第13話 何デレデレしてるわけ? 気持ち悪い

 さっそく準備を整えて出発する。白樺はここから一日歩いた崖を降り、さらに二日かけてようやく到着する。遠い。


 外で準備運動をしているとセルシスたちが出てきた。腕と胸、足だけの軽鎧姿。これは鬼王と対決したときと同じスタイルだ。


 セルシスは背丈ほどある長剣、リノは槍、マリアさんはバトルライフル、カミュは盾と小剣だ。カミュのは戦うためでなく、自衛のためのものらしい。


 僕も片手剣を装備する。鎧はない。僕の肉体は鎧より硬いので必要ない。むしろ邪魔だ。


 あと数時間で日が沈む。崖まではともかく、その下は鬼獣がいる。夜に行くのは危険だし、野営など言語道断だ。


 今日は崖まで進み、明日でベニテングダケを持って崖まで戻る。明後日の朝、家に到着というスケジュールにした。今日の夕食は持っていくけれど、明日からは現地調達だ。


 普通の人間なら一五〇キロ程度の距離に三日かかるのだろう。けれど、僕たちは基本性能が違う。走れば休憩を入れても八時間ほどで着く。


 崖には等間隔に置かれた監視塔とネズミ返しがあった。崖を登る際に障害となる。もっとも、この断崖絶壁を登って来ることができればの話だけれど。


 僕たちは見張り台から見えない位置で野営することにした。当然、火はおこさない。


 全員が寝静まってから少しして、僕はトイレに立った。眠れなかったのだ。茂みから戻るとセルシスが切り株に腰かけて瞑想していた。


「眠れないのか?」


「ええ、ちょっとね」


 横に腰かけようとすると、口を尖らせながらも小さなお尻を動かして空けてくれた。僕は何も聞かなかった。お互いにただそこにいるだけ。星を数えていると、彼女が口を開いた。


「うまくいかないわね」


 何て答えるべきだろう。僕が言葉を探している間に、彼女は続けた。


「みんなでね、決めてたのよ。鬼王を倒したら、普通の女の子として暮らそうって」


 それは屋敷を差し押さえられたときにも言っていたことだった。


「私たちは小さい頃に売られて、ずっと勇者協会の施設で過ごしてきたわ。地獄のような日々だった。戦いの毎日で、痛くて、苦しくて。昨日まで仲良かった子が今日死ぬことなんてざらだった。何度も死にたいと思って、それでもがんばって、私たちはようやく自由を手に入れた」


 それなのに――。そう言って、彼女は苦笑する。


「結局、私たちは戦うことしかできないのね」


 セルシスは右腕を抱えた。食い込んだ指が包帯に皺を作る。


「生まれてこない方が、幸せだったのかな……」


「そんなこと、言うなよ」


 彼女らしくない言葉だった。今までこんな弱音を吐いた彼女を見たことがない。だから、僕は少しだけ、自分の気持ちを分けてあげる。とても恥ずかしいけれど。


「僕はセルシスたちに出会えてよかったよ」


 本当に? 覗き込む瞳がそう告げる。


 僕は強く頷いた。


「父さんを――鬼王を殺されて、僕も殺されそうになって。捕まったときは最悪だったけどさ」


 父さんは最強の鬼だった。鬼のあり方について疑問を持っていた僕は爪弾きにされていたから、別に悲しくもないし、恨みもない。だから父さんが殺されたと聞いたときは、ついに変革が起きるのだと思った。


 それは僕の思い違いだったけれど、僕の目の前に現れたセルシスたちを見て驚いた。子どもが兵器として使い捨てられていることは知っていた。けれど、まさか父さんを殺したのが幼女だとは思わなかった。


 彼女たちは逃げようとする僕を襲った。神速の槍で腕を切断され、ゼロ距離からの爆撃によって全身を焼かれ、下がろうとした足は浮遊の力によって地面に届かず、胸を剣で貫かれた。瞬殺だった。


 その後、僕は彼女たちに捕らえられ、治療された。


「なあ……どうしてあのとき、僕を生かしたんだ?」


 捕まった後は鬼の拠点を尋問された。別に言ってもよかったのだけれど、幼女に負けたのが悔しくて黙秘していた。どんな拷問にも耐える覚悟だった。


 拷問の内容は実に子どもらしく、お尻叩きや頬ビンタ、額へのデコピンなどなど。しかし、アルカゼノマーが行うそれらは通常の子どもの力ではない。一撃一撃の衝撃が凄まじく、頭蓋が割れたこともあった。リノには一度首を折られかけた。加減を知らない彼女のせいで、一度は三途の川を見た気がする。


 最終的にはカミュが僕の膝の上で服を脱ぎ始め、罪の意識に耐えかねて吐いたのだ。よかったな、僕が幼女の裸体にハアハアするタイプのロリコンじゃなくて。いや、そもそもロリコンじゃないけどな。幼女怖い。


 拠点をすべて吐いた僕は用済みのはずだった。実際、リノは殺す気満々だった。あのときの笑顔を僕は忘れない。


 けれど、セルシスは首を横に振ったのだ。


『死ぬまで使い潰す』


 お前の加虐的な笑顔も忘れないからな!


 そうして僕は生かされ、あの屋敷でこき使われていたというわけだ。


 僕の問いかけにセルシスは桃色の薄い唇に人差し指を添え、妖艶な笑みを浮かべた。


「内緒よ」


 心臓が跳ねた。耳元で太鼓を叩かれているようにうるさい。思わず顔を逸らすと、彼女は僕を覗き込む。


「何デレデレしてるわけ? 気持ち悪い」


「し、してないって」


 いつもの蔑んだ言い方とは違う。どこか声が跳ねている。幼女に心をかき乱されている自分が情けない。恥ずかしい。


「ねえ、私に会えてよかった?」


 幼い膝小僧に顔を乗せて問いかけてくるセルシス。月光のせいか、とても綺麗だった。産毛が光をため込んで、彼女の身体を薄らと輝きに包む。すべらかな肌は浮き立つような白さが際立っていた。見つめていると、その瞳に吸い込まれそうになる。


 答えられずにいると、彼女は小さな手を切り株について顔を寄せた。


「よくなかった?」


 身体を反らすと、さらに寄ってくる。答えるまで逃がしてはくれないらしい。薄い唇が艶やかに月光を宿す。わずかに開かれた隙間から甘い吐息が漏れる。


 おかしい。幼女のくせに何でこんなにも色っぽいんだ。僕は観念する。


「よ……っ……た」


「聞こえない」


 彼女は惚けたように笑う。絶対に聞こえただろ。


「……よかったよ。セルシスに会えて」


 後半は羞恥心のあまりボソボソと小声になってしまったけれど、何とか許して貰えた。


「そう。私は何とも思わなかったけど」


「なっ、おまっ、それずるくない?」


「あら、私は一言もおまえに会えてよかったなんて、言った覚えはないけど?」


 セルシスは立ち上がって小ぶりなお尻を払うと、寝床の方へ歩き出した。途中で振り返って渋い顔をする僕に言う。


「明日は早いわ。寝るわよ……シャル」


「ああ…………ん? 今、名前で……」


「何言ってるの? 耳が悪いんじゃない?」


 結局、僕の名前を呼んだ言質は取れず、悶々とした気持ちで一夜を明かした。

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