第20話 やばそうだったから警察を呼んだの

「セルシスは僕が引き取ります。安心して帰ってください」


「何言ってるんですか。親の私たちが迎えに来たんですよ。他人のあなたがとやかく口を挟まないでくれませんか」


「セルシスが嫌がって――」


「うるせえんだよ!」


 突如、父親の方が怒鳴り声を上げた。街行く人々の視線が集まるけれど、豹変した彼は気にする様子もなくまくし立てる。


「さっきからグチグチグチグチよ。ぶっ殺されてえのか? ああ?」


 彼は僕の胸ぐらを掴み上げ、前後に激しく揺らす。


 こんなやつ簡単に叩きのめすことができるけれど、ゴミとはいえ一応はセルシスの親だ。手荒な真似は気が進まない。ここは口で押し勝つしかない。


「まあまあ、落ち着いてくださ――」


「気持ち悪いんだよロリコンが! うちの娘にハアハアしてんだろ? 警察呼ぶぞこの野郎!」


 危ない危ない。ついうっかり殺すところだった。誰がロリコンだよ。ハアハア? してねえよそんなもん。ペロペロならしてやったけどな!


 もちろん僕は口に出さない。下手に街の人々の心証を悪くしたくないからね。というか警察なんて呼んだら捕まるのそっちだよ。


「ほら、行くぞ」


 僕を突き飛ばし、父親はセルシスの手を無理矢理引いていこうとする。けれど彼女はその場から動かなかった。


「わ、私は――」


 乾いた音が鳴り響き、彼女の小さな頭が揺れた。見る見るうちにマシュマロのような白い頬が赤く染まる。打たれた方の目から滴が静かに流れ落ちた。


「なに逆らってんだ? あ? てめえは黙って俺の言うことを聞いてりゃいいんだよ。ほら、早く金を持ってこい」


「え……」


「金だよ金。見ろよ、俺たちの格好。何で親の俺たちがこんなに苦労してるのに、お前は綺麗な身なりをしてるんだ? おかしいだろ? あんなちっぽけな金にしかならなかったくせに、俺よりいい暮らししてんじゃねえよ」


 彼はセルシスの赤い髪を掴み上げ、痛みに顔を顰める彼女の顔を見て笑った。


「産んでやったんだからよ。親孝行してくれよ。な? さあ、早く金を持ってこい!」


 怒鳴り声とともにセルシスを蹴り飛ばした。ボロボロと涙を流すセルシスに舌を打ち、拳を振り上げる。


「お前、それでも親かよ」


 僕は父親とセルシスの間に入り込み、それを受け止める。随分と軽い拳だった。


「あ? 部外者は黙って――」


「……いわ、よ」


 セルシスの震える声に、彼は怪訝そうに眉を顰める。


「ない、わよ。お金なんて、ないわよ」


「嘘吐け! 知ってるんだぞ! お前が鬼王を倒して、その報奨金を貰ったことくらい! さあ、早く出せ! 出すんだ!」


「ないって言ってるじゃない!」


 セルシスは悲鳴を上げるように叫んだ。けれど彼の父親は信じようとしない。


「何のためにお前を産んだと思ってるんだ!」


 これ以上は彼女に聞かせられない。黙らせようと拳を握ったそのとき、幾つもの足音が聞こえた。


「何なんだてめえら!」


「お前か、騒いでるのは」


 濃紺の軍服を着た人たちがセルシスの父親を両隣から押さえ込んだ。警察だ。


「離せ! 俺はこいつから金を――」


「言っておくが、そこの連中は無一文だぞ」


 警邏隊員が僕たちに起きたことを淡々と説明する。さすがに国家機関からの言葉は信じざるを得なかったのだろう。父親は真っ青な顔になってセルシスへ振り返る。動揺を隠しきれず、瞳が忙しなく右往左往した。


「うそ、だよな? な? 本当は持って――」


「ないわよ……ぜんぶ、なくなっちゃったわよ……」


 その言葉にセルシスの父親は膝を折って崩れ落ちた。警官が立たせようとするけれど、彼は糸の切れた操り人形のように項垂れる。


 それも束の間だった。大金を逃した絶望が怒りへと変わったのだろう。カッと目を限界まで見開いた彼は、獣のように唸りながらセルシスへ突進する。しかし、それは警官によって阻まれた。それでも構わず食いかかろうとする。唾をまき散らし、怨嗟の声を唸らせた。


「この出来損ないが! クソ! クソが! 醜い化け物め! お前が俺の子だと思うと胸くそ悪くて反吐が出る! なんでお前みたいなのが生まれてきちまったんだ!」


 警官が腕を取り組み伏せる。地面に頭を押さえつけられてなお、その醜悪な口はセルシスに呪いの言葉を投げつける。


「お前なんか産むんじゃなかった! お前なんか――死んじまえ!」


 セルシスの父親は引っ立てられ、ビクビクと震える母親とともに連行されていった。


「大変だったね」


 エマさんが駆け寄ってくる。


「もしかして、エマさんが?」


「うん。やばそうだったから警察を呼んだの」


 助かった。さすがエマさんだ。本当ならお礼にこのあと二人でお茶でもしようと誘うところだけれど、今はそれどころじゃない。


 セルシスは絶え間なく涙を流し、遠ざかっていく両親の背中を見つめていた。


「あんなの気にするなよ。さあ、かえ――」


 頭を撫でようとした手をセルシスはぴしゃりと振り払った。痛くはなかったけれど、僕は反射的に声を漏らしてしまう。


 それを見た彼女は目を丸くして、言葉を探すように視線を彷徨わせる。しかし、開きかけた唇はきつく結ばれ、セルシスは僕を睨みつけた。


 僕は何も言えず、彼女は逃げるように走り去った。


 追いかけるべきか迷っているリノたちが、伺うような視線を僕に送る。けれど僕は沈黙した。


「追いかけなくていいの?」


 エマさんの声に、もう見えなくなったセルシスの背中を見つめる。どうすればいいか分からなかった。あれはすべてに絶望した顔だ。


 あのときだって絶望する女の子を前にして逃げることしかできなかったのに。


 三年経った今も、僕は何も成長していなかったのだ。

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