第36話 大好きって言えよ、ばかやろう
散々な人生だった。いや、鬼生と言うべきか。まあ、どっちでもいいや。
結局のところ、僕は何一つ成し遂げることができなかった。無様にここで死に絶える。
セルシスは違う。人類を救うという偉業を成し遂げた。役目を終えた彼女は平凡な女の子として幸せにならなきゃいけなかった。それなのに人類はわずかな幸福すら彼女に与えることを許さなかった。すべてを奪い取り、鬼人に貶めた。大切なものさえ自らの手で壊させ、いずれは人類の敵として処理される。
英雄は都合良く使われ、要らなくなったら捨てられる。その身を削って手に入れた栄光は一時だけのもの。人々は救われたことさえ忘れ、残るものは何もない。
身勝手な大人の都合に九歳の女の子が絶望した。
たったそれだけの話だ。
代わりなんていくらでもいる。その一言で彼女の不幸は容認される。
ああ、神様。あんたは正しいよ。どうしようもなく、正しいよ。こんな人類は要らないよ。こんな小さな女の子すら守ってあげられない世界なんて、ない方がいいに決まってる。
「ころ……して……」
まだ、そこにいたのか。
「わたしを……ころして……しゃる、を……みん、な、を……ころしたく……ないよ……」
「殺さないよ、セルシス」
僕は彼女の頬に手を添え、できるだけ柔らかく微笑んでみせる。上手くできている自信はなかったし、苦しそうに眉を顰める顔を見て、失敗しているのだと分かった。
彼女を絶望の淵から救い出してあげたかった。もう僕にはそれができないけれど、だからと言ってあのときみたいに逃げ出したくなかった。
力の暴走で街を一つ消してしまった僕は、心が空っぽになったように行く当てもなく歩いていた。そのとき悲鳴が聞こえて、横転しているトラックが目に入った。鬼が数人いて、鬼蟷螂を使って子どもを惨殺していた。その薄汚い笑い声が耳障りで、その角が目障りで、僕の中でふつふつと怒りが煮えたぎった。
お前たちみたいなクズがいるから、僕は拒絶されたんだ。
それはただの八つ当たりだった。僕のことをただの人間だと油断していた彼らを殺すのは簡単だった。そのときの僕は死んでも構わないと思っていたから、いつも以上に攻撃の手が激しかったせいかもしれない。
一人だけ、女の子が生き残っていた。彼女は泣いていて、震えていて、救いを求めるように僕を見上げていた。絶望した彼女が僕に希望の光を見いだしているのだと分かった。
だからこそ僕は何も言えず、何もできなかった。
だって僕は彼女たちに酷いことをした、鬼の仲間だから。
僕は逃げるように彼女の下を去った。
それは思い出したくない記憶だ。同時に、向き合わなければならない記憶でもある。なかったことにはできないけれど、やり直すことはできないけれど。あのときと同じ事を繰り返さないようにすることだけはできる。
思い返して見ると、どこかで聞いたことがあるような話だと思った。次第に女の子の顔が鮮明になっていき、知った顔が現れる。
それは今、僕の目の前で死を懇願している幼女と重なった。
セルシスを抱き寄せると、再び正気を失った彼女は僕の首の付け根に食らいついた。痛みよりも愛おしさの方が強かった。
「……セルシスが、あのときの女の子だったんだね」
今さら気づいても、もう遅い。
セルシスは僕に憧れてアルカゼノマーになり、その果てで僕と再会した。僕の方は忘れていたけれど、彼女は覚えていた。だから僕は生かされたのだ。あのとき結果的に僕が助けたことへの恩返しか、それとも別の理由かは今となっては分からず仕舞い。
憧れの相手が自分のことを忘れていた上に、敵だった。そのときのセルシスの気持ちを考えると、今までの態度も納得できるような気がした。
「言えよ、バカ」
声が震えた。もう自分の力では支えていられなくて、セルシスにしがみつく。
憧れの相手に再会できてよかったな、なんて旧家で言っていた自分が恥ずかしかった。他でもない僕のことだったのに。
けど、いくらムカつくからって憧れの相手の頭を踏むなよ。
「ごめんな。あのとき、手を差し伸べてあげられなくて。ごめんな。あのとき、思い出してやれなくて。ごめんな。また僕は、お前を救ってやれない」
強く、強く彼女を抱き締める。もう僕の感覚はほとんど残っていない。どれだけ強く抱いても、彼女の温度を感じない。燃えるような彼女の髪を撫でながら、ちゃんと言葉になっているか不安に思いつつ、口を開く。
「一緒に行こう。僕とじゃ嫌だってセルシスは言うかもしれないけどさ。僕は――――お前とならいいかなって、思うよ。大丈夫、怖くないよ。すぐ、終わるから」
目を閉じて、散らばりかけていた意識をかき集める。心の中でリノとマリアさん、カミュ、それからエマさんに謝っておく。上手く制御できるか分からない。だから死なせちゃったらごめん。あの世で会えたら、いくらでも償うから。
もしも生まれ変わることができたなら、もう一度出会おう。普通に笑って、普通に恋をして、普通に、普通に幸せな一生を歩もう。
だから、今はさよならだ。
「セルシス、大好きだよ――」
「わたしは大嫌いよ」
「えっ――?」
幻聴だと思った。この後に及んで何を期待してるんだと、馬鹿みたいに思った。
けれど僕から身体を離した彼女は、口元の血を流すように綺麗な涙を溢れさせる。その左目からは赤が抜け、いつもの彼女のに戻っていた。
「わたしは、大っ嫌いだって、言ったのよ」
「何だよ、それ……」
最期だと思ったから言ったのに。聞こえてないと思ったから言ったのに。
「大好きって言えよ、ばかやろう」
不思議と身体の感覚が少しだけ戻った。
「嫌に決まってるじゃない」
彼女は吐き捨てるように言って、僕の肩に顔を埋めた。先ほどとは反対側だ。
「私のこと忘れてたくせに」
「うん、ごめん」
「ロリコンのくせに」
「違うって。セルシスが幼女なのが悪い」
「エマのことが好きって言ってたくせに」
「それは……あれだよ……」
本人が後ろにいる手前、言い難い。
さてはお前、わざと言ってるな?
「ヘンタイのくせに」
「セルシスの足だからだよ」
その返答に、セルシスは身体を離そうとする。僕は必死にその身体を抱き留めた。ちょっと間違えたみたいだ。
「……気持ち悪い」
「うん、ごめん」
「……私のこと、好きなの?」
「好きだよ」
「大好きなの?」
「大好きだよ」
「私、こんな身体だけど」
「胸は大きさじゃな――いっ」
耳をかじられた。
「……鬼人化しちゃったけど、いいの?」
「いいよ。セルシスはセルシスだろ」
彼女がどんな顔をしているか見えないけれど、きっと笑みを堪えていると思う。そんな雰囲気があった。素直に喜べよ。
「……仕方ないから、シャルで我慢してあげる」
「うん、ありがとう」
「特別にだからね。心中したいほど私のことが好きみたいだから、大人の私が折れてあげる」
さてはお前、ちょっと調子に乗ってるな?
けれど、なんだかそれが心地よかった。
「浮気したら許さないんだからね」
するわけないだろ。というか、できない。だって、僕はもう――――。
「……しゃる、死なないで…………」
「……死なないよ」
セルシスの腕に力が込められる。
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