第38話 幼女を守って死ねるなら、最高の人生だったよな

 不思議だった。立っているだけでもやっとだったのに、今は全身に力が漲る。一時的なものだろうけれど、それが分かっていても少しだけ希望を抱いてしまう。


 これくらい、いいよね。少しくらい夢を見てもいいよね。


 敵は強大だ。けれど、僕には力がある。あれを倒すための力が――


「えっ――」


 正面から風が吹き荒れた。眼前に迫った拳に為す術なく、強烈な衝撃が身体を突き抜けた。全身がバラバラになったような痛みが走り、気づけば地面に這いつくばっていた。遠くに合成鬼獣の姿が見える。息苦しくなって、喉をせり上がるものを吐き出した。地面に赤い染みが広がる。


 あれだけの啖呵を切っておいてこの様か。いかなる力も発動しなければ意味がない。あいつは本能的にそれを察知したのかもしれない。


 惨めだった。今すぐ消えてなくなりたい。


 セルシスの声が聞こえた気がした。リノやマリアさん、カミュの声も。


 もうすぐ死ぬんだと思い知らされる。


 僕のいない未来。世界は何一つ変わらずに回る。


 彼女たちの未来もきっと同じだ。少しくらいは僕の死で影響が出るかもしれない。まったくないと悲しいから出て欲しい。でも、きっとその穴はすぐに埋まる。セルシスは僕のことを好きだと言ってくれた――彼女にとっての大嫌いは大好きということだと僕は信じて疑わない――けれど、僕より素敵な人なんていくらでもいるから大丈夫だ。どうか、他の誰かと幸せになって欲しい。


「最期にもう一回くらい、踏まれたかったな……」


 可愛らしい幼女の足。何でセルシスの足は甘かったんだろう。キスもしたかったな。生涯ロリコンと言われ続けるんだろうけれど、むしろ名誉なことだと思う。


 死ぬときは走馬灯ってものを見るらしい。けれど、僕が思い出すのは幼女と暮らした日々。とりわけセルシスとの思い出が鮮明に映し出される。


 もっと一緒にいたかった。もっと一緒に笑いたかった。悲しいときも、苦しいときも、嬉しいときも、全部分け合って、幸せな未来を歩んでいきたかった。


 ああ、もうきれい事なんてやめよう。


 他の誰かなんて嫌だ。そこには僕がいたい。僕じゃなきゃ――嫌だ。


 何度もくじけそうになりながら立ち上がる。痛いとかそういうレベルじゃない。動かす度に身体が千切れそうな感覚がして、恐怖が這い寄る。


 馬鹿みたいだけれど、笑みが漏れた。こんなときに何やってんだ。


「幼女を守って死ねるなら、最高の人生だったよな」


 鬼だけどな。エマさんもいるけどな。どうでもいいよね、この際。


 死にかけてるのに、生きてるって感じがした。今までになく思考がクリアになっていく。剣は遠くの方に転がっていた。あそこまで取りに行く時間も体力もない。依り代があった方が制御し易いのだけれど、ないものはない。それに、今ならできるような気がした。


「――主よ」


 三年ぶりの示音。何度も唱えて染みついた音は、走り出せば勝手に口をついて出てきた。


「――何故、私たちをお見捨てになったのか」


 僕たち鬼の祖先は遙か昔に人類を滅ぼすべきだと進言した。神様はそれを退け、だから彼らは反旗を翻した。そして彼らは地に堕とされた。気の遠くなるような年月が経ち、神様は人類を滅ぼす決定をした。その役目を彼らが負った。成し遂げれば再び天の座に昇ることができるという言葉を信じて。


「――私は願わない」


 お前はかつて自身が否定したことを肯定している。つまり、間違えたのだ。選択を誤ったのだ。なら、僕たちにはもうお前は必要ない。その座はお前に相応しくない。


「――其は反逆の導」


 だから僕は再びお前に挑もう。


「――明を統べ、宵を統べ」


 この息苦しいクソったれな世界を、真っ向から全否定しよう。


「――天上に輝ける星の担い手、シャレルの名において」


 僕はもう逃げない。


 この輝きがお前のところまで届きますように。


「――今ここに新世の旗を掲げる」


 身体から光が溢れだした。温かな熱が全身を抜け、周囲に解き放たれる。それは太陽が地上に落ちたかのように空の光を塗り潰し、世界を白に染める。


 これこそは王の血統が継ぎし反逆の力。


 偉大なる神の力デウィスマグナではなく、異端なる神への切り札アルカゼノムと呼ぶに相応しい力。


 僕のアルカゼノムは――光。


 まずは天の座を返して貰う。


 光の角が額から伸びるのを感じる。背中から翼のようなものが生える。


 右手に力を集中させる。光が瞬き、棒状に形を変えていく。


 しかし突如形状が揺らぎ、力が暴走を始める。


「っ――どうして!」


 内側から熱が膨れ上がる。押し止めるのに精一杯で、手に集めた光は弾けた。自らの光が身体を灼き始め、意識が掻き消されそうになる。焦りばかりが募り、制御が拙くなっていく。漏れ出る光が地面を穿ち、周囲のすべてを破壊していく。


 ああ、僕はまた、あのときのように――


「しっかりしなさい!」


 すぐ横で声が聞こえた。左手に光とは違う種類の温もりがある。小さな手。柔らかさの中に硬さがある戦士の手。心に荒れ狂っていた波が穏やかにならされていく。


「わたしたちがついてるぞ!」


 そうだ。


「サポートします!」


 僕はもう、独りじゃない。


「しゃぅ! がんばっ!」


 信じてくれる仲間がいる。


「諦めるなんて、私が許さないわ」


 心の底から温かい気持ちが湧いてくる。


 これを希望と呼ぶのなら。




 ――きっと、これこそが僕のアルカゼノム。




 右手に生み出した光は剣となる。


 光の剣。僕らの道を切り開く大いなる希望。


 救われない僕たちは、誰かに求めるのではなく、自らの手でそれを掴み取る。


 頭上に掲げた一条の光は空を貫き、天上へと至る。


 心地の良い温もりの中で、場違いにも幸せだと思った。


 振り下ろした光の束は合成鬼獣の身体を飲み込み、浄化するように溶かしていく。


 それを見届けてから、僕は重い瞼を閉じたのだった。

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