第31話 今はこいつらを幸せにしてやりたい

 椅子に腰かけ、エマさんがカミュの髪をとかしてあげていた。


「カミュちゃん、ちょっと髪伸びてきたね。今度切ってあげるね」


「ん……」


 エマさんでも駄目か。するとエマさんはポケットから飴玉を出してカミュの目の前に差し出した。


「アメちゃんだよー」


「あめちゃん!」


 両手を目一杯に伸ばして飴玉を取るカミュ。口の中に入れると、片方のほっぺだけ大きく膨らんだ。かわいい。


「どっちに入ってるのかなー?」


「こっち、こっち、だぉ」


「んー? 本当かなー?」


「ほんとだぉ」


「よし、こっちだ!」


「きゃはっ、はずぇ!」


 カミュに笑顔が戻った。僕らは唖然としてエマさんを見つめる。まるで本当のお母さんみたいだ。見てれば分かる。子どもが大好きなんだろうな。


「まるで僕とエマさんが夫婦で、カミュたちが僕たちの子どもみたいですね」


「あはは、私まだ一九だよー」


 渾身のアプローチが華麗にスルーされただとっ!


「なあなあ、父ちゃん!」


「何だい、リノ」


 お前本当に良いやつだな。ノッてくれるのお前だけだよ。


「セルシー遅くないか?」


「んー、あいつも色々あるんだろ」


「色々ってなんだ?」


「分からん」


「バカなのか?」


 おっと危ない危ない。またこのパターンか。しかし僕はもう学習したので腕すら振り上げない。それが不満だったのか、リノの蹴りが僕の股間目掛けて放たれる。


「ふっ、甘い!」


 想定内だ。僕は一歩後ろに下がって避けようとする。


「きゃっ」


「あ、ごめっ――」


 ちょうど後ろにいたマリアさんにぶつかってしまい、振り返りながら謝ろうとしたところへ痛恨の一撃が炸裂した。声にならない呻き声を漏らし、僕は床をのたうち回る。


「アハハ、よけると思ったから本気でけっちった。ごめんな」


 謝る気ゼロだろ。しかもエマさんがクスクス笑ってる。死にたい。


「酷いですよ!」


「ごめんごめん。だって、シャルくんたち楽しそうだから」


 目尻の涙を拭いながら、エマさんは微笑む。


「よかったね、幸せが手に入って」


 そう言う彼女は、どこか悲しげに見えた。


「どうしたんですか?」


「ううん。何でもない。そろそろ行こうかな」


 カミュにもう一つ飴玉をあげて、エマさんは立ち上がる。


「セルシスが来るまでいてあげてくださいよ。あいつ、エマさんには懐いてますから」


「うーん、ちょっと無理かな……」


「……そうですよね。エマさんには店番がありますもんね」


 人気カリスマ店員ことエマさんは玄関の戸を開けようとして、立ち止まる。


「シャルくんはさ、どうしてこの子たちといるの?」


 その理由を話すには、まずは僕が鬼王の息子だというところから説明しないといけない。なので、ぼかして言った。


「セルシスたちに助けられたから、ですかね」


 間違ってはいない。けれどエマさんの問いに対する答えとしては不十分に思えた。だから、最近見つけた理由を付け足す。


「今はこいつらを幸せにしてやりたいと思ってます。人並みの、当たり前の幸せを。それがたぶん、僕が生き残った理由だと思うから」


 こんなこと照れくさくてセルシスの前じゃ言えない。


 エマさんはしばらく自分の中で僕の言葉を転がしてから、「そっか」と呟いた。


「頑張れ、お父さん!」


 激励を受けながら僕も飴玉を貰った。扉を閉めるエマさんを見送り、それを口の中に放り入れる。歯が溶けてしまいそうなほど甘くて、胸焼けしそうになった。


 シングルファザーか。悪くないと思う。何だかんだ言っても幼女との生活は楽しい。彼女すら作ったことがないのに子どもが四人というのはぞっとしないけれど。


 最初に異変に気づいたのはカミュだった。


「けほっ、けほっ」


「カミュちゃん、風邪ですか?」


「ううん、くしゃいの」


 マリアさんはクンクンと嗅いでみるけれど、匂いはしなかったようだ。


「どんな匂いですか?」


「んとね――」


「しゃる、なんか、へんだぞ」


 苦しそうに胸を押さえながら、リノがテーブルに突っ伏した。


「どうした?」


「からだが、うまく、うごかないぞ」


 リノだけではなかった。マリアさんとカミュも辛そうにしている。


「みんなどうしたんだよ!」


 僕だけが平気だ。見回しても変わった気配はない。


「このかんじ、しってるぞ」


 リノが無理矢理立ち上がろうとして、椅子から崩れ落ちる。身体を抱き起こすと彼女は震える手で僕の胸元を掴んだ。


「にげろ、しゃる……」


 命を絞り出すように、彼女は苦悶の表情を浮かべながら口を開く。


「わたし、たちを、つかえなくする、くすり――」


 大きな音を立てて作ったばかりの扉が吹き飛んだ。雪崩れ込むように入ってきたのは迷彩色の軍服を着た一〇人程度の集団。その手にはサブマシンガンがあり、銃口がリノたちに向けられる。


「対象の無力化を確認。民間人が一名」


「構わん、皆殺しにしろ」


 全員が一斉にトリガーに指をかけた。


 この数を相手に三人を助けることはできない。――普通にやれば。


 僕の心が力を使えと言う。けれど、できなかった。制御に失敗すればリノたちまで殺してしまう。


 せめてリノだけでも守ろうと小さな身体に覆い被さる。


 次の瞬間、爆発が起きた。


 凄まじい高温が周囲に渦巻いているのが目を閉じていても分かる。けれど、その熱は僕らに対しては決して牙を剥かない。


「大の大人が、幼女の三人も守れないわけ?」


 いつの間にか目の前に立っていたセルシスが不敵に笑う。


「お前、力を……」


「使わなきゃ死んでたわ。それに、まだ大丈夫みたい」


 赤い筋がもう少しで頬に達する。大丈夫なはずがなかった。それは本人が一番分かっているだろう。恐怖を押し殺して、みんなのために戦っているのだ。


 家は木っ端微塵に吹き飛んでいて、軍服の集団も全員が無力化されていた。テーブルの周りだけが無傷の状態で残っている。


「殺したのか?」


「さあ。おまえたちを守るので精一杯だったから」


 セルシスはナイフを捨て、普段使っている長剣を手に取る。


「もう動けるでしょ。逃げるわよ」


 リノたちは徐に立ち上がり、身体を動かして調子を確認する。


「まだ怠いぞ」


「それでも走るのよ」


 各々武器を取って駆け出す。銃声とともに近くの地面が弾けた。


「囲まれてるのか?」


「こっち!」


 セルシスのあとに続く。街へ向かっているようだ。


 マリアさんが前に立ちはだかる敵を撃ち抜いていくけれど、手数が足りない。


「リノ、行けるわね?」


「任せろ!」


 一人加速したリノが敵集団へ突っ込んだ。自殺行為だ。けれど、リノは獣のような身のこなしで銃弾の雨の中を突き進む。目にも止まらぬ槍捌きであっという間に蹴散らした。


「お前凄いな……」


「ん? わたしはすごいぞ。当たり前だろ」


 真面目にそう言われると、事実なので何も言い返せない。


 全員が無傷で包囲網を突破し、街へ入ることに成功した。ここなら迂闊に銃を撃てないはずだ。流れ弾で民間人を殺しては軍への反発が生じる。それは避けたいだろう。


 車を奪って逃げるのがベストだけれど、街の入り口には大部隊が待ち構えているだろう。どうする。どうすれば全員で逃げられる。焦りで思考がまとまらない。

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