第4章
第12話 たぬきジジイめ!
外がやけに騒がしい。身体を起こすと家の中には誰もいなかった。足音が近づき、扉が勢いよく開かれる。リノだ。その表情を見て、僕は飛び起きた。涙を浮かべていたのだ。
「シャル、どうしよう……」
リノについていくと、セルシスたちもいた。カミュが声を上げて泣いていて、セルシスは悔しそうに小さな拳を振るわせている。
目の前には無惨に食い荒らされた畑があった。収穫間近だったものだけではなく、すべてやられていた。この約一ヶ月の努力が、たった一晩で失われた。獣避けに設置した柵が一部だけ抜かれ、地面に転がっていた。そこから入られたのだ。
足跡からするとイノシシだろう。奇妙なことに、柵は突進で壊されたわけではなく、綺麗に抜かれていた。こんな器用な芸当ができるのだから、敵はかなり賢い。
しかし、不幸はそれだけではなかった。尋ねてきたエマさんが言い難そうに口を開く。
「畑が駄目になった直後に聞くのは辛いかもしれないんだけど……。実はね、セルシスちゃんたちに作って貰った商品、一個も売れてないんだよね」
エマさんは頭を下げてくれたけれど、彼女のせいではない。
僕の考えが甘かったのだ。
忌み嫌うアルカゼノマーの作った商品など、誰が買いたいと思うだろう。
商品を持ち帰るか相談されたけれど、まだ置いて貰うことにした。今商品を受け取るのはあまりにも残酷だ。
エマさんが帰ったあと、家の中は誰もいないかのように静まり返った。リノですら一言も発さない。相当ショックだったのだろう。積極的に畑の世話をしていた彼女は特に。
場の空気を変えるのは年長者の役目だ。僕はできるだけ明るい声が出るように努めた。
「まあ、まだ始めたばかりだ。これからだよ、これから」
誰も僕の方を見ず、俯いている。今日ほど自分のことを不甲斐ないと思った日はない。
「また植えよう。今度は柵を頑丈にしてさ。縫製も色んなのを、思わず買っちゃうようなのを作ろう。一度の失敗くらい何てことはないさ。お前ら世界を救ったんだろ? だったら、何だってできるさ」
反応なし。駄目だ。僕の言葉はまったく届いていない。それはそうか。一番の無能に言われても、腹が立つことはあれ、鼓舞されることはない。かと言って、一緒に沈んだら終わりだ。
そんなとき、急にリノが立ち上がった。
「シャルの言うとおりだぞ。わたしたちならできる。わたしたち四人は最強だからな!」
「なに当たり前のこと言ってるの。当然でしょ?」
「そうですね。こんなことでへこたれていられません!」
「かみゅ、がんばぅ」
「お前ら……」
五人だからな! 僕もいるからな! 空気壊したくないから言わないけどさ!
この場の全員の意志が固まった。今なら何でも出来そうな気がする。
そこへ、水を差すように扉がノックされた。誰だよ、空気読めよ。エマさんはノックなしで扉を開けるので違う。それはそれでどうかと思うけどね。エマさん好きだから許せるけども。
他に僕たちがこの家に住んでいることを知っている人はいないはずだ。怪しい。
僕はセルシスたちに武器を持つように指示して、扉へ歩み寄る。いつでも下がれるように重心を後ろにして、扉を少し開いた。
「アハハ、誰だ?」
僕の腰にまとわりついたリノが顔を出す。馬鹿かお前。もしものとき僕が下がれないじゃん。
扉の向こうにいたのは、眼鏡をかけた中年の男性だった。白髪まみれで、疲れた表情をしている。そのせいか、かなり老けて見えた。
「いきなりお邪魔して申し訳ございません。失礼ですが、アルカゼノマーの方でしょうか」
不用意に身分を明かすのは危険だ。けれど、僕の思考をくみ取れない奴がいた。
「そうだぞ! わたしたちになにか用か?」
いきなり襲われたらどうすんだよ。お前は僕を盾にしてるからいいけどさ。
まあ、そもそも髪の色によって一発でバレてるんだけど。
「実はお願いがございまして」
来るぞ来るぞ。これは突然背中からナイフを出して、死んでください、って襲いかかってくるパターンだ。知ってるぞ。騙されないぞ。人類史の資料にあった小説によく出てきた。
しかし、予想はあっさり裏切られた。
「森奥の崖、そのさらに先に生息する、ベニテングダケを取ってきていただきたいのです」
男性の名前はトラプさん。街を治める議員の秘書だという。彼のボスは珍味好きらしく、ベニテングダケを持ってこいとトラプさんに命じた。しかし、ベニテングダケは森の奥に生息する白樺の木にしか生息せず、そこは鬼獣の住み処であるため、近づけないのだという。
鬼獣は鬼が生み出した怪物だ。鬼同様に頭部に二本の角を生やし、身体に赤い線が走っている。気性が荒く、鬼以外のすべての生きものを襲う。多くはすでに駆逐されているけれど、そこは強い個体ばかりで未だ手を付けられていないそうだ。
そこでアルカゼノマーの出番というわけだ。
「こちらが報酬となります」
差し出されたのは二〇万円。節約すれば二ヶ月は暮らせるだろう。セルシスたちの顔色を窺うけれど、逆に見つめられてしまう。
働いたことのない僕たちは相場が分からない。手を付けられないほど凶暴な鬼獣がいるなら二〇万円は安い気がする。こっちは命を賭けるのだ。けれど、キノコを採ってくるだけだと考えると高い気もする。
「うーん、それだけですか? ちょっと安すぎませんかね」
ちょっとふっかけてみた。
「そうですか。では、残念ですが別の方に依頼します」
「ちょ、ちょっと待って貰っていいですか? 少し内部で検討するので……」
何だよこの人。あっさりしすぎじゃないか。というか、他に頼む人いるの?
待て待て、冷静になれ。何となく分かってきたぞ。これは足下を見られてるな。僕たちが生活に困窮しているのを知って、格安で依頼しようとしている。そうに違いない。ここはエマさんに相談してみるか。しかし、トラプさんはそんな猶予を与えてはくれない。
「申し訳ございませんが即決いただけないのでしたら、次の約束が迫っていますのでこの話はなかったことにさせていただきたいのですが」
ここで引き受ければ次からも格安で依頼してくるだろう。それは困る。けれど、今すぐ二〇万円が欲しい。失敗続きの今、その金は希望になる。
駄目だ。折れるしかない。
「……引き受けます」
「ありがとうございます」
眼鏡の奥で、目が笑ったような気がした。たぬきジジイめ!
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