられ、引っ立てられた彼ら囚人も男と同じ護送車の「乗客」となった。
そのうちの一人が、男の左隣に腰掛けた。
それは異様な、風体だった。
体の大部分を、頭部も含めて暗灰色のローブで覆い、そこから覗く両手両足とも皮製のグローブ、ブーツで覆い隠されている。顔もよく見えない。身体の一切を外部に晒していないのだ。
身長は170cm代半ばだろうか、男とそう変わらない高さと見えたが、体格はやや彼を上回っていることが見て取れた。
「やあ……俺はマルク。あんたは?」
男――マルクは震え声でローブの人物に話しかけた。
恐怖を紛らわしたい、という思いもあったが、好奇心にも強く衝き動かされたのだ。
ローブの人物は、刑吏に鎖を固定されている間、しばらく微動だにしなかったが、ゆっくりと貌をマルクに向けた。そして片手で喉をつかむ仕草のあと、首を横に振った。
「そうか……あんた喋れないのか。そんな格好してるってことは、全身にひどい傷でも負ってるのかい? 顔も含めて」
マルクが察して言葉を継ぐと、その人物は、ゆっくり首を縦に振った。
追加された囚人達を固定し終えると、護送車は動き出した。
再び、車輪の軋む音と鎖のなる音、不快きわまる大きな振動に車内が支配される。
「しかし……そんな体で、あんた人を殺したんだろ? それも、相当な身分の貴族か誰かを」
マルクの言葉に対し、ローブの人物の反応はない。
「あそこはここダリム公国において、最も凶悪な犯罪を犯した囚人が集う、ウルスラド監獄。その罪は最低でも重大な殺人、貴人殺しだ」
言葉を継いでもやはり、ローブの人物は少し座りなおす仕草をしただけで、何も反応しない。
「図星のようだな……。あるいはもっと重大な、国家反逆罪か?
何にせよ、これから俺達が送り込まれる場所にふさわしい悪だよ、あんたは。それにひきかえ、俺は……。そんな、そんな地獄のような場所に引き出される謂われはない」
話が自分の身の上に及んだ途端、感情がこみ上げ、マルクの声が震える。そして涙がとめどなく流れ出した。
「確かに、罪は犯した……。貴族の家に仕え、尊い身分の公女と恋仲になった。
罪には罪だが、俺達は愛し合っていたんだ。あんな、あんなコロシアムで見せしめの虫けらみたいに踏み潰され殺されるほどの罪じゃあない」
マルクが頭を抱える。その肩は大きく上下し、嗚咽が漏れた。
それと同時にようやく、ローブの人物に反応が現れた。体をマルクの方に向けたのだ。話に興味をもったかのように。
「知ってるか……あんたは? 俺は一度男爵に随行したとき、見せられたことがある。
コロシアムに重罪人が一同に集められ、死刑宣告を受けたあと……金ぴかの軍人どもや飼育された猛獣どもに、手を替え品を替えいろんな方法で無残に殺しつくされるんだ。
そしてそれを見た貴族や、金を払って見に来た一般市民どもが、血に飢えた歓声を上げるんだ。
まして今回は、ダリム公の50の誕生日……。各国の要人を招いて大々的に自分の権威と財力を誇示する場として、これまで以上に趣向をこらしてるって話だ……。
あの有名なエストガレス王国の『狂公』ダレン=ジョスパンも来てるっていうし、どんな目に遭わされるか。あんな奴等の
絶望に嘆くマルクの言葉を最後まで聞いたところで、ローブの人物の体が若干上下した。そして座席におかれたグローブで覆われた手が、ぐっと握りしめられる。
心の裡のすべてを吐き出しやや落ちついたマルクは、涙目のままローブの人物の様子に目をやり、再び口を開いた。
「あんた……実は、女だろう?」
ローブの人物が驚愕したように一瞬体を震わせ、マルクを見据えた。顔は隠れているがそのように見えた。
「俺は貴族の使用人としてたくさんの子女と接し、性別身分を隠すための衣装や道具も準備したり、お忍びや逃走の手引きもしてきた。だから俺にはわかる。
隠してはいるようだがその何気ない仕草や、わずかな匂い、雰囲気。多少背は高いが間違いなくあんた女だ」
するとローブの人物は数秒の後、顔の前で片手の人差し指を立てる仕草をした。
「誰にも言うな、てことか……。別に他のやつらにバラす気はないさ。そうしたところでこの先俺の命が助かるわけでもなし」
マルクのその言葉を聞いたローブの人物――いや女は、それ以降はマルクから顔をそらし、まっすぐ馬車の進行方向を見据え続けた。
もう道はすっかり広く、脇に高い建物の乱立する大通りとなり、街中、すなわちダリム公直轄領・首都デルエムに入ったことをうかがわせた。
最終目的地――コロシアムを目指して。
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