第32話 不幸に泣き叫ぶ姿が見たかったんだよ!

 そのとき、前方の小道からエマさんが顔を出した。


「こっち!」


 エマさんに連れられ、路地裏に入る。


「みんな無事だったんだね」


「はい、何とか」


 エマさんに会えてよかった。これで逃げられる可能性がぐんと上がった。街の中に味方がいることはかなり大きい。


「シャルくん、身体は大丈夫?」


「へ? 大丈夫ですよ! この通り!」


 僕のことを心配してくれるなんてエマさん優しい。もっと好きになりそう。


「セルシーちゃんも無事だったんだね。武器もないのに凄いね!」


 そういえばセルシスは見慣れないナイフを持っていた。軍人から奪い取ったのだろう。さすがだ。


「エマ、私たちこの街から出たいんだけど――」


「待て待て」


 僕はセルシスの手を掴んで立ち止まった。リノたちも立ち止まらせる。


「どうしたのよ。早く逃げないと」


「そうだよ、シャルくん。すぐに追いつかれて――」


「知ってたんですね」


「え?」


 惚けた調子で小首を傾げるエマさん。可愛いけれど、可愛いだけだ。


「軍が僕らを殺そうとしてることをどうして教えてくれなかったんですか?」


「いや、私もさっき知って――」


「エマさんが教えたんですよね。セルシスが一人で水浴びをしていて、武器は家に置いてあることを。僕らは家にいることを。僕らをどこに誘導しようとしてるんですか?」


 エマさんは戸惑う様子を見せていたけれど、無駄だと察したのか盛大なため息を吐き出した。


「ちょっと焦っちゃったかなー」


「脅されてるんですよね? それで仕方なく僕らを騙したんですよね? 一緒に逃げませんか? 僕らなら、これからもきっと上手く――」


 僕の勘違いであって欲しかった。だって、家にいたときは楽しそうに笑っていたのに。頑張れって言ってくれたのに。


 そのすべてが嘘だなんて、偽物だなんて、信じたくなかった。


「ばっかじゃないの?」


 彼女の口から、聞きたくなかった真実が溢れ出す。


「上手くなんてやれるわけないよ。だって――――軍を呼んだのは私なんだから」


「うそ、よね……。エマはそんなこと――」


「ねえ、その穢れた口で私の名前を呼ばないでよ」


「え……」


 何を言われたか分からないというように、セルシスは目を見開いたまま固まる。その姿が面白かったのか、エマさんから笑い声が漏れる。


「ああ、ごめんね。そうだよね。勘違いしちゃうよね。私、あなたたちにとって優しいお姉さんだったもんね。あれね、全部、ぜーんぶ、演技なんだよ?」


「おどされ、てるのよね。エマ、大丈夫よ。私、強いから。エマのこと守るから。だから――」


 ――本当のことを言って。


 絞り出された声は、まるで叶わない願いを口にしているかのようだった。彼女は知っているのだ。エマさんが決して頷いてはくれないことを。それでも認めたくなくて、セルシスは再び口を開こうとする。けれど、エマさんはそれを許さない。


「気持ち悪いんだよね。人間ごっこするのやめてくれない? あなたたちは化け物なんだから」


「エマさん、それ以上喋らないでください!」


「シャルくんさ、この子たちには人並みの、当たり前の幸せをあげたいって言ってたよね。けど、そんな資格ないんだよ。人殺しの化け物が、幸せになっていいはずないんだよ! 不幸に! 孤独に! 生まれたことを後悔して死ぬべきなんだよ!」


 初めて聞くエマさんの激昂した怒声。初めて見るエマさんの憎悪の込められた目。紛れもない彼女の感情が、僕らの心に荒波を立てる。背後ではすすり泣く声が聞こえた。セルシスは唇を噛みしめ、今にもこぼれそうな涙を堪えている。


「えま……そんなこと……いわないで……」


「ねえ、セルシーちゃん。なんで私だけがみんなに優しかったと思う? どうしてこんなに仲良くなったと思う?」


 セルシスの答えを待たずに、エマさんは薄笑いを浮かべて言う。


「このときのためだよ。信じてた人に裏切られて辛いよね? 悲しいよね? 絶望しちゃうよね? その顔が見たかったんだよ。あなたたちが不幸に泣き叫ぶ姿が見たかったんだよ!」


 早くこの場から離れないといけない。けれどエマさんの言葉を聞いた幼女たちはその場から動くことができない。彼女の言葉から逃れることができない。


 僕もまた、その一人だった。知りたかった。そこまでして彼女たちを破滅させたい理由を。


「どうして、こんなことを」


「前に言ったよね? 私の両親は死んでるって。あれね、殺されたの。――鬼人化したアルカゼノマーに」


 エマさんは顔の半分を隠している前髪を上げた。現れたのは右目を切り裂くような縦傷。美しい顔に刻まれた痛みを思い出したかのように、エマさんは顔を顰める。


「この傷もそう。私はあなたたちアルカゼノマーのせいで、何もかもを失った!」


 その場の全員が息を呑んだ。他人事ではなかったからだ。いずれ自分が到達するかもしれない立ち位置。人類にとって脅威となる鬼に、自分がなるかもしれないという恐怖。エマさんの両親を殺した鬼に、彼女たちは自分を重ねてしまったのだろう。脳天気なリノですら、その表情に影が差す。


「だから私は復讐することにしたの。胸の中で燃える復讐の炎に薪をくべ続けて、ようやく、そのときがやってきた。あなたたちが、この街に来た。ねえ、おかしいと思わなかった? どうしてこんなに不幸が重なるのかって、思わなかった?」


 エマさんはまるで世紀の大発見を発表するかのように、声高らかに腕を広げる。


「あなたたちが家を失ったのも、畑が荒らされていたのも、作った商品が売れなかったのも、鬼獣の住み処へ行かされたのも、セルシーちゃんの親が訪ねて来たのも、軍が討伐に動いたのも、ぜんぶ、ぜーんぶ――私のせいなんだよ?」


 それはつまり、この街のすべてが僕らの敵だということだ。いや、議員だけでなく軍まで動いたということは、政府までもが僕らを消そうとしているということ。


 さすがに彼女の利益のために軍が動くとは思えない。しかし心当たりはある。アルカゼノマーは基本的に勇者協会を辞めることができない。そこでしか生活を続けていくことができないからだ。外に彼らが就くことを許される仕事はない。だから死ぬまで政府の管理下にあるのが普通だ。


 けれど、鬼王を倒して莫大な報奨金を得てしまったセルシスたちは政府の管理を外れた。それは政府にとって、好ましくない状況だろう。命令に従わない強大な力など邪魔でしかない。一刻も早く消し去りたいはずだ。


 エマさんと政府の利益が一致した。


 その結果、人類のすべてが敵になったのだ。僕たちにはもう、どこにも居場所なんてありはしない。


「エマさん、嘘、です、よ…………」


 急に声が出なくなった。絞り出そうとしても、かすれた音とともに息が吐き出されるだけ。舌が痺れるような感覚が襲い来る。身体が思うように動かなかった。指先が意思に反して小刻みに震えている。

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