第7章

第30話 ちっさ

 翌日。やはりカミュは元気がなかった。そのせいで空を分厚い雲が覆っている。カミュの笑顔が戻らない限り、もう晴れることはないだろう。


 昼食を済ませた僕たちは玄関の戸を作ることにした。日曜大工だ。釘などの道具は以前家の補修で使った余りがある。


 金槌の音がリズムよく響く。やはりセルシスは器用だ。打った跡が綺麗で無駄なところを叩かない。一方のリノは釘に当てられなかったり、途中で釘が曲がったりと悪戦苦闘中。マリアさんはカミュとお散歩に行っている。僕は前回やっているのでそれなりだ。


 拾い集めておいた金具と錠をつけ、玄関と接合。若干隙間が空いているけれど、風通しがいい家ということにしよう。初めてにしては上出来と言える。


 ちょうど帰ってきたマリアさんたちと水浴びへ。やはりまだ身体を見せたくないようで、セルシスは一人で入るそうだ。


 マリアさんとは未だに顔を合わせると気まずい空気になるので、僕は静かに岩陰へ移動した。


「おい、シャル。マリアと仲直りしろ」


「っ――ばか、隠せよ!」


「ん? どうした? いつもこうだぞ?」


 確かにそうだ。どうしたんだろう、僕。やっぱりママの一件で幼女を意識しすぎているんだろうか。こんなつるぺた見てもどうってことないのに。


「ほら、行くぞ」


 リノが僕の腕を抱き締めて立たせようとする。


「ん!? お、おまっ、あ、当たって」


「どうした? 顔赤いぞ?」


「あ、赤くないし! なにも思ってないし!」


 ちょっと大きくなってる……。え、成長早くない?


「わ、分かったよ! 行くから! 一旦放そう? な?」


「ん? ……あ、分かったぞ! わたしのおっぱいでこーふんしてるんだな?」


 だからなんでこういうときだけ鋭いんだよ、お前……。っていやいや、してないから!


「触っていいぞ」


「え、マジで――っ!」


 駄目に決まってんだろ! つい反応してしまった。うわー、最低だよ僕。幼女だよ? 駄目でしょ。……いや、待てよ。逆に幼女だからセーフっていう説あるな。幼女のおっぱいはおっぱいじゃないよね。まったく性的じゃないし。むしろ、ありじゃん?


「し、仕方ないな。お前がどうしても触って欲しいって言うなら、触ってやる」


 素直に触りたいって言えなくてセルシスみたいな感じになってしまった。


「わたしは別にどっちでもいいぞ。シャルが触りたいんじゃないのか?」


 ふーん。そういうスタイルね。触りたかったら触らせてくれるとか、お前良いやつだな!


「いや、駄目だ。僕にはエマさんが! エマさんが!」


「エマなら後ろにいるぞ?」


「はっ! そうやって僕を惑わそうって作戦だな? 浅はかなり!」


 リノはひょんと首を傾げ、頭上に大きなクエスチョンマークを浮かべた。ああ、難しくて分かんなかったか。仕方ないから説明してやろう。


「浅はかってのはな――」


「シャルくんみたいな子のことを言うんだよね」


「そうそう、僕みたいな――って、え――」


 恐る恐る振り返る。そこには絶対零度の笑みを浮かべ、小首を傾げるエマさんがいた。これやばくない? 僕はリノに叫ぶ。


「どうして言わなかったんだ!」


「言ったぞ!」


「もっと早く言えよ!」


「注文の多い奴だな」


 くそ、終わった……。僕の初恋が終わってしまった。


「シャルくんさっき、リノちゃんの胸触ろうとしてたよね?」


「ち、違うんです! 僕は別に触りたくなかったんです!」


 大慌てで立ち上がり、身振り手振りで自身の潔白を主張する。しかし、エマさんは僕の言葉など聞いていない様子で、ある一点を見つめていた。ちっ、犯人の証言ではびくともしないか。


「リノも何とか言ってくれ! 僕のこれからがかかってるんだ!」


 しかし、リノもじっと一点を見つめている。


 二人の線と線を繋ぐ交点。そこには僕の股間があった。


「あっ、あっ――」


 さっとしゃがんで身を沈める。


 死にたい。死にたい。死にたい。


 滲みそうになる視界をぐっと堪え、エマさんへ顔を向ける。すると彼女は鼻で笑った。


「ちっさ」


 ちっさ。その言葉が僕の頭の中で木霊する。


「あ、違うよ? 別にシャルくんのアレのことじゃないよ?」


「じゃ、じゃあ、なんのことですか……」


「えっとね、それは、その……」


 待てども待てどもエマさんから別解は得られず。自然と涙が溢れてきた。


「わたしはちっさくても気にしないぞ」


「よ、よかったね! シャルくん! リノちゃんは大丈夫だって!」


 それ全然フォローになってないし、エマさんちっさいの駄目って言ってるようなもんじゃん。くそ! 僕だって好きでちっさいわけじゃないのに!


 泣いているのを誤魔化すため顔を洗う。心にぽっかり穴が空いたように虚しい。もう何もしたくない。これが失恋ってやつか。そうか、ちっさいと駄目なのか。一度駄目だと考え始めると、自分のすべてが駄目な気分になってくる。もうこうなると僕のことを貰ってくれるのはリノしかいないのかもしれない。普段なら笑って一蹴するような馬鹿な考えも、それしかないと思えてくるから不思議だ。


「ま、おっきい方が好きだけどな!」


 お前もかよ!


「なんでもおっきい方がいいぞ!」


 ほおん。さてはお前、会話についてこれてないな? お子様め! これはまだ僕にも勝機がある……?


「ところで、こんなところまでどうしたんですか?」


 僕は平静を装ってエマさんに言う。若干声が上擦った気がするけれど、こういうのは認めなければ上擦っていないことになるものだ。


「ん? ああ、何となく? シャルくんたち無事に帰って来たかなって」


「もしかして、僕の告白を――」


「告白? 何のこと?」


 えぇ……。出発前に言ったじゃん……。まさか、なかったことにされてる? これ完全に脈なしのパターンじゃない?


「あれ? セルシーちゃんは?」


「ああ、セルシスはこのあと入ります」


「一緒に入らないの?」


「一人で入りたいお年頃みたいで」


「そっか、もう九歳だもんね」


 何とか誤魔化せた。エマさんにはセルシスの身体のことは刺激が強すぎるだろう。


「じゃあ私、先に家行ってるね」


「分かりました。すぐに行きます」


 エマさんの後ろ姿が完全に見えなくなってから僕は岸に上がる。横の方でも上がった気配があった。マリアさんだと気まずいので、僕は意識的に顔を背ける。しかし何やら視線を感じる。どうしよう。振り向いた方がいいのだろうか。


 考えてもどうにもならないので、思い切って振り向いてみる。


「ま、マリアさん?」


「え、あっ、ご、ごめんなさい!」


 顔を真っ赤にして僕の股間から目を背けるマリアさん。聞いてたのか……。


 ガックリ項垂れる僕に、マリアさんはモジモジして僕の股間をチラチラ見ながら、消え入りそうな声で言う。


「わ、私は、その……お、大きさじゃ、ない、と思います」


 耐えられなくなったのか、マリアさんは顔を真っ赤にして走り去って行った。


「マリアさん……ありがとう」


 僕は彼女の言葉に多大なる勇気を貰った。これで明日からも生きていける気がする。


 ところでマリアさん、絶対に意味分かって言ってたよな……。

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