第34話 私を抱いてください!
軍人たちが使っている武器には十中八九、人工瘴気が練り込まれている。人工瘴気はアルカゼノマーの弱点で、家でリノたちが行動不能に陥ったのはそれが原因だ。触れるだけでアルカゼノマーの身体は弱体化する。
僕のような生まれながらの鬼や、人間には効果がない。アルカゼノマーにだけ効き目を発揮する。それは鬼の力を移植する際、人工瘴気に弱くなるよう意図的にいじられているからだ。人工瘴気は対アルカゼノマー戦の切り札と言える。それによって政府は鬼と化した者や逆らう者を処理してきた。
セルシスの身体中から血が流れる。けれど、しばらくして傷は塞がった。僕の何倍もの回復力。鬼の力が身体に馴染んでいる証拠だ。
弱体化してもセルシスは強かった。小隊をあっという間に薙ぎ払い、一帯を煉獄へと変える。僕らを捉えた彼女は地面を踏み砕き、矢のごとく一直線に向かってくる。
その殺意を遮るようにリノが前に出た。
「下がれ! リノ!」
僕の言葉なんて届いていない。リノは真っ向勝負を仕掛ける。けれど、それは愚策だ。今のセルシスは鬼の力によって身体能力が跳ね上がっている。正統な鬼の僕ですら力負けし、あまつさえ腕をへし折られたのだ。いくらリノでも渡り合えるとは思えなかった。
しかし、リノは凡である僕の予想を遙かに上回る天才だった。
衝突した二人。セルシスの剣を、リノは決して受け止めずに流す。槍のリーチを活かし、初動の段階で攻撃を弾き、その軌道を大きく逸らす。彼女は並々ならぬ身のこなしで槍を操り、懐に飛び込もうとするセルシスを寄せ付けない。
見事にセルシスを押さえ込むリノに僕は希望を見た。けれど、容赦なく剣を振るうセルシスに対し、リノは防戦一方で、隙があっても攻撃しようとしない。戦いに挑む覚悟の差は、拮抗したかに見えた彼女たちの戦いを大きく傾け始める。
セルシスの踏み砕いた地面から火柱が立ち上った。リノはそれを後ろに飛んで避ける。そこへ自身の身体が焼けるのにも構わず火柱を突っ切ったセルシスが、大上段に構えた長剣を振り下ろした。リノは驚愕に目を見開き、その剣を受けてしまう。彼女たちの周囲が音を立てて陥没した。リノは歯を食いしばって受け止めている。震える腕にむち打って、リノはセルシスを睨んだ。
「セルシー! もうやめろ! わたしはセルシーと戦いたくないんだぞ!」
彼女は唸り声を返すだけだった。リノの表情が苦悶に染まる。ミシミシと腕が悲鳴を上げているのがここまで聞こえてきそうだ。
セルシスは握る手にさらなる力を込め、リノを押し潰そうとする。それにも耐え抜いたリノ。けれど、唐突に終わりを迎えた。
炎を纏い、赤く発光した長剣が槍の柄を両断したのだ。そのまま振り下ろされ、リノの左肩から腹部にかけて鮮血が噴き出した。咄嗟に後ろへ飛んでいなければ、リノは左側を失っていただろう。とは言っても致命傷を避けられただけで、傷は十分に深かった。下がろうとするリノをセルシスは逃がさない。半分の長さになった槍で応戦するも、すでに勝敗は決していた。もう後がない。
それを見たマリアさんは眦を決し、バトルライフルを構える。ダイヤルを回し、フルオートモードへ。抱きかかえるようにして地面に転がり、全身で銃を固定する。
「シャルちゃん! 私を抱いてください!」
「へ、だ、だ、抱くって――」
こんなときにえっちなこと……。
「銃口がぶれないように固定して欲しいんです!」
バトルライフルは大口径のため殺傷能力が高い。けれどその分、反動が大きいため狙いが安定せず、フルオート射撃には向いていない。
知ってたよ。うん。
多少の罪悪感を覚えつつ、マリアさんから言われたんだから無罪と心中で唱える。覆い被さるように抱きつくと小さな身体がすっぽり収まり、柔らかい感触が僕へ牙を剥く。
「もっと強く押さえてください!」
「ひゃ、ひゃい!」
煩悩を押し殺し、マリアさんの幼い身体をぎゅっと抱き締め、地面に縫いつける。そこへカミュも加わった。こんな殺伐とした状況でなければ歓喜に打ち震えるシチュエーションだ。
マリアさんがトリガーを引き絞った瞬間、強烈な衝撃が全身を駆け抜けた。思わず手を放してしまいそうになるのをグッと堪え、マリアさんを押さえる。
その甲斐あって全弾が寸分違わずセルシスへ殺到した。常人であれば蜂の巣。けれど、セルシスはそのすべてを灼き消した。
弾倉が空になるまで打ち尽くすもセルシスは無傷。しかし、リノが離脱するための時間を稼ぐことはできた。
「――主よ、それは奇跡の賜物。私は願う。痛みと絶望の苦しみを癒やす御手をお差し伸べください」
リノの左半身の傷に、マリアさんが銃口を突きつけトリガーを引いた。瞬間、リノの身体が光に包まれる。傷が修復を始め、あっという間に塞がった。
負傷を帳消しにできたものの、リノにはもう獲物がない。戦力としては期待できないだろう。マリアさんも接近戦向きではないし、カミュは論外だ。次なる足止め要員は僕しかいない。
リノやエマさんたちと距離を置くため、セルシスの方へ走った。けれど無策に突っ込んだりはしない。リノのような戦闘センスもセルシスのような膂力も僕にはない。あるのは少しだけ頑丈な身体と気持ちばかりの回復能力だけ。
できる限り戦わずに時間を稼ごうとするけれど、セルシスは僕の思惑に真っ向から斬りかかる。剣筋ばかりに気を取られ炎に灼かれては元も子もないので、大きく避ける。小手先の技術での競り合いはなしだ。
はっきり言って、これは心の整理をつけるための時間だった。
救う方法など皆目見当がつかない。狙いは僕とエマさんのようだから、逃げても追ってくるだろう。限界のぎりぎりまで引っ張って、それでも駄目なら――――殺すしかない。
セルシスだってこの状態のまま生きていたくはないはずだ。もし、彼女の身体にまだ心が残っているなら、そう思っているはずだ。
そうだ。自分がセルシスであることを忘れてしまったなら、目の前にいるのは彼女ではない。誰とも知れない、ただの不幸な鬼だ。
だったら殺してやった方が彼女のためなのかもしれない。
そう。これは自分を納得させるための、少しでも罪の意識から逃れるための時間。言い訳を並べ立て、彼女を殺すことを正当化するための儀式。
僕はセルシスを殺したくない。けれど、しようがないじゃないか。
決意を固める度に、決意が揺らいだ。強く握りすぎたせいか、剣を持つ右手の感覚がない。口が渇いて、体中から汗が噴き出る。心も体も拒絶する選択。
けれど、きっと、これが僕の役割なのだろうと思った。
僕は彼女たちを幸せにするために生き残ったんじゃなかった。そんな良い配役が来るはずがないのに、恥ずかしいったらありゃしない。
僕は彼女たちの介錯人となるために生かされたのだ。暴走してしまった彼女たちを確実に殺せる、おそらくはこの世界でたった一つの存在として。
僕のアルカゼノムは一振りで街一つを吹き飛ばずことのできる強力なものだ。けれどそれは、力を制御できないせいだった。角が短いせいか、上手く操作ができない。ここで使えばリノたちを巻き込む危険があった。
力を使おうと考えるときには、必ずあの記憶が蘇る。
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